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三話

あらかた道具を揃えると、すでに通勤ラッシュの時間帯に差し掛かろうとしていた。最後の店を出ると鈴はいい匂いに気付いた。

辺りをキョロキョロと見回すと、パン屋を見つける。そういえば、と気づけばお昼に食べる予定のそうめんをほったらかしでなにも食べていなかった。

吸い寄せられるようにふらふらと寄っていく。


カランコロン

「いらっしゃいませー」


8畳程の店内には、多種多様なパンが並んでいた。

トレーを持ってパンをじっくり選ぶ。

3個ほど選ぶとレジに持っていく。


「いらっしゃいませ。カレーパンと、あんぱんと、ウインナーパンの三点ですね。300円になります」

「え?でも表示価格と違いませんか?」


レジの女性店員はにっこりと笑って言う。


「当店は夕方5時からは売りきりセールを行っているんですよ。6時には閉店なんです」

「そうだったんですか、初めて来たのでビックリしてしまって」

「初めてのご来店でセールだなんて、お客さんラッキーですね。でも、朝イチの焼きたてパンもお勧めなんで、次は是非午前中にもお越しください」


そう言ってパンの袋を手渡してくる。

とても感じのいい店員に、鈴も笑顔になる。


「また来ます、今度は午前中にでも!どうもありがとう」

「またいらしてくださいね」


外に出るとすっかり人通りが増えていた。

むわっとした夏の空気がアスファルトから延々と出ていたのが、人通りが増えたことでかき混ぜられてもっと暑くなった気がした。

ふと気づくと、鈴は自分の雇用が決まった会社【三つ葉製薬株式会社】の近くまで来ていることに気付く。


「・・ちょっと寄ってみようかな、当日遅刻しても困るしね」


一人でつぶやくと、会社の方へと歩き始める。

パン屋から5分も歩かないうちに会社へ到着した。

予想よりもはるかに近かったことに驚きながらも、鈴は建物を見上げる。


「ここで働けるのかぁ・・」


思わずぽつりとつぶやく。

とてもじゃないが受かるとは思わなかった面接を改めて思い出してみる。

よく受かったな、大丈夫か面接官。

この一言に尽きるような面接であったのは間違いない。だが選んでもらえたのだ、ほかの誰でもない日和 鈴を、だ。

お腹の中がくすぐったいような、そんな気分に浸っていと突然声がかけられた。


「日和さん」

「はい?」


振り返るとそこには和也がいた。


「こんなところでどうしたんですか?」

「来週から働けることになったので、ちょっと下見をと思いまして・・」


鈴が答えると、和也は笑顔になる。


「もしかして・・受かったんですか?」

「・・はい、受かっちゃいました!」

「お、おめでとうございます!じゃあ次の土曜日の約束では、正社員記念にもなるんですね」


目を細めてうれしそうにする和也に、鈴もこくりとうなずく。


「光葉さんこそ、こんなところでどうしたんですか?」

「僕は仕事の帰りなんですよ。この後特に用事がなければ、あの、よければ、送りましょうか・・?」

「えっ、でも光葉さんに悪いですし・・」


突然の申し出に鈴が断ると、和也はブンブンと顔を振りながら答える。


「いえ全然、全然そんなことないですよ!僕はこの後家に帰るだけなので!あ、でも、迷惑でなければ、なんですけど・・」


最後は自信なさげに声がしぼんでいく。

そんな和也に鈴は「ふふっ」と笑い声をあげると、和也の顔がボッと真っ赤に染まる。


「強引なのかスマートなのか、さっぱりわかりませんね。でもありがとうございます、家まで送っていただけますか?」

「もちろんです!安全運転でいきますね。あ、ちょっと電話だけ先にいいですか?」


少し離れたところで1分もかからず電話を済ませると、鈴と一緒に車の場所まで行く。

ずんずんと三つ葉製薬の敷地内へ向かっていくことで鈴はようやく気付いた。


「じゃ、じゃあ出発しますね」

「よろしくお願いします。あの、光葉さんってここの社員さんだったんですね」

「あっ、はい・・」


少し困ったような顔をして和也は言う。


「だから私のことも応援してくれてたんですね。あと、あの日にスムーズにここに来れたのも理由がわかりました」

「本当、たまたまだったんで僕もびっくりしたんですけど」

「まさかですよね、本当に」


くすくすと鈴が笑うと、和也も嬉しそうに目を細めた。


「でもなんであの日に教えてくれなかったんですか?」

「えっ、なんでって・・そりゃあ・・」


もごもごと言葉を選んでいると、鈴が「あっ」と手をたたいた。


「分かった、私が落ちた時に気まずくなるから?」

「・・じゃあそういうことで」


ふっと笑うと、目じりに少ししわがよった。

その時鈴はあの日のことを思い出した。

とても紳士的な態度で自分を導き、そして最後に子犬のように喜んでいたあの顔を。

一気に顔が赤くなるのが自分でもわかった。


「どうしたんですか、暑いですか?」

「いえ・・少し・・」


顔を冷やすために手でぱたぱたと風を送る。とてもそんなのでは間に合わないのだが。

少しだけ冷房を強めてくれた和也に感謝しつつ、しばらく話していると家へと着いた。


「送っていただいてありがとうございました」

「こちらこそ、突然のお誘いだったのにありがとうございます。久しぶりに帰宅中に会話したので楽しかったです」

「そうだったんですか。私、来週から勤務が始まるんです。会社で会えたらいいですね」


鈴が笑うと、和也も目を細めた。


「はい、でもひとまず土曜日の晩ご飯を・・楽しみにしています」

「私もですよ」


そういうと和也は車を降りて、鈴の方のドアを外から開ける。

手を取って下へと降ろされると、再び鈴はあの日のことを思い出す。


「前は・・こうやって降ろしてもらってから、強引に約束取り付けられたんですよね」

「うぇっ、強引でしたか!?」

「クスクス、冗談ですよ」


思い出して顔が赤くならないように、わざと意地悪な物言いをする。

和也はうまくそれに乗ってくれて鈴の顔は赤くならずに済んだ。

代わりに和也の顔が赤くなったのだが。


「それじゃあ・・また、土曜日に」

「はい、土曜日にまた」


ゆっくりと和也が車に乗り込む。そして発進し、車が見えなくなった。

そこまで見送ってから鈴も家の中へと入った。

荷物を置くと、ほっと息をつく。


「・・こんなのってありですか」


今頃になって真っ赤になった顔は、今度はしばらく冷えることはなかった。

そして冷えた頃になってようやく思い出したパンは、冷めても美味しかった。

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