1.素人スパイ、つかまる
「貴女、後でわたくしの部屋までおいでなさい」
「は、……はい?!」
赴任の挨拶もそこそこに、皇女殿下よりそう命じられてしまったのは、昼前のことである。
そうしてフィーネは今、赴任初日の夕刻に、大混乱しながら軍司令部のさらに奥、女性士官用の建屋の廊下を歩いている。
「まさか、色仕掛け成功しちゃった?!挨拶しただけなのに?!」
フィーネは貧乏貴族の娘である。膨らむ借金のかたに、怪しい仕事を請け負ったのはつい先日。曰く『皇女殿下が駐屯する基地にて諜報として働き、あわよくば誘惑せよ』……なんの術もない貧乏娘のフィーネであったが、幸か不幸か、生まれついた特異性はオメガであった。すなわち、アルファを誘惑し得る唯一の存在である。
フィーネは、ハッとして立ち止まった。
「もしかして……ズボン姿がはしたなかったかしら?!」
貴族も庶民も、外に出る女性はボリュームあるロングスカートが常である。脚を出すなどありえない。ただし、軍務に就く者は別である。ピタリと下半身を覆うズボンは、フィーネからすればかなり大胆な格好だ。チラチラ腰回り足回りを気にしながら廊下をよろよろ歩く先、いよいよ指示された場所……皇女殿下の私室の前に着いた。
外の見張り兵も、もちろん女性である。かっちりした軍服に帯剣、標準的な護衛士官だ。扉に近寄ると、ジロリと睨まれた。フィーネは居心地の悪さを感じたが、しかしながら呼ばれたからにはいかねばならぬ。
扉を遠慮がちに叩き、フィーネは名乗った。
「……フィーネ・フォン・マルクでございます。殿下の御招きにより、参りました」
ほどなく、扉が開いた。
中にいたのは、目の覚めるような麗人であった。フィーネを見てにこりと笑うそのひとは、豪奢な金髪を肩に下ろし、ゆったりと柔らかな生地でできた、上等な夜着をまとっていた。明らかに夜支度を終えた姿で出迎えられたことに、フィーネはギョッとした。
(ままままさかほんとに、そういう……こと……?!)
動揺するフィーネの肩を、殿下はふわりと抱き寄せた。
「昼間も思ったけれど、やっぱり貴女、いい匂いね」
耳元で甘やかな声が囁く。その上に、花の香りにも似た香油の優しい匂いが、殿下の肩にゆるやかに流れる金髪から漂ってくる。思わずフィーネはポゥッとなった。
「ででで殿下のほうが、いい香りがしますぅ……」
「まぁ、かわいい事を」
しどろもどろに答えたフィーネに、殿下は柔らかく微笑んだ。
――がちゃん。
「?!」
ホワホワした心地でいたフィーネは、鍵のかかる音でハッと我に帰った。優雅に手を取られたまま、いつのまにか流れるように室内に引き込まれている。あれよという間に豪奢な天蓋の垂れるベッドへと誘われ、はらりと薄い垂れ幕が靡いたかと思ったら、フィーネは寝台に腰掛けていた。
あまりの早技に、ヒェ、と声にならない悲鳴をあげてフィーネは慌てた。当然のように隣に座る殿下をふり仰ぎ、必死に口を開く。
「あのあのあの殿下あの私っ、何の準備もっ!あのお部屋に来るようにとしか聞いてなくてッ、全く何も!!」
「あらまぁ、わかってて来たんでしょう?オメガの貴女を呼びつける理由なんて一つ、今更遅くってよ?」
優しく微笑まれ、有無をいわせず押し倒されてしまった。ふんわりと背中に当たるベッドの感触のなんと心地よいことか。
(……あれっ?オメガって私言ってない……軍には特異性なしで登録されているはず……あれ?!)
「まるでほんとうにおぼこい女の子みたい。皇太子殿下の配下は、さすが、演技も上手いのね。恐れ入るわ」
「……えっ、なんでっ?!ええっ?!」
大声を出してから、慌ててフィーネは自分の口を塞いだ。
(私何かまずいこと口にしたかしら?でもどうしてもうバレて……)
殿下は妖艶な笑みを浮かべ、フィーネの頬をつんつん突いた。
「ふふふ、嘘の下手なお嬢さん。とっくにバレていてよ?貴女が兄上から送り込まれた諜報員なことも、色仕掛け要因なのも、ね」
「……な、ナンノコトですかぁ……」
もはや無駄と知りながらも、フィーネは下手な誤魔化しを続けた。
「オメガの淑女が、わざわざベータを名乗って軍務についた……厳しい軍の性別検査を潜り抜けて、ね。何か裏があるなんて、素人にだってわかることよ」
「……!」
絶句するフィーネに向けて、皇女殿下はうっとりとした顔を近づけた。鼻先が触れそうなほど近くで囁かれる。
「貴女、今まできた子達の中で一番良い匂いのオメガだわ……」
「ヒェェ……」
殿下は柔らかな笑みのままだというのに、その青く美しい瞳は、獲物を前にした猛獣のようにキラキラと輝いていた。
「初日で失敗して送り返されたりなんてしたら、貴女一体どんなことになるのかしらね……」
「アワワ……」
「それがお嫌なら、わたくしのために二重スパイにおなりなさい」
「に、二重……」
「わたくしの指示した通りの情報を渡す役目よ、簡単でしょう?」
――女だてらに皇位を狙うような不遜な輩は、敵が多いのよ。苦笑を浮かべた殿下の声色は、ほんの少し疲れたようにも聞こえた。特異性がアルファである皇女殿下は、男性と同じ権利を持ち男性と同じ振る舞いを許される……と聞いていたが、その実はフィーネが想像するようなものとは違うのかもしれない。
「わたくし味方が少ないのよ、潜り込んだネズミだろうと、使えるものは使いたいの」
そう嘯く殿下に組み敷かれたまま、フィーネは自分の運命を、そして実家の幼い弟のことを思い浮かべた。……もはや従う他ない、覚悟は決まった。
「に、に、二重スパイ、やります!」
「良いお返事ね」
にこりと笑った殿下が頷き、そしてフィーネの詰襟に手を掛けた。
「えっ殿下あの、やります、私スパイやりますから、だからあの……ちょっとお待ちを……」
「何言ってるの、貴女は『殿下の籠絡に成功して、お手つきになった』のよ、それらしくしなくちゃだめよね?」
「えっはいそうですね……そう、です、ね……???殿下?殿下っ?!」
フィーネのことなどまるで気にせず軍服はどんどん脱がされていく。手は止まることなく、下に着ていた真新しいシャツのボタンもぷつりぷつりと手際よく外された。その上に、しっとりした指先で肌に触られる。動揺するばかりのフィーネの額に、柔らかい唇がそっと触れる。
「……外の見張りに聞こえるくらい大きな声を出してちょうだい、貴女がわたくしのお気に入りになったって、皆が信じるようにね」
「はいっそれはもう、それは……えっ?あのそれって……殿下?!ちょ、まって…………」
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フィーネは真っ赤っかな顔でべしょべしょに泣いていた。シーツの下はほとんど下着も脱げかけており、その上ぐしゃぐしゃである。
ほとんど乱れたところのない殿下が、シーツの上の、ほつれた栗色の髪を撫でた。
「……本当に、おぼこいお嬢さんだったのねぇ。どうして貴女みたいな子が……まぁ、いいわ」
「ううう、わたし、恥ずかしい、あんな、はしたない……」
「ええ、とっても良い声だったわ。きっと誰も疑わないでしょう」
「うううううゔゔ……」
フィーネはますますシーツの中に引っ込んだ。その隙間から出てる髪を愛でながら殿下は微笑み、それからそっと身をかがめ、シーツの山の上で囁いた。
「――早速殿下の寵愛をいただきました、とお手紙書くのよ」
シーツの下で、フィーネはハッと息を呑んだ。
「さあ、貴女はこれでわたくしの駒。頑張ってね、かわいい小ネズミちゃん。」
見上げた殿下の顔は、優しく微笑んでいるようにも、舌なめずりする猫のようにも見えた。




