第27話 二人の妹(パートナー)、秘密の共演
放課後。
私はいつものように、有栖川月華さまとのダンス練習に向かうため、フローラリア専用寮へと続く静謐な回廊を歩いていた。
石畳に響く自分の足音だけが耳につく中、前方に一人で歩く少女の姿を見つけた。陽華さまのパートナーに選ばれた、一年三組の生徒、小鈴さんだった。
「あ、南藻さん。……奇遇ですね」
小鈴さんは立ち止まり、硝子細工のように繊細な、愛らしい笑顔で私を呼んだ。
彼女は中学まで読者モデルをしていたこともあり、ウール混紡の制服の着こなしから立ち居振る舞いに至るまで、どこか洗練された空気を纏っている。けれど、それは強い光に晒され続けたが故の、透けるような儚さにも見えた。
私は彼女の眩しさに一瞬目を細めたが、すぐに彼女の華奢な首元に視線が吸い寄せられた。
そこに巻かれているのは、ブラックリリーの象徴色である漆黒の革チョーカー。
そのあまりに鮮烈な黒が、彼女の白磁のような肌を痛々しいほどに際立たせている。
私と同じ、逃れられない「枷」。
それを見た瞬間、私は彼女に強い親近感を覚えた。
「小鈴さんも、陽華さまと練習ですか?」
「はい。でも、陽華さまは部活動のミーティングで少し遅れるそうで。……よろしければ、途中までご一緒しませんか?」
小鈴さんが、上目遣いに首を傾げる。
私は喜んでその誘いを受けた。
同じ派閥の生徒であり、同時期に、あの強烈すぎる個性を持つ双子の「巨人」に選ばれた者同士。
私たちには、地上の他の生徒には理解し合えない、共通の重圧と緊張感があった。私たちは自然と歩幅を合わせ、パートナーとしての今の生活について、そっと囁き合うように語りながら歩みを進めた。
月華さまのサロンに到着すると、そこにはすでに、窓際で彫像のように佇む月華さまが待機していた。
少しして、部活を終えた熱気を纏った陽華さまも合流し、図らずも百九十センチ台の姉妹とその小さなパートナーたちが勢揃いすることになった。
「ちょうどいいわ。今日は四人で合同練習にしましょう!」
陽華さまの提案により、広いサロンで二組のペアが同時にステップを踏むことになった。
練習は、熾烈を極めた。月華さまと陽華さまは、性格こそ正反対だが、ダンスにおいて求める完成度の高さは共通している。
小鈴さんも、陽華さまのパワフルな動きに必死についていこうと、小さな身体を弾ませ、額に玉のような汗を浮かべていた。
中休みの時間になり、私たちはサロンの端にあるソファに並んで腰掛け、雪菜さんが用意してくれた紅茶を飲んだ。
二人の巨人が少し離れた場所で言葉を交わしている隙に、小鈴さんがそっと私に囁きかける。
「……南藻さんは、成績が優秀だって聞きました。すごいです……。私はモデルの仕事が評価されての特待生だから、勉強は少し苦手で」
小鈴さんが、伏し目がちに、けれど尊敬の眼差しで私を見つめる。
「い、いえ、そんな……。でも、月華さまのパートナーとして恥ずかしくないように、予習と復習は欠かさないようにしています」
私は少しだけ背筋を伸ばし、カップを持つ手の震えを隠しながら、知的なパートナーという役割を演じた。
本当は日々の課題をこなすだけで精一杯なのだが、小鈴さんのような可憐な小動物に褒められると、つい「一組の秀才」としての浅ましい見栄を張りたくなってしまう。
ふと視線を感じて顔を上げると、遠くから月華さまが、その氷のような瞳で私たちの様子を黙って見つめていた。その完璧な唇の端が、少しだけ、冷笑するように吊り上がったように見えたのは、私の気のせいだろうか。
休憩が終わり、陽華さまが「ねえ、趣向を変えて、パートナー同士で踊ってみましょう?」と提案した。
月華さまと陽華さまがフロアの中央でお手本を見せる間、私と小鈴さんは促されるまま、フロアの端に二人きりで立った。
優雅なワルツの調べが流れ始める。
私は緊張で強張る指先を、恐る恐る小鈴さんの腰に添えた。
その瞬間。
私は驚きに目を見開いた。
(……なに、これ。すごく、軽い)
月華さまと踊る時は、常に鋼のような筋肉と骨格に身体ごと持っていかれないよう、全身に防御壁を張り巡らせていた。
それは抗いがたい重力と磁力に、必死で抵抗するような感覚だ。
しかし、今、私の腕の中にあるのは、私と同じくらいの身長で、同じくらい華奢な体躯。
小鈴さんの腰は、驚くほど細く、そして柔らかかった。
制服のウール混紡の生地越しに、月華さまとは違う、高く湿った体温がじんわりと伝わってくる。
リードというよりも、お互いに歩幅を探り合い、手を取り合って、壊れ物を扱うように確かめ合うようなダンス。
それは、巨人の重力圏から解き放たれた、信じられないほどの浮遊感とリラックスを私にもたらした。
さらに、至近距離で見る小鈴さんは、息を呑むほどに可憐だった。
一生懸命に私のつたないリードに合わせようと、長い睫毛を震わせ、潤んだ瞳で私を上目遣いに見つめてくる。私の肩に置かれた細い指先は、小鳥の足のように頼りなく震えている。
お姉さまたちが持つ「完成された美の暴力」とは違う、守ってあげたくなるような、庇護欲を強烈にそそる脆弱さがそこにはあった。
「南藻さん、上手です……。なんだか、素敵な男役の方にエスコートされてるみたいで、ドキドキしちゃいます」
小鈴さんが、耳まで真っ赤に染めて、熱い吐息混じりに囁く。
その無邪気な一言が、私の胸の奥を激しく射抜いた。
私は、自分でも信じられないほどの速さで、心拍数が跳ね上がるのを感じた。月華さまの鋭い視線が突き刺さっていることなど、一瞬忘れてしまうほどに。
練習が終わり、解散となった。
寮への帰り道、私は一人で夜の冷気の中を歩きながら、熱を帯びて混乱した頭を整理しようとしていた。
(……どうしよう。私、小鈴さんに……)
私の信仰は、一貫していたはずだ。
有栖川月華さまのような、知的で冷徹な支配者。
あるいは有栖川陽華さまのような、快活で頼りがいのある太陽。
そういった「素敵なお姉さま」こそが、私の絶対的な理想であり、崇拝の対象だった。
それなのに。
今、私の網膜に焼き付いて離れないのは、月華さまの完璧な美貌ではなく、ダンス中に見せた小鈴さんの、あどけなく歪んだ笑顔と、腕の中に沈み込むような柔らかな肉感だった。
「お姉さま好き」を自称し、自ら進んで月華さまの所有物となったはずの私が、あろうことか「妹」のように守りたくなる少女に、心を奪われそうになっている。
これは、私のアイデンティティの崩壊であり、何より月華さまに対する浅ましい裏切りではないだろうか。
(だめ。いけない、落ち着いて、私。これはただの、吊り橋効果のような、一時の熱病よ。そうに決まってる……!)
自分に言い聞かせながらも、夜風に晒された頬の熱は、なかなか冷めてはくれなかった。
パートナー同士の連帯感、お姉さまへの忠誠心。
そして新たに芽生えてしまった、名状しがたい甘美な背徳感。
「結花の披露会」を前に、私の心は、予想だにしない方向へと激しく軋みをあげて揺れ動き始めていた。




