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十話

「・・飲みすぎた」


ガンガンと不協和音を奏でる頭を起こすのに、たっぷり40分かかった。普段靖春と飲むときにはこのように泥酔状態になることはないのだが、どうやら昨日は飲みすぎてしまったようだ。普段から飲む量は多い方だが、あのように緊張が高まった状態で飲むのは久しぶりであった。

そのためか全く、というわけではないが所々記憶が怪しいところがある。寝る前に枕元に置いておいた2リットルの水は半分以上無くなっていた。どうやら夜中に起きて何度か飲んでいたようだ。


「とりあえずケータイを・・」


一応充電器にささっていたケータイを見ると、メールが13件となっていた。昨日は皆が酔っ払いになる前に、全員のアドレスを交換していたことを思い出す。中身はケータイ番号と一言が書いてあるものばかりであったが、番号が10ケタのものもチラホラあった。番号は後日改めて聞いた方がよさそうである。

すでに朝の10時を回っていたため、この時間なら大丈夫だろうとメールの返事を送る。こまごまとした作業だが必要な潤滑油だと自分を奮い立たせた。


「和也さんから・・そういえば昨日メール返事するの忘れてたっけ」


クビ宣告を免れ、気持ちに余裕が出来たので昨日よりはまともな返事が送れるはずだ。なぜか新着メールとして届いているが、間違えて未開封に設定しなおしたか、と思いながら本文を開くと見覚えのない文字が並んでいる。


「僕なんかでいいのでしょうか、これからいろんな鈴さんを知ることが出来たら嬉しいです。おやすみなさい・・?・・いや、いやいやいや・・・イヤイヤイヤイヤ」


自分で自分に問いただすが、全く記憶にないものである。全身の血の気が引いていくのを感じながら、送信履歴を確認する。


「違う、違う、違う・・オウマイガッ!!」


別の痛みで頭を抱えてベッドに丸くなる。手は細かく震え、顔は蒼白になっている。もちろんそれを確認する人は誰もいないが、ひどく空気がどんよりとしていた。そしてそのまま鈴は意識を手放したのであった。


「・・ず・・・・いって」

「違う・・違うの、違うんだって・・」

「・・・もー・・・・・ったく・・・・・」

「・も・・・・すみ・・」


夢の中で誰かが勝手に家の中に入ってきていた。それは靖春にとても似ていて、ひどく安心した。だがもう一人の影が見えた瞬間鈴は消えてなくなりたくなった。二人は親しげに会話をしながらコーヒーを飲んでいた。甘いお菓子の匂いもする。

あまりに現実に近すぎる夢に違和感を覚えて目を開けると、部屋にはコーヒーのいい香りが満ちていた。そして有名洋菓子店のケーキがお皿に乗せられており、見慣れた二人がその空間でお茶を楽しんでいた。


「あ、やっと起きたー。鈴大丈夫?飲みすぎたんでしょー、もー」

「お邪魔してます・・すみません、勝手に上がってしまって」

「いーのいーの、約束してたならこの子が悪いんだから」


靖春が気安く話しているのは、どこからどう見ても和也であった。鈴はまだ自分が夢の続きを見ているような気がして頬を思い切りつねると、痛くて涙が出てきた。


「・・いふぁい・・夢じゃないの」

「鈴~酒は飲んでも飲まれるな、でしょ?全く・・お水飲んじゃいなさい」


手際よくコップに水を注ぐと鈴の口の当てる。それをためらうことなく飲み干すと、和也と目があった。

その瞬間お互いにボッと顔を赤らめる。


「何よー、何かあったのー?二人とも顔真っ赤よ?」

「いや、その・・あの、昨日は本当にすみませんでしたあああ」


ベッドの上で和也に土下座をしながら昨日の流れを靖春に説明する。

酔っぱらってトイレでリバースしてから和也にメールを送ったこと。なぜそのタイミングだったかは分からないが、自分的には今しかないと思って送ってしまったこと。

更にその内容がひどく「私は会社に歓迎された」と「酷く裏切られていた」とポジティブとネガティブを交互に織り交ぜたものであった。そして最後に「こんな私じゃ和也さんに恋する資格がない」という文章で締めくくられていたこと。それが夜中の1時過ぎに送られていたこと。


「全て私が悪いです、本当に申し訳ありませんでした・・」


恥ずかしさで消えてしまいたい、と半泣きになりながら土下座を続けていると和也が近くに来たのが分かった。頬の一発や二発仕方がないことだ、と諦めて顔を上げると寂しそうに和也は笑顔を作っていた。


「そんな顔、しないでください。僕は日和さんの気持ちがウソ偽りなく書かれたメール、嬉しかったです。勘違いしてしまった僕も・・悪かったんです、今朝から何も食べていないでしょう?春さんが美味しそうなご飯作ってくれてますよ」

「あ、はい・・」

「ほらこんなにたくさん目やにがついてますよ?顔を洗ってシャキっとしてきてくださいね」


ほらほら、と促されて洗面所に向かうと確かに目やにがついていた。たくさんではないが、洗顔をしていなかったので目頭が少しかゆい。ジャブジャブとお湯を使って顔を洗うと靖春に声をかけた。


「和也君?帰ったわよ」

「え?」


ポカンとしていると、先ほどの一連の流れを自分の中で客観的に見ることが出来た。


「・・そりゃ帰るよね、あんなことされたら私も怒ると思うもん」

「ハァ。とりあえずご飯食べちゃって、デザートは和也君が持ってきてくれたのがあるから」


鈴はどんどん気持ちが落ち込んでいくのが分かったが、ご飯を食べ終わるとそんな気持ちも少し上向きになった。デザートに差し掛かった時点で再び下降の一途を辿ったが。

無言で食べ進める鈴を横目で見ながら、深くは何も聞かない靖春の隣は、とても居心地がよかった。今は自分と向き合う時間が欲しいというのを言わなくても分かってくれているからだ。もちろん靖春の気持ちもほかの人よりも汲むことが出来ていると思っている。靖春は近くにいてくれるだけで安心できて、落ち着ける存在なのだ。


「ほら鈴、お茶」

「ありがと・・春ちゃんは、本当に優しいね」

「どういう風の吹き回し?あたしが優しいのは当たり前でしょ」


フフンと鼻を鳴らして乳を揺らす。見れば見るほど惹きこまれていく魅惑のボディだ。


「鈴はさ、和也君がなんで帰っちゃったと思ってるの?」

「昨日怒らせるようなメール送っちゃったから・・」


靖春がふむ・・と言いながら顎に手を当てて考える。そんな姿でさえも艶っぽくて、鈴はうらやましかった。元が男性だと思えないほど綺麗に整えられた身体もさることながら、顔も元々少し色っぽい流し目だったため女性になっても違和感がない。髪の毛を伸ばしてメイクをしただけ、と教えてもらった時は「鈴の目玉が飛び出るかと思った」と靖春が言うぐらい驚いたものだった。


「そっか。鈴はどうするの?」

「・・もちろん、謝って許してもらいたいと思ってる。でもこういうのって、許すって言われても本当は根に持たれてる気がして、言いづらいな」


鈴が小さく体操座りをすると、靖春が静かに近づいてきて後ろから抱きしめる。回された腕に自分の手を添えると不安な気持ちが少しずつほぐれていく。出会ったころから寂しい時や不安な時にこうして包み込んでくれた。最初はもちろん「そういうことをしないで」と拒絶したが、そんな拒絶をものともせずにどんどん鈴との距離を縮めてきて、今では落ち込んだ時はこうするのが二人の自然なスタイルになっていった。

途中で性別が変わるという出来事があったが、周りにとっては驚きでも、二人にとっては些細な出来事にすぎなかった。


「大丈夫、かな。うまくいく・・よね?」


不安げにつぶやく鈴を靖春は優しく抱きしめ返す。


「あたしはいつも鈴の味方よ、辛いときに辛いって言わないでどうするの。一緒に乾杯して騒いじゃえば、気持ちも落ち着くわよ」

「うん・・ありがと」

「鈴、無理だけはしないでね」


しばらくそうしてから靖春は夕方の仕事に出かけて行った。ポツンと部屋に一人になると急に広く感じてしまって、なんとなくケータイを片手にぼんやりとしていた。






***






月曜日になり、いつもの朝がきた。会社に行くために朝起きて支度をして出勤する。

平日は毎朝同じ時間に通るので、なんとなく同じような顔ぶれが駅への道を歩く。鈴は一週間前に入ったばかりの新顔だったが、アイロンをかけて伸ばしたスーツを着ていると世間に一人前と認められた気がして背筋が伸びる。

いつものルートを使って会社に着くや否や、鈴は試練に襲われていた。目の前には和也の使っているファミリーカーがある。前に車種を聞いたのだが忘れてしまった。シルバーの光沢のあるボディは、いつ見てもピカピカに磨き上げられているので見間違うことがほとんどない。

「中から出てきませんように」と祈りながら横を通り過ぎると、正面玄関から和也は出てきた。


「おふぇっ!」

「あぁ・・日和さん。おはようございます」

「おはようございマス」


にっこりと穏やかな笑顔で挨拶をされるが、それはいつもの和也のようでそうではなかった。どこか他人行儀な顔つきは、鈴の気持ちを暗くしていく。挨拶が済むと和也はすぐに車に乗り込み、奥にある駐車場の方へ行ってしまった。もちろん普通のことなのだが、今はそれがなぜか無性に悲しかった。

正面玄関に入り、警備員に挨拶をして階段で事務所へ向かう。


「おはようございます、日和さん」


ドアを開けてすぐに舞原が声をかける。いつもは鈴からかけるばかりだったので、少し変な感じだなと思っていると苦笑しながら近寄ってくる。


「おはようございます、舞原さん」

「いつも日和さんからだったから、少し変な感じ・・ね」


自分と同じように思っていたことをそのまま口に出されたので驚いて目を開くと、舞原がおかしそうにクスクスと笑う。その顔を見ると、先ほどの悲しい気持ちが少しだけしぼんでいったような気がした。そしていつも通りに二手に分かれて朝の作業をすると、徐々に事務所にも人が集まりだす。

いつもの朝なのに、いつもの朝ではないような不思議な気持ちだった。厳密に言えば同じ朝は二度あることはないのだが、声をかければ返ってくる言葉がある。それだけで満たされた気持ちになり、鈴は自然と笑顔になっていった。


「皆さん、おはようございます。今日からまた仕事漬けの毎日です、キリキリ働いて定時退社を目指しましょう!」


朝礼の際の神木の言葉はいつもの半分以下で終わった。研修中のあの言葉の数々は、新人のための言葉だったらしい。そしてその言葉が無くなった今、鈴は一人前の事務職員としての活躍を期待されているということになる。

改めて自身の立ち位置の確認ができ、気持ちも新たに仕事に挑もうと意気込んでいるとノックと共にドアが開かれた。


「皆おはよう」


振り返ると社長が事務所へ入ってくるところであった。神木と場所を交代してもらい、秘書が書類を配る。


「新入社員が研修を無事に終えるのは久しぶりだからね、少し仕事を増やしてみたよ。僕の会社のためにキリキリ働いて定時退社を目指してくれたまえ」

「社長・・聞いてましたか、さっきの」


神木の言葉にニコリと笑顔を向けると、向けられた方は顔を真っ赤にして頭を下げた。それを見て鈴の胸がツキンと刺されたように痛んだが、顔が同じなだけ、と頭を振った。一人ずつ皆の肩を叩きながら一言ずつ声をかけていくと、最後に鈴の肩にもポンと手が置かれた。


「たっぷり働いてもらうから、入社したことを後悔しないようにね」

「もちろんです!社長のために働かせてください」


意地悪そうな顔をする一樹に嫌味たっぷりな笑顔で答えると、すぐに顔を逸らして事務所から出て行ってしまった。金曜の夜のような腹の探り合いをするかと思っていたため肩すかしをくらってしまい、鈴は少し不満げに一樹を見送った。


「日和さん、こっちへ」

「あ、はい」


神木に呼ばれてデスクへ向かうと、鍵を渡される。


「この鍵をあなたに預けるわ」

「会議室ですか?2階のってことは、この間借りた場所ですね」

「そうよ、そこの鍵を日和さんに預けるわ。いつでも使っていいわよ」


鈴はさっそく鍵の管理を任されるなんて信頼されてるなあ、ととりあえず素直に預かる。そして神木の次の言葉に思わず時計を確認した。


「今日はそこに置いてある資料を60部ずつ印刷して、まとめてほしいの。多分1日がかりの仕事になるから会議室は好きなように使って。その代わりに会議室を抑えられたのは今日だけだから、出来る限り今日のうちに済ませてほしいの」

「分かりました」

「コピー中は手持無沙汰になってしまうから、この伝票の整理も出来るかしら?」


ニッコリと笑顔を崩さずに伝えてくる神木に「もちろんです」と返事をすると、鈴はさっそく事務所を出て行った。


「・・よろしくね」


鈴の後姿に声をかけるが、その声は小さすぎて鈴には届かなかった。

一方会議室へ向かう鈴は、今まで本当に事務的な会話をしているだけだったので、このように笑顔のやりとりにやりがいを感じて、スキップでもしてしまいそうな気分になっていた。この先にある会議室の扉を開くと、そんな浮ついた気持ちが一気に固まってしまうのをまだ鈴は知らなかった。

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