あぁ、お花畑2
中井は何もやることがないので、ベッドで横になった。
天井を見つめる。白い天井。あの時の空みたい。
そう思っていたとき、「あのぉ」と、聞き覚えのある声がした。
中井はふと病室の窓を見た。すると、昨日現れた幽霊が外で手を降っている。
黒いローブのそいつは、窓をすり抜けてベッドの横に来た。
「大丈夫?」中井の顔を覗くように見る。
中井は顔をしかめる。
「ねぇ、大丈夫?」
中井は無視をして目を閉じる。
「ねぇねぇねぇ、大丈……」
「うるさい」幽霊の気遣いを遮るように小声で言った。
「大丈夫?」
「……あれは、なんだったんだ?」
「何って、悪霊だよ」
「……」
「君を欲しがってたでしょ?」
「……」
「今の君の魂は極上物だって。あっちの世界でね、すっごい噂になってるよ。知ってた?知るわけないよね?」
「……」
中井は目をこする。
「あの女の子は昨日からいたよな?なんでその時に始末しなかったんだよ?」
幽霊はふわりと浮かび、反対側の方に降りた。病室の蛍光灯が、チラチラと不安定に光りはじめた。
「さまよう霊は、突然悪霊に変化する。前触れもなくね。いやぁ、僕も昨日の昼に声をかけたんだよ。そしたら、うんともすんとも言わないでずっと泣いてるんだもん。まいったよ。『あー、これ、悪い子になっちゃうかなぁ』って思ったら、本当に悪い子になっちゃったよ」
「お前、悪霊しか扱えないのかよ」
「いやぁ、そんなことないよぉ。僕の仕事は、この世で迷っている霊や悪さわする霊を、あの世の閻魔様のところに送る仕事をしているの。あの世への送り屋的な感じかな?」
「へぇー」
「その為に、この鎌があるんだ。この鎌はね、一振りで霊をあの世へ送る、不思議な力があるんだ。これ、閻魔様からのプレゼント」
「あー、そぅ」
「鎌だけじゃないよ」
と幽霊は、腰にある短刀を取り出した。
「これも、閻魔様からのプレゼントなんだ。それと同じ効果があるんだ」
「ふーん」
「あれ?興味ない?」
「全くない」
中井は布団に潜り込んだ。すると、社長が病室に戻ってきた。
「トシ坊、看護師さんがダメだって」
社長は頭をかきながら言った。中井はかぶっていた布団から顔だけ出して社長を見る。
「ダメなんですか?」
「あ、あぁ。明日きちんと診察して、本当になんともなければ退院できるんだと」
中井は天井を見た。いかにも残念そうな表情だ。社長はそんな社長を気にすることなく続けた。
「あとの事は大丈夫だから。3日くらい休め。それとも何か?俺や由美達を信用してないのか?」
「いえ、そんな……」
「なら休め。お前の責任感の強い気持ちはわかるが、仕事は体が資本だ。だからしっかり休んで、いつものように元気に出社してこい」
「……わかりました。」中井は社長に瞬きで一礼した。
「よし。じゃ、俺帰るわ。よく寝ろよ」
「おやすみなさい」という中井の言葉を聞いて、社長は病室を出て行った。
中井は目を閉じ、ため息をついた。ベッドの横にいる幽霊は、彼の顔を覗き込む。
「ねぇ、ため息ついたら、幸せ逃げるよ?」
「そんな事で逃げる幸せなんて、いらねぇよ」
「もぉ、元気ないなぁ」
幽霊は中井の寝ているベッドの上をふわふわと漂い始めた。
「ねぇ知ってる?憂鬱な気分の時は、むしろ暗い音楽を聴くといいんだって」
中井はもちろん無視。
「心理学的には、気分と反対のものより、同質のものを聞く方が、精神が安定するんだって」
「……」
「もぉー、元気だしてよぉ」
「うるさいっつってんだろっ」中井は勢いよく起き上がった。
「誰のせいでこうなったと思ってんだ。全部あんたのせいだろうが」
「だからごめんって……」
「『だから』って、お前がいつ俺に謝った?」
「え?ほら、さっき……」
幽霊は涙目になっている。それを見た中井は、怒るのをやめた。
「泣いて許されると思ってんのか」
その時、中井の怒鳴り声を聞いた看護師が病室に入ってきた。
「中井さんどうしました?ナースステーションまで聞こえてますよ?」
中井は、あっという顔をした。
「す、すみません。気が動転して……」
「中井さん、ここは病院ですよ。他の患者さんたちは寝ているので、静かにしてください」
「す、すみませんでした」
と中井は軽く看護師に頭を下げ、幽霊をにらんだ。
「やーいやーい、怒られたー」幽霊はそう言うと、自分の頬を引っ張り『べーっ』という顔をしてみせた。
「むかつく。ガキかお前は?」
中井はまたベッドに横になって深呼吸する。
「違いますー。立派な大人ですー。もうフッサフサな大人ですー」
「え?フサフサなの?」
「見てみる?」
そういって、黒い布を下から捲り上げようとした。
「見ねぇよバーカ」中井は苦い顔をする。
「で、お前は何でここにいる?俺に何を望んでる?お前は一体なんなんだ?一発殴らせろ。そして俺の目を返せ」
「ちょ、ちょっと、いっぺんに質問しないでよ。僕の脳内キャパシティがログアウトしちゃう」
「やかましい。こちとら死ぬところだったんだぞ。さっさと答えろ」
幽霊の笑っていたかおは、一変して真剣な顔になった。
「うーん、どこまで話そう?」
「全部話せ」
「えーっ?」
「それが俺に対するお前の義務だ」
一瞬沈黙が走った。そして幽霊は答える。
「じゃあ言うね。僕は幽霊。この世で迷ってる霊や悪さをする霊を、あの世の閻魔様のところに送る仕事をしているの。あの世への送り屋的な感じかな?」
「それさっき聞いた」
「でね、君にお願いしたいことは、…うーん、別にないや。そのままでいいかな。そうそう、最近あの世に来る霊が極端に少なくなってるんだ。たぶん、この世で未練を残している霊がいて、あの世に行くのを拒んでるんだと思うんだけど」
「ふーん」
「僕は君を囮にして、君のそばで霊をバンバンあの世へ送ろうと思ってる。もちろん、君の魂を狙ってる霊がいっぱいいるから、僕は君の命を守る。そのためにも、君には幽霊が見えるようになってもらわないと困るんだ。あ、殴るなら顔はやめて、ボディにして」
「……」
中井は目を閉じた。彼の癖で、考え込むとには、こうやって目を閉じる。が、幽霊の一言で、彼はすぐに目を開ける。
「あ、そうだ。僕に名前をつけてよ」
「はぁ?」
「だって、僕、名前がないんだよ。今後、相方として一緒にいるんだから、やっぱり名前が必要でしょ?」
「いや、まだ協力するとは言って……」
「早く早く早く早く……」
中井は、勢いよくしゃべり倒す幽霊に、思わず困惑した。
「だから、まだ協力するとは……」
「早く早く早く早く……」
「うるさいっ。静かにしないと協力しないからな」
「はーい。静かにしてくれたら、協力してくれるってことで」
「……俺の生活を壊さないなら協力してやる。ただし、死にそうになったり、お前がヘマしたら、相方解消だ。わかったか?」
「うん。わかった」
「……名前ねぇ……」
中井は考える。
「お前さ、男?女?」
「男。」
「女みたいな顔してるよね」
「うん、オカマじゃないかって、よく言われる」
「だろうな」
「君もそう言うの?」
「だって、たまに女みたいな口調になるから……」
「失礼しちゃう。初見からそう思ってたんだね。あぁ失礼しちゃう」
中井は鼻で笑った。
しばらく中井は考えた。その間、幽霊はソワソワしている。中井の周りをグルグル回っていた。
「よし決めた。お前の名前は『ゴース』だ。ゴーストだからゴース……」
「うんわかった。僕の名前は『ユリ』ね」
「お前、聞いてた?」
「うん、ユリって名前、いいね。シビれるね。かわいいね」
「お前、ホントにぶっとばすぞ」
「ぅわーい。僕に名前ができましたー。で、君の名前は?」
「は?」
「だから、名前」
「中井智之」
「ナカイトシユキ?あのね、この世界では本名は名乗っちゃダメだよ。すぐ体を乗っ取られるからね」
「お前、ホントにムカつくな」
「ねぇ、ニックネームは?それで呼ぶよ。
「……トシ」
「トシ?何のひねりもないね」
「よぉし、お前顔出せ。ボコボコにしてやる」
「あはは、冗談だよ」
ユリはまた病室を縦横無尽に回り出した。
「じゃ、トシとユリね。よろしくー。はい、お話終わり」
「……まぁ、聞きたいことはまだあるけど、もう寝るわ。あんたは寝るの?」
「僕は寝ないよ。君をずっと見てる」
「……気味が悪い」
「ははは、酷い言われよう。おやすみ」
「……あぁ」
中井は目を閉じた。ユリは部屋の片隅で中井を見守っている。
外は、風が止み、草木も眠っているのだろう、とても静かな時が流れていく。