表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『姿隠しの姫君』〜お嬢様学校の聖域で、孤独な「最強お姉さま」に執着される【百合】物語〜  作者: 猫野 にくきゅう
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/42

第37話 祭典の裏側と、予期せぬ救い手

 六月の晴れ間。


 朱雀院咲夜さまの愛馬「スノーホワイト」との夢のようなひとときを終え、私たちは更衣室でジャージから制服へと着替えを済ませていた。  


 汗ばんだ肌を制汗シートで拭い、再びウール混紡のブレザーに袖を通す。

 身体のラインを隠す堅牢な生地と、少し短めのチェックスカートが、私を「凰華女学院の生徒」という枠組みへと引き戻していく。  


 帰り道を歩く私、佐々木怜奈、石田千里、そして東雲柚月さんの四人の頬には、まだ乗馬の興奮による紅潮が残っていた。


「咲夜さま、すごかったねえ……。あの手綱さばき、本物の騎士ナイトみたいだった」  


 怜奈が頭の後ろで手を組み、うっとりと初夏の空を見上げる。


「う、うん……。優しくて、強くて……本当に王子様だった……」  


 千里さんも上気した顔を両手で包み込み、何度も深く頷いている。  


 私たちは互いの吐息が触れ合うほどの距離で感動を共有し、ふわふわとした足取りで石畳を踏んでいた。

 フローラリアという特権的な世界に身を置き、寵愛を受けることの陶酔を、改めて噛み締めていたのだ。


 しかし、そんな浮かれた空気を、柚月さんの一言が鋭利な刃物のように切り裂いた。


「ところで皆さん、期末テストの勉強は進んでいますか?」


 ピタリ、と私と怜奈と千里さんの足音が止まった。  

 一陣の風が吹き抜け、木々がザワザワと不穏な音を立てる。  


 柚月さんは小首を傾げ、不思議そうに私たちを見回した。


「お披露目のダンスパーティーが終われば、すぐにテスト期間に入りますよね? 学生の本分として試験勉強に集中しなければならない時期ですが……」


 その言葉は、冷や水となって頭上から降り注ぎ、背筋を凍り付かせた。  


 そうだ、私たちはただの恋する乙女ではない。

 厳格な規律に縛られた学生だったのだ。  


 ここ最近、パートナー契約やダンスの特訓、他派閥との情事にも似た交流など、刺激的な出来事に溺れすぎていて、完全に思考の彼方へ抜け落ちていた。  


 凰華女学院は進学校だ。

 赤点を取れば補習はもちろん、パートナーとしての活動にも支障が出るかもしれない。月華さまに呆れられる光景が脳裏をよぎり、胃の腑が冷たくなる。


「や、やばい……! 全然やってない!」  


 怜奈が頭を抱えて悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。


「わ、私も……。お茶やダンスのお稽古と、咲夜さまのことばかり考えてて……」  


 千里さんの顔からサーッと血の気が引いていく。  


 そして私も、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。

 月華さまの小説のモデルとして心身を捧げたり、ダンスのステップを身体に叩き込んだりすることに必死で、教科書など一度も開いていない。


「柚月さんは……?」


「私は、毎日予習復習をしておりますので、特に問題はありませんが」  


 柚月さんが涼しい顔で答えた。

 その完璧さが、今は少しだけ恨めしい。  


 私たちは顔を見合わせた。

 このままでは破滅だ。  


 * * *


 私たちは翌日から、放課後に集まって勉強会を開くことをその場で決意した。

 しかし、柚月さん一人に三人分の指導を任せるのは荷が重すぎる。誰か、全体を俯瞰して管理してくれる指導役が必要だった。


 翌日の昼休み。  

 私と柚月さんは、学級委員長の高橋琴音さんの席を訪ねた。  


 教室の喧騒から切り離されたように、彼女の席だけ静寂が漂っている。  

 黒髪のミディアムショートに銀縁眼鏡をかけた琴音さんは、昼休みだというのに分厚いファイルを広げ、万年筆を走らせていた。


 カリ、カリ、カリ……。


 硬質なペン先が紙を引っ掻く音だけが、規則正しく響く。

 そこには一切の迷いがない。


「琴音さん、少しお願いがあるのだけれど」  


 私が恐る恐る声をかけると、ペンの音がピタリと止んだ。  

 琴音さんはゆっくりと顔を上げ、ずれた眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、冷ややかな視線をこちらに向けた。


「……何かしら、南藻さん。改まって」


「実は……放課後、私たちに勉強を教えてほしくて。期末テストが近いでしょ? ダンスの練習で遅れてる分を取り戻したくて……」  


 私が手を合わせて頼み込むと、琴音さんは少し驚いたように切れ長の目を見開き、それから呆れたように長く、重たい溜息をついた。


「……南藻さん。貴女、意外と図太いのね」


「えっ?」


「いえ、頼ってくれるのは嬉しいのだけれど……。今は無理よ」  


 琴音さんは手元のファイルを、私たちに見せつけるように指で叩いた。  

 そこにはびっしりとスケジュールや備品リスト、予算案が幾何学的な美しさで書き込まれていた。インクの鉄っぽい匂いが漂ってくるようだ。


「放課後は生徒会の仕事で手一杯なの。もうすぐお披露目のダンスパーティ――『結花の披露会ブルーム・デビュタント』があるでしょう? その準備と運営は、私たち生徒会ホワイトカメリアが担当しているのよ」


 私はハッとして、息を呑んだ。  


 『結花の披露会』。

 それは、今年結成されたカップルがお披露目される晴れ舞台だ。  


 私たちがダンスの練習だけに熱中できていたのも、昨日咲夜さまと優雅に乗馬を楽しめたのも、すべては裏で琴音さんたちが、こうして泥臭い実務を完璧にこなしてくれているからなのだ。  


 自分たちのお披露目の準備をしてくれている人に、さらに自分の勉強の面倒まで見させようだなんて。琴音さんのストイックな横顔を見て、自分の浅はかさがどうしようもなく恥ずかしくなった。


「あ、それは……ごめんなさい! 私、自分のことばっかりで、琴音さんがそんなに忙しいなんて……」  


 私が慌てて謝罪し、柚月さんも深く頭を下げた。


「申し訳ありません、琴音さん。ご迷惑をおかけしました」


 私たちが身を縮こまらせていると、琴音さんの纏う鋭利な空気が、ふっと緩んだ。


「いいのよ。謝らないで」


 顔を上げると、琴音さんは眼鏡の奥の瞳を細め、穏やかな表情を浮かべていた。


「ダンスの練習もハードなはずなのに、勉学のことも忘れないで、今から対策しておこうという姿勢は立派だわ。……少し見直したわよ、南藻さん」


「え……琴音さん」


「貴女は流されやすいところがあるけれど、やるべきことはやろうとする子だものね。今回は協力できないけれど、応援しているわ。頑張ってね」


 琴音さんの言葉が、胸にじんわりと温かく響いた。  


 外部生として、お嬢様学校という異界で苦労の多い彼女。

 その彼女に、同じ外部生である私が少しでも認められたことが、何よりも嬉しかった。  


 彼女はただ事務的な委員長ではない。

 私たちのことをよく見て、陰ながら支えてくれている仲間なのだ。


「ありがとうございます。……私たちだけで、なんとかやってみます」  


 私は力強く頷いた。  

 琴音さんの貴重な時間をこれ以上奪うわけにはいかない。自分たちの力で乗り越えなければ。


 私たちは琴音さんに礼を言い、再びペンの音が響き始めた席を離れた。


 しかし、現実は厳しい。  

 柚月さんと二人で席につきながら、私は小さく溜息をついた。


「やっぱり、私たちだけでやるしかないわよね。柚月さんに負担をかけちゃうけど……」


「いえ、私も全力を尽くしますが、怜奈さんと千里さんの苦手分野をカバーしきれるかどうか……」


 私たちが途方に暮れていた、その時だった。  

 ふわり、と芳醇なローズの香水が鼻先をかすめた。


「仕方ありませんわね。わたくしが面倒を見てあげますわ」


 背後から、聞き覚えのある声がかかった。


 * * *


 振り返ると、そこには豪奢な縦ロールの髪を揺らし、腕組みをした二階堂亜美さんが立っていた。  


 彼女は内部生のお嬢様で、私のことを一方的にライバル視している人物だ。  

 しかし今の彼女は、私たちと目を合わせようとせず、そっぽを向くように廊下の窓を見つめている。


「亜美さん……?」  


 私が驚いて名前を呼ぶと、亜美さんはフンと鼻を鳴らし、組み上げた腕の指先を苛ただしげに動かした。


「琴音さんとの立ち話、聞こえてしまいましたの。……勉強を教えてくれる人がいなくて困っているようですわね?」


「う、うん。まあ……」


「でしたら、わたくしが教えて差し上げてもよろしくてよ。内部生のわたくしにかかれば、テスト対策など容易いことですわ」


 亜美さんが自分から申し出てくれるとは意外だった。  

 彼女はいつも私に対抗意識を燃やしているはずなのに。


「え、いいの? わざわざ敵に塩を送るようなことして」  


 私が尋ねると、亜美さんは一瞬言葉に詰まり、バツが悪そうに唇を噛んだ。

 長い睫毛が不安げに揺れる。


「こ、困っている友人を、放ってはおけませんからね! ……それに」


「それに?」


「……前回の勉強会は、思いのほか……楽しかったですし」


 亜美さんは最後の方を、聞き取れるかどうかの小声で呟いた。  

 上気した頬を隠すように俯く彼女の耳は、真っ赤に染まっている。


 そういえば、以前彼女と勉強した時、喧嘩腰ではあったけれど、賑やかで楽しかった記憶がある。  


 亜美さんはきっと、またあのような時間を共有したかったのかもしれない。

 素直に「混ぜて」と言えず、教室の隅で話しかけるタイミングをじっと待っていたのだろうか。


 その孤独なプライドがいじらしくて、私は思わず口元を緩めた。


「ありがとう、亜美さん。助かるわ」  


 私が笑顔で礼を言うと、亜美さんはパッと顔を上げ、「ふふん」と得意げに胸を張った。


「感謝なさい! では、今日の放課後、図書館に集合ですわよ!」


 こうして、私たちは強力な助っ人を得ることができた。  


 琴音さんに認められた誇らしさと、亜美さんの不器用な優しさ。  

 期末テストという無機質な壁を前に、私たちの間に、湿度を帯びた新しい連帯感が生まれているのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ