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『姿隠しの姫君』〜お嬢様学校の聖域で、孤独な「最強お姉さま」に執着される【百合】物語〜  作者: 猫野 にくきゅう
第二章

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第25話 不器用なステップ、救世主の襲来

 木下雪菜さんに採寸という名の愛撫を受けた翌日から、放課後の時間はすべてダンスの練習へと捧げられることになった。  


 場所は、フローラリア専用寮。

 月華さまの私室に隣接した、広大なサロンだ。  


 中央の家具はすべて壁際に寄せられ、磨き上げられた寄木細工の床が、窓から差し込む斜陽を浴びて鏡のように冷たく光を反射している。


「いい、南藻。……ダンスにおいて、パートナーは自分の影であり、また鏡でもある。私の動きを読み、ただ従うだけでいいのよ」


 月華さまはそう告げると、燕尾服を模したタイトな黒の練習着に身を包み、私の前に立った。  


 一九三センチメートルの巨躯。  


 無駄な肉を一切削ぎ落とした肢体は、それだけで完成された彫刻のような、冷ややかな美しさを放っている。  


 私は、雪菜さんから聞いた「月華さまは南藻のために何度もデザインを書き直していた」という逸話を反芻し、胸の奥を焦がしていた。  


 この巨大で不器用な主人の期待に応えたい。

 その長い影の一部となって、誰にも異論を挟ませないような「対」になりたい。  そんな無謀とも言える決意を抱き、私は震える手を差し出した。    


 次の瞬間、視界が黒一色に覆われた。  

 月華さまの大きな手が、私の華奢な腰を背中側からすっぽりと包み込んだのだ。


 それはエスコートというよりは、捕獲に近い。  

 見上げれば、首が痛くなるほどの高さに、彼女の白磁の顎と、結ばれたタイが見えるだけ。  


 私は彼女の腕という「檻」の中に、完全に閉じ込められていた。


 そして、現実は甘くはなかった。  

 社交ダンスという優雅な皮を被った厳格な規律に対し、私の平凡な運動神経はあまりに無力だった。


「一、二、三。一、二……南藻、足が遅れているわ」


「……っ、はい、すみません!」


 月華さまのリードは、その流麗な見た目とは裏腹に、極めて強固で、絶対的な強制力を持っていた。  


 彼女の体温が布越しに伝わるほど密着した距離。  


 ステップを踏むたび、彼女の長い足が私の足の間に割り込み、膝が太腿を掠める。そのたびに私の身体はビクリと跳ね、重心が乱れる。  


 まるで私の意思など介在する余地がないかのように、巨大な力で身体ごと持っていかれる感覚。  


 右足を出すタイミング、重心を預ける角度、視線の在り処。

 すべてにおいて、月華さまの研ぎ澄まされた感覚と、私の鈍重な身体の間には、絶望的な断絶があった。


 時間が経つにつれ、サロンの空気は澱み、重苦しくなっていった。  

 私の革靴が、またしても月華さまの爪先を蹴ってしまう。


 ――静寂。


 月華さまは眉一つ動かさず、ただ無言で動きを止める。  

 その沈黙が、罵倒されるよりも遥かに恐ろしい。  


 私の額からは冷や汗が流れ、前髪が頬に張り付く。


「ごめんなさい……また、間違えました」


「謝る暇があるなら……自分の重心がどこにあるか、細胞の一つ一つで考えなさい」


 月華さまの声は、怒鳴るわけではない。

 ただ淡々と、事実を解剖するように指摘するだけだ。  


 彼女にとって、「できない」という現象は理解の範疇を超えているのだろう。


 なぜ、私の身体は彼女の完璧なリードに従順になれないのか。

 その純粋な疑問が、氷の棘となって私を刺す。  


 膝が笑い始める。

 意識すればするほど、足がもつれ、リズムという秩序から脱落していく。  


 私は、自分が彼女の完璧な世界を汚す泥のような存在に思え、言いようのない自己嫌悪で視界が滲んだ。


 特訓が始まってから二時間が経過した頃、私の精神は限界を迎えていた。  

 再び私の足がもつれ、月華さまの足を踏みつけた瞬間。


 彼女の手が、私の肩に食い込むように力を込めた。


「……南藻。なぜ、たったこれだけのことが一度でできないの?」


 月華さまが私を見下ろす。

 その瞳には、侮蔑ではなく、純粋な「不可解」が宿っていた。


「私のリードは、完璧に伝わっているはずよ」


 その言葉には、一点の曇りもない。  


 ――ああ、この人は、凡人の痛みが分からないのだ。  

 その「無垢な否定」が、何よりも深く私を切り裂いた。


(……私には、無理なのかもしれない。月華さまの隣に立つ資格なんて……最初から)


 涙が溢れそうになり、私が唇を噛んで俯いた、その時だった。  

 防音仕様の重厚な扉が、何の前触れもなく、乱暴に押し開かれた。


 バンッ!    


 衝撃とともに、大量の空気が流れ込む。


「お姉さまー! 何をしているの?」


 部屋全体を支配していた凍りつくような緊張を、その明るすぎる声が、一瞬で粉砕した。  


 そこに立っていたのは、月華さまの双子の妹、有栖川陽華さまだった。  


 バスケットボール部の練習帰りなのだろう。

 派手な色のジャージを羽織り、首にはタオルをかけ、太陽そのもののような眩しい笑顔を浮かべている。  


 彼女の身体からは、汗と制汗剤が混じった、健康的で「生っぽい」熱気が立ち上っていた。


 私は驚きで、流しかけていた涙さえも引っ込んだ。

 

 憧れの、そして誰よりも輝いて見える陽華さま。

 しかし、直後に私は、鏡に映る自分の惨めな姿を自覚し、顔から火が出るほどの羞恥に襲われた。


 髪は汗で乱れ、顔は赤く火照り、涙目で膝を震わせている、無様な自分。  

 最も尊敬し、密かに想いを寄せている相手に、こんなにも情けない瞬間を見られてしまった。


「あら、その子は……。確か、お姉さまがパートナーに選んだ子よね」


 陽華さまが、ズカズカとこちらへ歩み寄ってくる。  

 彼女が近づくにつれて、サロンの湿度が物理的に変わっていくのを感じた。月華さまの静謐な冷気を、陽華さまの圧倒的な「陽」のエネルギーが侵食していく。


「お披露目に向けてダンスの特訓? 相変わらずお姉さまは真面目だなぁ。……南藻ちゃん、だったっけ」


 陽華さまが、私の顔を覗き込む。

 至近距離にある彼女の瞳は、琥珀色に輝いて見えた。


「お姉さまの指導は厳しいでしょ? 大丈夫?」


 陽華さまの屈託のない問いかけに、私は喉が張り付いたように言葉が出ない。  

 憧れの人に心配されている喜びと、消えてしまいたいほどの恥辱。相反する感情が、私の体温を急激に上昇させる。


「……勝手に入ってこないでと言ったはずよ、陽華」


 月華さまが不機嫌そうに目を細め、私を庇うように、あるいは隠すように、その長い腕で私を引き寄せた。  


 背後には月華さまの豊かな胸の感触。

 目の前には陽華さまの眩しい笑顔。


 冷徹な支配者である月華さまと、奔放な光である陽華さま。  

 対照的な双子の「巨人」に挟まれたこの異常な空間で、私の心臓は、ダンスのステップとは比較にならないほどの速さで、早鐘を打っていた。

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