十八話
「何だよー、珍しく居るから声かけたのに。俺は幽霊じゃねーっつの」
「しょうがないじゃないですか!あのタイミングだったら誰がどう見ても幽霊ですよ!」
ギャンギャンと吠えるように鈴が猛烈に抗議するが道庭はヘラヘラと笑いながら受け流している。どうやら休日出勤だったらしく、これからデスクへ向かうところだと言う。もしかしたら道庭たちが会議室を使うのかもしれないとふと思い立ち、聞いてみる。
「ところで、今日って道庭君は会議室使う予定があったりする?」
「んー?教えてほしかったら、今日の予定は?一也くん(は・あ・と)でしょ?」
「・・あー何言ってるかちょっとよくわかりません」
うわあ、という顔をしながら首を振る。真似をしているつもりなのか裏声で話してくるが、全く似ていない。むしろ無関係でいたいと思わせてくれる。
「つれないねー。今日は会議入ってなかったと思うけど?そんなことよりさーせっかく会ったんだし、これからモーニング行こうぜ」
「えぇ?!今来たばっかりなんじゃないの?」
「ところがどっこい、徹夜なんだなー」
ニッと笑うと眼鏡を外す。その下には厚めのクマがついていた。自分が思っていたよりも仕事が大変そうなことを知り、少し心配になる。
「道庭君、そんなに大変な仕事なの?抜けても大丈夫なの?」
「やーむしろ抜けたいね。このままゴーイングマイホームしてぇよマジで」
「モーニングでよければ・・うん、一緒に行こう」
眼鏡をかけなおしながら「いぇーい」と言っているところを見ると、まだ割と元気そうだ。だが鈴のお腹も先ほどから小さくクークーと鳴いている。会議室の鍵をちゃんと開けたかどうかをもう一度確認してから、道庭の後に続いた。
喫茶店に入っていくとモーニングとランチメニューが同時に頼めるようなスタイルの店らしく、道庭が遠慮なく両方頼んでいた。鈴はモーニングだけに留めると、ホットミルクを頼む。
「道庭君って本当に仕事大変だったんだね」
「ん?だーかーらー言っただろ、俺は出来る男ってやつだって」
ガツガツとカツカレーを平らげながら答える。眼鏡は邪魔らしく、相変わらずテーブルに置いて食べている。トーストをかじりながらカツカレーを食べるという男らしい食べっぷりに、思わず笑みがこぼれる。
「ふふ、すごいな。男の子ーって感じするね」
「最初から俺は超肉食系のメンズなんですけど?鈴ぐらい鈍感だと今頃気付くのかーあーサミシー」
「心にも思ってないような口ぶりで言われましても」
それにしてもよく食べる。本当に徹夜明けか?と言うレベルで食べまくる。どうやら夜食抜きで朝まで頑張ったらしく、食べても食べてもお腹に溜まらないと言っているが、逆に食欲が失せるものなんじゃないのか、と鈴は思う。思うだけで口には出さなかったが。
「あーうめー、もう一杯頼もうかな・・」
「ま、まだ食べれるの?すごい食欲だね」
「んーやっぱやめとくかなー、でもなーサンドイッチぐらいならなー」
メニューをあちこち見比べて悩む姿は、まるっきり子供のようだ。鈴は弟が出来たような気分でその様子を見守る。ふとトーストに手を伸ばすがその手は途中で止まってしまう。
「・・あれ、トースト?」
「俺のお腹におさまりました、なーむー」
両手を合わせて深々と頭を下げる。そんなに欲しいなら言えばちゃんとあげるのに、と思いながら笑いが止まらなくなる。「お?お?なんだ?」と言いながらも楽しそうにしている道庭は謝る気はなさそうだ。それが余計に笑いを誘う。
「も・・ちょ、言えばあげたっのに、アハハ!」
「マジか!なんだよーじゃあ最初から言えばよかったー。あっマスター、ミックスサンドイッチ1つね」
「ってまだ頼むの!?」
「おう。ここのサンドイッチうまいぞ」
そういうとコーヒーをすする。さっき砂糖とクリームをたっぷりと入れていたのを見ていたので、さぞ甘い事だろうと思うが、美味しそうに飲み干す。ぷはーと息を吐くが、飲んでいたのはコーヒーに間違いはないはずだ。そしてコーヒーはおかわりをするようである。
「ところでよ、この前?つかもうかなり前か。ヒカミってやつが俺の事聞いて回ってるって聞いたんだけど」
「あっ、うん・・それは事情があって」
「ふーん?何、教えてよ」
ノーと言わせない笑顔だった。しぶしぶぼかしながらも概要を伝えると道庭は珍しく怒りを見せた。
「何だよそいつ、イミワカンネー。勝手に勘違いして、勝手にかき回して、で処分無し?信じられねえ」
「そうでもないよ。もう上司にしっかりと目つけられてるから、あんまり派手には動かないし。それに私はもう興味から外れてるから、全然平気」
「フーン。鈴ってさーお人よしだよな」
何故かつまらなさそうにそう言うが、鈴も困ったように「そうかなー」と言う程度だった。こればかりはご縁がなかったと思うしかない。それに氷上とは縁がなかったが、他の社員とはそういうややこしい縁が無さそうだ。
「俺みたいに意味わかんねーのに絡まれても、文句ひとつ言わねーしよ」
「いや言ってるよ?聞き流してるだけでしょ」
「あんなの文句なんて言わないっつの」
無遠慮に鈴の頬を指でつねるとビヨンビヨンと引っ張る。
「いはははは」
「餅みてーに伸びるな!うまそー」
カプリと頬に噛みつかれる。え?と思った時には口は離れていたが、ポカンとしたままでいると道庭がニヤリと笑う。
「隙だらけだし、な。おーい、何されたか分かってる~?」
「・・人のほっぺ勝手に食べるのよくないと思う」
「ほらな、こんなことされても怒らないとか、マジお人よし過ぎるだろ!あ、サンドイッチきたー」
道庭はすぐに興味をサンドイッチに移すと、ムシャムシャと食べ進める。未だ事態を把握しきれないままにぼんやりしていると、目の前に一つ差し出される。
「いるだろ?食えよ」
「あ、うん、ありがとう。イタダキマス」
一口かじると道庭が言っていた通り、確かにこの店のサンドイッチは美味しかった。
そのまま喫茶店で別れると鈴は自宅へ戻っていく。もちろん前回同様に伝票を持ち逃げした道庭によって、また昼食を一緒に食べることを約束させられたのだが。
家に帰って時計を確認すると、まだ午前10時だった。モーニングと言う割に、長々と喫茶店に居座ってしまっていたようだった。実際ランチメニューまで頼んでいたので、そういう部分で言えば妥当な時間だったのかもしれない。とにかく鈴は途中でメールしておいた神木から返事がきていないかチェックする。
「あ、無事に会議始まったみたい・・良かった」
ホッと胸を撫で下ろすと、夕方には施錠に向かわないといけない事を思い出した。会議室の鍵を預かることがこんなに面倒だとは思っていなかったため無意識にため息が出た。そのままいつも通りに家の中のことを片づけると、鈴は持って帰ってきた資料をチェックする。
「えーと・・えーっと・・?あれ、ここにいつも入れて・・あれ、あれ!?」
この一週間、確かにぼんやりはしていた。ぼんやりはしていたが、きちんといつもの場所に仕舞っていたはずだ。それなのにそこに資料が入っていない。持ち出し厳禁の資料をわざわざ神木が融通を利かせてくれたのに、これでは面目が立たない。
鞄の中身を全部ひっくり返して探したが、どこにも資料は無かった。
「ひえええ、どうすんのこれ!?思い出せ、思い出せ、ああああ思い出せ・・」
金曜日。出勤してから資料を読みつつ通常業務を終える。昼食をとったかは覚えていないが、多分強制的に取らされたのではないかと思う。その後午後の業務と資料を使った業務を仕上げていき、21時になったら退社する前に神木に用紙を申告して、資料を鞄に入れる。
入れた、確かに自分は鞄の中に入れたのだ。だが実際にはどこにも見当たらない。なぜだろう、と頭を悩ませていたが帰りの支度をした後で一度デスクに鞄を置いてトイレへ行った。戻ってきてからデスクの上の書類を少し整理し、鞄の中身と入れ替えたものもあった。
多分その時に間違えて入れ替えてしまったのだろう、という検討を付けて鈴は夕方早めに会社へ向かうことに決めた。
「あれ、日和さんまた来たの?どうしたんだい今日は」
「うう・・恥ずかしながら、戻ってまいりました・・」
会社の警備はこの人しかいないのだろうか、常に受付で立ち業務をしているこのおじさんにまさか1日に2度もお世話になるとは思ってもみなかった。今度は会議室の施錠と、事務室の忘れ物を取りに来たことを説明すると「困った新人さんだねえ」と言いながらも中へ通してもらえた。
平謝りしながら会議室へ向かうと、まだ中から微かに声がしていた。先に事務室で資料を探すことにして、誰も居ないと知りながらも一応ノックをして中に入る。無人でガランとした事務室は、いつもより広いなぁと考えながらデスクへ向かうと、そこには持ち帰る予定だった資料が置いてあった。
「あ、あった・・!こんな堂々と忘れて帰るって、私逆にすごいわ・・」
無くしていなかったという事実に安心してその場で資料を読みふける。何と無く暗くなってきたと思い時計を見ると、17時を過ぎてしまっていた。会議室のことを思い出して見に行くと声はもうしていなかった。
一応ノックをして中を確認してみたが、誰も居ないようだったのできちんと施錠をすると、鈴は持ち帰る予定だった資料を連れて帰路についた。
「おはようございます、舞原さん」
「日和さん、おはようございます」
一週間の始まりだ。やはり朝一で舞原に挨拶をしないと気持ちが引き締まらないな、と思いながら朝の業務をする。皆ギリギリの状態で週末を終えたため、土日を挟んだことで鋭気を養えたようだった。久しぶりに張りのある声がそこかしこで聞こえてくる。
あっというまに朝礼が終わると同時に、社長が事務室のドアから入ってきた。そして神木と場所を変わると笑顔で激励をする。
「おはよう皆。先週は立て込んでいて中々顔を出せなくてすまなかった、通常業務との並行も厳しかったと思う。月末まで波はあれど、こんな感じになってしまうかもしれないが、どうか力を貸してくれ」
頭を下げると拍手が鳴った。それを手で制してから続ける。
「ところで、神木君。日和さんと一緒にこれから社長室へ来てくれないか」
「分かりました」
「それじゃあ皆、健闘を祈る」
神木が社長の後ろをついていくのに従い、鈴も更に後ろについていく。もしかしたら業務内容でやらかしてしまったのだろうか、と内心焦っていると神木は「大丈夫だから」と小声で鈴を励ました。そのまま社長室へ入るとソファに座るように勧められる。
「単刀直入に言おう。神木君は、新人にどういう教育をしているのかな?」
「事務室にいるメンバー全員で日和さんの仕事のフォローをしておりますが、行き届かない部分がありましたでしょうか」
「昨日、休日出勤した社員がいるのは知っているかい?」
神木は怪訝な顔をして首を振る。それを見て鈴は心臓が早鐘を打ち始めた。
「日和君、君はどういう理由で昨日出勤しに来たのだったかな」
「わ、私は、昨日朝メールがきて、神木さんに金曜日の帰宅前に開けるように言ってあった鍵を開けていないなら、これから行ってほしいとあったので出勤しました」
「えっ!?」
目元を鋭くさせながら一樹が聞くため、しどろもどろになりながらも理由を説明する。すると神木は意味が分からないという顔をして鈴を見やった。二人の食い違う主張を聞きながらも、神木の方に視線を投げつけながら「どういう事かな」と問いかける。それは間違った答えを許さないという厳しいものだった。
「・・社長には申し上げておりませんでしたが、私は金曜日の朝の通勤の際にケータイを紛失していました。土曜日の夜に連絡があったので駅まで取りに行きましたが、日和さんが言っている時間帯に私の手元にケータイはありません」
「そん、な・・」
愕然とした顔で神木を見ると、神木もわけがわからないという顔をして鈴を見る。一樹は二人の顔を見比べながら無言のままだ。重たい空気がしばらく続いてから、口を開く。
「・・わが社では、それぞれの部屋の鍵を社員に1つずつ預かってもらうというシステムを取り入れている。会社の一員であり、責務をきちんと負ってほしいからだ。だがきちんとスペアキーは警備室に保管している。つまり、日和君が休日出勤する意味がない、ということだ」
「それは、っわ、私が嘘をついていると・・?」
白い目を向けられていることに気付いて、慌ててポケットにあったケータイを取り出してメールを見せる。それをしかと読んでから、今度は神木に視線を合わせてケータイを渡す。
「この本文に、見覚えは?」
「・・ないです。私の送信履歴にも、そういった類のものは残っていません」
素直にケータイの送信履歴を見せると同時に、深く頭を下げた。
「私が日和さんに、しっかりとスペアキーのことを説明していなかったのがいけませんでした。社長にお手数をかけて、本当に申し訳ありませんでした」
「・・今回はケータイを紛失している間に送られたメールってところが疑問だけどね。どっちにしろいたずらにしては性質が悪すぎる。神木君も満員電車ではもうケータイを手放さないように」
「はい、以後気を付けます」
もういいよ、と言われて二人で深く頭を下げてから社長室を出る。しばらく無言のまま歩いていくが、事務室に入る前に神木はようやく鈴の方に振り返った。
「・・ごめんね、日和ちゃん・・。私がケータイなんて、無くしたばっかりに・・ッ」
ぽろぽろと涙をこぼす神木に、鈴はどうしていいか分からずに首を振ることしかできなかった。肩を小さくしながら泣く姿は触れただけで倒れてしまいそうだった。
「でも、ね、ッ信じてほしいの・・。本当に私ッ、知らないの・・」
「ハイ・・手元に無いのに、あんなメールは出来ませんから、ね」
「信じッて・・くれるの・・?」
眼鏡を取ってハンカチで涙を拭きながら鈴を見やる。神木にも確かに過失はあったが、実際のところ手元になかった物への追及をするほど、鈴は事を荒立てようとは思わなかった。
休日出勤はしてしまったが、それで特別どうあったわけでもない。ましてや無くしたと思った資料も見つかったので、結果オーライだ。
「当たり前じゃないですか!神木さんが私を信じてくれたように、私も・・絶対に神木さんを信じています」
「・・ありがとうッ!」
眉を寄せながら、信じてもらえた安心感からか再び涙があふれ出る。どうやって声をかけようか悩んでいると、事務室のドアが開いた。
「えっ、神木さんどうしたんですか!?」
「・・どっからどう見ても日和が泣かせたとしか思えないんですけど」
舞原が二人を見比べながら状況を把握しようとする中、氷上はジト目で鈴を見ながらそう呟いた。舞原の声で室内に居た他の社員が集まってくる中でのそれは、鈴には重たく感じられるものであった。だが先ほどの出来事を皆に伝えて良いものなのか、判断しきれずに神木を見ると一度コクリと頷いた。
「皆に・・聞いてほしいことがあるの」
社長室でのやり取りと、かみ合わないお互いの意見、そして怪文書とのつながりについていろいろ憶測も飛び交ったのだが、皆が納得のいく結果はついに見つけることが出来なかった。それでも神木は精一杯鈴をフォローすると、最終的に自分が悪いというように締めくくった。
そして改めて鈴に謝罪すると「もう心配ないから各自の仕事に戻るように」と伝えてその場を立ち去った。気になって追いかけようとしたのだが、周りの「今は一人にした方がいい」という意見に従って鈴は自分のデスクで気分が晴れないままに仕事を仕上げていった。