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一年生 五月

「それじゃあ、一〇時間後にここに集合」

 現在の時刻は午後八時半。おれ達のいる委員会室には他にはもう設備装飾部門の数名が残っているだけだった。間に合わなかった輪飾り、というのだろうか、紙で輪を作って次々つなげていく七夕でよく見る飾りをせっせと作っている。ご苦労なことだ。床には作られた飾りがとぐろを巻いていた。

「吉川くん、聞いてる?」

ぼんやりしていると我らが班長、榛名先輩がおれを睨んで言った。

「ああ、はいはい、聞いてますよ」

「じゃあ明日の集合時間は」

「六時でしょ」

「よかった」

二つ結びの彼女は深呼吸をして委員会室を見回した。怒られるのかと思ったのに安心されてしまうとなんだか申し訳ないような気持ちになってしまう。

「じゃ解散っ。委員会室に荷物置いたら必ず倉庫前来てね。OK?」

 返事なのか呻きなのか、うわ〜い、と声をあげて疲れた表情をしていたみんながイスをがたがたいわせて立ち上がった。おれも一歩遅れて立ちあがる。家帰るのは九時半だな、と考える。塾の日も帰りは遅くなるのだが、今日は塾の何倍も疲れた気がした。

 明日が、本番だ。


    *  *  *


 帰宅途中のサラリーマンや他の学生と共に満員電車に詰め込まれて帰路につく。ネオンランプが窓の外を通り過ぎていく。すぐに住宅街に入ってネオンは消え去った。

 今日は五月二十三日。弓川祭前日。

 おれの通う県立弓川高校の文化祭である弓川祭にはごくわずかな生徒と先生のみが知る秘密がある。

 なんて、安っぽいサスペンス映画のコピーみたいなことは言いたくはないんだが、それでも中二の途中からずっと帰宅部なおれが学園祭前日にこんな時間まで学校に残っているのも、そもそも委員になってしまったのも、去年の弓川祭のときにおれがあんなところに立っていて、あんなものを見てしまったからだ。



    *  *  *



 去年、高校一年生だったおれたちのクラスは学園祭で縁日をやっていた。何の案も出さなかったおれが言うのもなんだが特に何のひねりもない学園祭の定番だ。実際他のクラスと被りそうになって、他のクラスがプラネタリウムに変えることになった。縁日をやろうと誰が言い出したかは忘れてしまったし別に誰が言い出したというわけでもないのかもしれなかったがおれと同じ中学出身の金川がクラス委員をやっていた。そのせいで金川とそこそこ仲のいいおれはたくさんシフトを入れられてしまった。それでもってきっかけもあいつだったんだと今になってみると思う。おれが弓川祭実行委員会学園祭警備隊に入る、というか半ば強制的に入らされることになったきっかけ。

 どこから話したものか。そう、金川がおれにゴミ捨てを頼むまでおれは受付に座っていた。

「はい、ではこちらにお名前を書いてください。このカードを持って行ってくださいね。・・・んだよ」

 せっかく我ながら似合わない営業スマイルを振りまいてやっていたのに、と、肩をたたかれて振り返ると間近に金川が立っていた。

「うわ」

マンガなら「どーん」とか効果音がついていそうな仁王立ちの金川はおれが驚くのも気にせずに今度はいきなりおれの耳に手を当てて、

「吉川あー、ちょっと手伝ってくれないかー。ゴミ捨てに行くから手伝ってくれ」

そのままおれの耳元で囁き声でそう言ってきた。気持ち悪い。

「ええー今受付中なんだけどな。だれか他の人に言えよ」

おれは金川を押しのけた。

「だめだめ、女子しかいないじゃん。女の子にゴミ袋持って走らせられないよ」

意外と紳士だった。だがおれが奴に付き合ってやる義理はない。

「えー、じゃおれもやだよ。っていうか持つのはともかく何で走るのさ」

「朝間に合わなくて出し損ねちゃってさ。委員のやつらに見つかって減点されたらクラスのみんなに申し訳ないじゃん。だからこう、裏からこっそりとさ」

 弓川の出し物の準備のルールだと本当は学園祭のはじまる九時までにゴミは出しておかなきゃならないそうなんだが、うちのクラスは装飾が間に合わなくて九時ぎりぎりまでやっていたから間に合わなかったらしい。ルール違反はペナルティとして出し物のグランプリ投票の得票から減点される。これはおれが委員会に入ってから知ったことだが。この時にのおれには金川の話は正直半分くらいしか解っていなかった。

「一人で出しに行けよ。おれを共犯にすんな」

「客がいる時にゴミ運ぶのもどうかと思うけど、客がいるときにゴミ放置ってのももっとどうかと思うんだ」

 まあ確かに。って待て待ておれ。乗せられてどうする。

「なるほどだろ。行ってくれるか、そうかそうかありがとう吉川くん」

 金川はおれのセリフを勝手に捏造しておれを立たせてゴミ袋を押し付けた。う、意外と重い。一体何が入っているんだ。

「あ、粘土入ってるから重いよ」

 なぜ!?一体どこに使ったんだ。大体粘土なんてどこから持ってきたんだ。人使いの粗い金川に買い出しにも行かされたがそんなもの買った覚えは無かったぞ。

「美術室からパクったからバレないように捨てないとなー」

 解説しよう。学園祭の裏側はパクりの嵐である。後で聞いたんだがおれ達が使った色画用紙も大部分は職員室からもっともらしい理由を付けて半ばパクったものらしかった。

「お前・・・」

「まあまあ、どうせ余ってて捨てるやつだし。さあ行こうか」

そう言って奴はおれの背中を ぐいぐい押して教室を出る。

「中川ちゃーん、オレとこいつがいない間受付よろしくー。すぐ返ってくるけどー」

 そんなわけでおれは隣で鼻歌を歌う金川と共にゴミ捨て場に向かうことになった。委員の目を気にしつつ、無事委員には見つからずに廊下を通り終えて急いで階段を下り、エントランスには向かわず階段脇の扉から外へ出る。

「来た!ゴミ下げろ」

廊下の角を赤い腕章をつけた委員が曲がって来るのが見えて金川に膝の裏を蹴られる。地味に痛い。反射的にゴミ袋を下げて体を折ったせいでドアの陰にゴミ袋が隠れた。

「いってぇ、なにしやがる」

「危機一髪。行ったぞ。さあ行こう。」

 嬉しそうな顔でおれを見向きもせず言う。人の話を聞け。

 弓川高校の校舎は横に倒したいびつなT字型になっていて、正面にエントランス、Tの縦棒の部分をはさんで向こう側は中庭になっている。ゴミ捨て場はTの横棒の部分のとなりにある、北側で暗く、雑草やらガラクタがあって雑然とした区域だ。今通って来た廊下はTの縦棒部分の各クラスの教室が並ぶ部分で、Tの二本の棒がくっついている所から少しだけずれた所に階段がある。階段脇の扉を開ければ校舎裏に出られる。ゴミ捨て場は校舎裏の中でも一番北よりの一角にある。

 校舎裏には誰もいなかったのでおれ達は誰にも見咎められずにゴミを捨て場に着いた。

「無事到着っと」

おれは抱えていた重いゴミ袋をゴミの山に向かって放り投げる。金川も続いた。どさっと重量感のある音がした。

「はー良かった、ありがとな吉川」

まったく、金川はこれだから憎めない。嫌々やったはずなのにそんな笑顔でお礼を言われるとなんだかいい気分になってしまったじゃないか。なんだかおれって情けないくらい人が好い。

「ということでちょっとトイレ」

「あ」

 バシンと音を立てて扉が閉まる。

 前言撤回。やっぱり調子のいいやつだ。小走りに去った金川に置いてけぼりを食らったおれはゴミ捨て場にポツンと取り残された。あの野郎、ちょっと恨んでおくことにしよう。



 ガサガサッ


 おれもさっさと帰ろうとしたとき、ゴミ捨て場よりも奥の茂みの方から音がした。一瞬振り返ったがすぐにまた歩き出そうとした。どうせカラスか何かだろう。


 ガサッガサガサッ

 パキン


 だが、さらに大きい音がする。何だろう。多分今のは枝まで折れた音だ。カラスよりは大きい何かがいる。気になって近づいてみる。平静を装ってみるが内心ではおそるおそるだ。因みに誰も見ていないのだが。


 ガサッ

 バキバキッ


「わっ・・・え?」

 茂みの中から盛大に枝を折って出てきたのは紺色のスーツを着た男の人だった。細身で背が高くて一八〇後半くらいあるんじゃないだろうか。その人はせっかくの長身を猫背にして髪には折れた小枝をくっつけている。怪しい。怪しすぎる。弓川祭に来た誰かの保護者か何かなのだろうか。この人に保護はあまりされたくないが。

「あのー、外来者の方ですか・・・?」

っていうか、不審者ですよね。

 その人はおれに気が付かなかった様子でまだおれに背を向けて周囲を見まわしていた。

「あのーっ。すみませーん」

 もう一度大きめの声で呼ぶとようやく気付いたその人がおれの方を振り返った。

 しかし、その振り返った顔には、顔が無かった。

「ーーー!!」

 正確に言うと、顔があるはずのところが暗闇なのだ。そこだけ夜みたいに真っ暗で表情はおろか存在さえも感じられない。おれは驚きと得体の知れない恐怖で動けなくなった。腹の奥の方が冷たい。その冷たいものがじわじわと体に広がっていくような感覚がした。初夏なのに寒気がする。そのくせ背中を汗が流れていくのを感じた。自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。それ以外の音はぼんやりとして聞こえない。気付くとその人の足元にも真っ暗な闇が広がっていた。右足は茂みの草の上だが左足は黒いもやの中にあった。ずるっ、と不気味な音を立てて足下の真っ黒なもやの中から左足を引き上げる。そうしてそいつは闇の中から這い出で来ようとしていた。

 さっきまで聞こえていたはずの木が風に揺られる音はもうおれの耳には届いていなかった。空は真っ暗で周りの景色も、見えてはいるのだがそれが何なのか何色なのか、近いのか遠いのか認識ができなかった。見ているのか見ていないのかもよく分からない。聞こえているのかいないのかもよく分からなくなっていた。音も形も感覚もみんな闇に吸い込まれてしまったみたいだった。それなのにひどい耳鳴りの様に耳が痛む。感覚という感覚が消えて目眩がする。重力なんて無視しているくらい体全体が重くて間隔が無くなって、自分の足が地面についているのかどうかさえ分からなくなった。・・・


 「待て! こっちだ!」


 不意に誰かの叫ぶ声が聞こえた。頭が揺さぶられたように意識が戻り、まだはっきりとしないがさっきまでいたゴミ捨て場の前にちゃんと自分が立っていたのが分かった。リアルな夢から目覚めた時のようにぼんやりとしていたがなんとか体も動かせる。声のした方を振り返ると誰かが立っているのがわかった。次第に意識がはっきりしてきて、おれの視力2・0の目はうちの制服を着た男子生徒の姿を捉えた。だがまだ頭が働いていない。眼鏡をかけた見知らぬ生徒が何かを呟くのを、おれは動くこともできずにただぼんやり見つめていた。

「二度と学校に足を踏み入れるな。――破魔!」

 その生徒は叫んで顔のない黒いヒトに紙切れみたいなものを投げつける。するとそいつは、じゅわっと音をたててかき消えた。

「消えた・・」

 そいつが消えた瞬間、空は色を取り戻し、木々はさざめきを取り戻していた。足の下に地面があるのが分かった。呼び込みの声が聞こえてくる。何もかもが元に戻っていた。

「きみ、大丈夫か」

 男子生徒がおれに近づいてきておれの顔を覗き込む。おれは目眩がしてその場にしゃがみ込んだ。

「おい」

 男子生徒がおれの肩をたたく。ああ、だれかにたたかれているなあ、なんてぼんやりと思った。何か言わなくては。そうだ、お礼を言わないと。

「あ・・・ああ」

なんとか絞り出した声はかすれてなんとも情けないものになってしまった。何せ自分の口を動かすのも久しぶりな気分なのだ。

「えっと、その、あの、どうもありがとうございました」

「そうか」

 何だかよく分からなかったが心配されているようだ。同じ学年には見ない顔だから先輩だろう。とりあえずお礼を言ったが何とも素っ気ない返事が返ってきた。しかも眼鏡の奥の目に睨まれた気がしておれはどう反応したものか困ってしまった。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

 沈黙。

「・・・・・・。」

「「・・・ええと、」」

「何だ」

「いや」

「見えたのか」

「ああはい・・・。」

 まあ一応。

「って、え?」

 よく考えず惰性でうなずいてしまったが見えたってのはあの顔のない黒いヒトのことだろうか。見てはいけないもののような気はしたが確かに見た。

「そうか・・・」

 先輩は思いっきりため息をついた。そういえばこの人は委員の腕章をつけている。腕章は赤だ。さっき俺たちが廊下で躱した委員は黄色の腕章をつけていた。腕章の色に何か意味があるのだろうか。

「しょうがないな。―――俺は弓川祭実行委員会文化祭警備班、二年の桐生。委員室に来てくれないか」

「え、おれは何もやってません!」

 そうだ思い出した。おれは金川にこき使われてゴミを捨てに来たんだった。あ、いや、何も捨ててない。捨てたけど捨ててない。見つかって減点をおれのせいにされたらたまらない。

「分かってるよ。ただ、あれが何なのか話さないと」

 良かった。ゴミの件はバレていないようだ。おれが見たあれが何だったのか。それは確かに気になった。あの顔のない黒いヒト―――いや、モノだろうか―――は何だったのだろう。あの世界が無になったような感覚も今までに体験したことがない恐ろしいものだった。恐ろしすぎて夢かとも思っていた。だが桐生という委員との会話でからしてどうやら夢ではなさそうだ。

「いや、いいです。戻ります。」

 恐かった。あれが何なのか気にならないと言えば嘘になる。でも話なんて聞いて再びあの感覚を思い出すのは嫌だった。反射的に拒否する。

「悪いが来てもらわないといけないんだ。」

 そう言って桐生先輩は歩き出す。数歩行ったところで付いてこいと言うようにおれを振り返った。その鋭い目付きで。

「悪い。でも頼む。人手不足なんだ。きみが嫌だと言うなら申し訳ないが引っ張っていく。」

 引っ張って行かれるのはさすがにごめんだ。仕方ない。まあこのままクラスに戻る気にもなれないし。


 ここが、普通の高校生活を選ぶ最後のチャンスだったことは後で知る。

 けれどこのとき、そんなことは知らなかったし、知っていたといないとに関わらず、抵抗する気力も気概ももとより持ち合わせていなかったおれは先輩について行くことにしてしまったんだ。


 桐生と名乗った二年生は身長はおれより少し高いくらいだから一七〇前半、角張った金属フレームの眼鏡を掛けていていかにも真面目そうだ。黒髪の短髪はおそらく一度も染めた事が無いだろう。弓川高校では一応染髪は禁止だったが茶髪くらいならたくさんいる。おれは姿勢の良い桐生先輩の背中をぼーっと見つめていた。

 委員会室はTの字の横棒の片方の端の三階に位置している。校舎の奥で北側の、理科資料室とかのある陰気な部分だ。

「さっきは怖い思いをさせてすまなかった。もうあんな奴らを自由にはさせないつもりだから、そのためにも話を聞かせてほしい。」

 この人、真面目なんだなあと漠然と考えながらおれはに付いて行った。

 桐生先輩が委員会室の前で足を止めガチャガチャと音を立てて鍵を開ける。

「入って」

 先輩はおれを促して委員会室に入れ、ドアを閉めた。


「えーと、お邪魔します」

「ガラクタは退かすからまあ座って」

 電気が点いて部屋の中が見えるようになるとそこは凄まじいガラクタの山だった。はっきり言ってこの部屋、めちゃくちゃ汚い。よくここに招き入れたもんだ。桐生先輩が椅子の上に乗っていた紙束や箱を床の上に無造作に置くとようやくそれが椅子だったことに気づくほど部屋の中は物で溢れ返っていた。窓がないせいで空気も悪い。何だか早急に帰りたくなってきた。

 大体おれだけにはっきり見えるなんて話自体まともじゃない。おれは生まれてこの方幽霊もお化けも見たことはないし信じてさえいなかった。心霊話には必ずオチがあるものなのだ。

「という訳で話の続きをしよう」

 桐生先輩はゴミ捨て場以上にゴミの山な部屋を気にも止めずに腰を下ろした。おれも仕方なく空けてくれた椅子に座る。おんぼろ椅子の背もたれがギシギシと悲鳴をあげた。

「ここは委員会が使っている部屋だ。弓川祭の当日中は警備班が主に使っている。我が班は表向きは校内を巡回して不審者や不審物、生徒の規則違反を見つけるのが仕事だ。生徒の規則違反は団体管理部門もやっている。向こうは黄色の腕章を付けている。俺たちは赤」

そう言って自分の左腕に付けた腕章を引っ張る。赤い布に弓川祭実行委員会と太字で書いてある。そうか。だから黄色と赤だったのか。桐生先輩は続けた。

「でもこれはあくまで表向きの話。警備班の真の目的はあれら、君も見た黒いモノたちを退治することなんだ。奴らは放っておくと人に害をなす。君も多分感じただろう。途方も無い絶望感を。―――ところで君一年生か?名前は?」

「一年C組の吉川保です」

「良ければ教えてほしいんだけど、君にはあれがどんな風に見えたんだ?」

 あれのことは思い出したくない。そう思ったがフラッシュバックする記憶は止められなかった。思い出すだけで背筋が冷たくなる。

「えっと、身長一八〇くらいの男の人で、猫背で、紺色のスーツを着てて。・・・」

桐生先輩の目がちょっと驚いたように丸くなったが、おれは言えば楽になるかというように構わずまくしたてた。自分でも以外なほど鮮明に見えていたみたいだ。

「それで枝をバキバキ追って草の中から出てきました。あ、でも顔がなかったんです。顔のところが暗闇になっていました。真っ暗でそこだけ何も見えなくて、」

「まじかよ・・・」

まじだ。

「そんなにはっきり見えているなんて・・・」

はっきり、見えている?

 思考回路に一瞬のタイムラグが生じて会話が途切れる。はっきりって、見えているって、どういうことだ?もしかして桐生先輩には見えないのか?いやそれはない。だってさっき桐生先輩は確かにあれを見て退治してくれたのだ。それに俺がアレを見たってことを桐生先輩は知っている。今更意外な顔をされることでもないはずだ。

「参ったな。俺は何となく黒いものが見えてるだけでそんなにはっきり見えてなかった。そんなに詳しいことまで見えた人は多分初めてだ」

「そう、なんですか!?」

「そもそも吉川君みたいにあれが見える人はそんなに多くない。実行委員はクラスから選出されるが警備班の班員は殆どがスカウトだ。俺は元々会計班だったのを先代の警備班長に引き込まれたんだ。俺にあれが見えているって分かったからね」

 やっぱりあのモノの存在は普通じゃなかったんだ。薄々分かってはいたが決定的にそう言われるとかなりショックだった。だっておれに、まさかそんなことがある筈ない。ある筈は無いんだ。

「しかも見えるって言ったって姿形までちゃんと見てる奴はいない。あれが人形に見えたのは多分君が初めてだ」

先輩の言葉がおれに追い打ちを掛ける。もういっそ全部夢だったらいいのに。

「あいつ、あいつは何だったんですか」

今や再び自分の心臓の音が聞こえていた。

「そう。それを説明しないとな。

 俺達は<学園の妖>と呼んでいる。毎年弓川祭の時期にやってきて<学園の秘宝>を狙うんだ」

「<学園の秘宝>?」

「俺も詳しい事はよく知らないがこの高校の何処かにあるらしい。代々班長だけにその場所が伝えられているんだ」

 初めて聞いた話だ。妖だの秘宝だの、俄には信じがたい。でも俺は、信じられなくても真っ向から否定はできない経験をしてしまっていた。

「おれが見たのは、<学園の妖>・・・」

「そういうことだ」

「何なんですか。<学園の妖>って」

「よく分かっていないんだが、負の感情の塊みたいなものだってことになっている。正直なところ誰も知らないんだ。ただ、何故か弓川祭の時期に現れる。それ以外の時期はほとんど出てこない」

 負の感情の塊、というのは何となく分かる気がした。

「話は分かって貰えたか?分かって貰えたなら是非吉川君にうちの班に入って貰いたい」

「い、嫌です」

 とっさにおれはそう口に出していた。もう一度あれ――<学園の妖>と対峙するのは絶対に嫌だ。あんな思いは二度としないで普通に高校生活を送りたいと思った。

「まあ無理も無いな。でも見える奴は班員になるのが慣例なんだ」

「そんなこと言われても・・・おれ、受付の仕事あるから戻りますっ」

 受付なんてやる気はなかったが、おれはこの場に居られなくなってガラクタを掻き分けてドアノブに手をかけた。


 ガチャッ

「わっ」

 触っただけのドアノブが勢い良く開いて入ってきた人物が真正面からおれにぶつかった。思わず受け止めて肩を支えてあげるとその人物も驚いた顔をしておれを見ていた。目が合った。二つ結びの黒髪に一重なのに大きな目。どちらかというと地味だが整った顔立ち。短くも長くもない膝丈のスカート。赤い腕章をつけた女子生徒。見ない顔だからこの人も先輩だろうか。おれは慌てて肩から手を離した。居心地悪くて両手を後ろで組んでみる。リン、と涼しげな音がどこかで鳴った。

「・・・かすが、この人誰?」

先輩(推定)の声は先ほどどこからか聞こえた鈴の音のように涼しげだった。

「榛名。巡回は」

「もう十二時だよ。シフト交代の時間。春日こそ休憩しにきたんじゃないの?」

「もうそんな時間か」

 会話が途切れてハルナと呼ばれた先輩(推定)がおれに視線を戻す。目が合うとハルナさんはおれに向かって微笑んだ。

「で、彼は?まさか春日誘拐したの?目付きは悪くても善い人だと思ってたのに」

「ゆ誘拐ぃ?」」

 桐生先輩が眉間にしわを刻んでいる。ハルナさんは慣れているのかそんな桐生先輩を見ても楽しそうだ。

「・・・彼は一年生の吉川君。その、新しい班員だ。誘拐じゃない」

 それも違うんだが!

「えっほんと!?私二年の高崎榛名。よろしく」

 ぱっと顔を輝かせておれを見る榛名先輩。その静かそうな外見とは裏腹にくるくると表情の変わる人だ。

 いやでも違う!違うんだ榛名先輩!おれは入らないから!

「・・・俺からもよろしく。吉川君」

 とどめという風に桐生先輩がおれに向き直って言う。責める気持ちで桐生先輩を睨み上げると先輩はさらにきつい目で睨みつけるようにおれを見ていた。おれは慌てて目を逸らす。反対側に視線を彷徨わせると榛名先輩の嬉しそうな笑顔が視界に入った。逃げ場は無い。

 は、嵌められた。

「よ、よろしく、お願いします・・・」

 こうして超平凡な高校生のはずだったおれは非日常に足を踏み入れてしまったのだった。



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