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『姿隠しの姫君』〜お嬢様学校の聖域で、孤独な「最強お姉さま」に執着される【百合】物語〜  作者: 猫野 にくきゅう
第二章

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第22話 彩られる首元、乙女たちの晩餐

 放課後の喧騒を逃れるように、私は一人、図書館の奥まった閲覧席に身を潜めていた。  


 選定期間という嵐が去り、学園全体を覆っていたヒリつくような緊張感は、甘ったるい期待と、焦げ付くような羨望が入り混じった熱気へと姿を変えていた。  


 私はそのまとわりつくような熱から逃げるため、活字の世界に没頭しようとしていたのだ。


 けれど。  


 ページをめくる指先が、活字を追う視線とは裏腹に、無意識のうちに自分の首元へと伸びてしまう。


 指の腹に触れるのは、有栖川月華さまから贈られた「黒と銀」のチョーカーだ。  


 ブラックリリーの象徴である、なめらかな黒革。

 その中心には、月華さまの印である三日月の銀細工が冷ややかに鎮座している。  


 首を傾げるたび、革のエッジが喉仏をかすめ、銀の重みが鎖骨を圧迫する。

 そのひんやりとした感触と、わずかな息苦しさは、私がもはや一人の自由な個体ではなく、彼女の「所有物」となった事実を、私の肌に直接刻み込んでいた。


(……全然、頭に入ってこない)


 昨日、教室であれほど鮮烈な形で「略奪」されたことで、私の平穏な外部生としての生活は完全に変容してしまった。  


 鏡を見なくとも、自分が周囲からどう見られているかは肌で感じる。


 この銀の月は、月華さまの執着そのものだ。  

 私は恐怖と、それに似た背徳的な安堵が混ざり合った奇妙な熱を喉元に抱えながら、約束の時間が来るのをただ待っていた。


 閉館を告げる予鈴が重々しく鳴り、私は本を閉じて図書館を出た。  


 ロビーでルームメイトの東雲柚月さんと合流し、私たちは夕食を取るために学生食堂へと足を向ける。  


 西日が長く伸びる夕暮れの廊下。

 その向こうから、見覚えのある二人の少女が歩いてくるのが見えた。


 同じ一年生であり、親しい友人である佐々木怜奈さんと、石田千里さんだった。


「あ、南藻! 柚月も!」


 怜奈さんが気さくに手を挙げる。

 陸上部で鍛えられた彼女らしく、いつも通りの快活な足取りだ。  


 だが、近づくにつれて、彼女の首元にある「異物」が私の視線を釘付けにした。


 健康的な小麦色の首筋に巻かれているのは、飾り気のない、武骨なまでにシンプルな「黒」一色の革ベルト。  


 そしてその隣で、おどおどと上目遣いにこちらを見ている千里さんの華奢な首には、まるで鮮血のように鮮やかな「赤」のチョーカーが妖しく光っていた。


「怜奈さん、千里さんも……」


 私の言葉に、柚月さんも静かに頷き、自身の首元のベルベットに指を這わせた。  

 そこにあるのは、深海のようなブルーローズの「青」。    


 そこにいた四人全員の首に、それぞれの派閥と「お姉さま」を示す、逃れられない枷が嵌められていたのだ。  


 私たちは顔を見合わせる。

 言葉にするまでもなく、互いの首輪が放つ「所有」の匂いを感じ取り、奇妙な連帯感に導かれるようにして、一緒に夕食を取ることになった。


 四人が並んで食堂に入ると、周囲の雑談が一瞬だけ真空のように止まった。  

 すぐにまたざわめきが戻るが、その質は明らかに変わっていた。  


 派閥トップや有力者に選ばれた一年生が、四人も揃って食卓を囲む。

 それは今の学園において、極めて異質で、目を逸らせない光景だった。  


 私たちは周囲から突き刺さる、値踏みするような視線を避けるように、窓際の端の席に陣取った。


「……なんか、すごい見られてるね」


 怜奈さんが苦笑しながら、トレイを置いた。

 その動作に合わせて、首元の黒い革が筋肉の筋に食い込む。


「仕方ありませんわ。私たちは選ばれたのですから。……どのような人物なのか、注目されるのもパートナーの役割の内です」  


 柚月さんが紅茶のカップに口をつけながら、淡々と言った。


 * * *


 カトラリーが食器に当たる硬質な音だけが響く中、私たちはポツリポツリと、それぞれの選定の経緯を語り合った。


 怜奈さんを選んだのは、ブラックリリーに所属の二年生、早乙女楓さまだという。


「楓さまは、なんていうか……すごく自然体な人だったよ。髪の毛もボサボサで、ちょっとだらしないところもあるんだけど」  


 怜奈さんは自身の首輪を無造作に引っ張り、少し隙間を作って息を吐いた。


「『君、足速いんだって? 私、追いかけるの面倒だからさ……勝手にどっか行かないように、私の横にいてよ』って。すごく親しみやすくて、私は安心したかな」


 首輪をつけながら「親しみやすい」と笑う怜奈さん。  


 けれど、そのシンプルな黒い革は、野性的な彼女を繋ぎ止めるためのリードのようにも見えた。フローラリアのお姉さまにとって、怜奈さんは手元に置いておきたい愛玩動物なのかもしれない。


 一方で、千里さんは耳まで真っ赤に染め、俯いてスープを見つめていた。


「私、私は……朱雀院咲夜さまに……」  


 千里さんの震える声に、私と柚月さんは思わず息を呑んだ。

 なんと、千里さんを選んだのは、レッドピオニーのトップであり、学園の「王子様」と称される麗人、朱雀院咲夜さま。


「咲夜さま、急に……私の目の前に跪いて……」  


 千里さんは、その時の情景を思い出すように、華奢な肩を震わせた。


「『君のその震える肩を、僕の赤で守らせてほしい』って……。それで、この赤いチョーカーを、私の首に……。私、頭が真っ白になって、その後のことはほとんど覚えていないんです……」


 消え入るような声。


 けれど、彼女の白磁の首に巻かれた「赤」は、彼女が学園最強の騎士に守られる立場になったことを雄弁に物語っていた。  


 恥じらいに染まる千里さんの肌と、情熱的な赤のコントラストは、見てはいけないものを見たような背徳的な美しさを放っている。


 柚月さんと聖羅さまの、深淵な青。  

 怜奈さんと楓さまの、実直な黒。  

 千里さんと咲夜さまの、情熱の赤。  


 そして、私と月華さまの、支配的な黒と銀。


 四者四様の「愛」の形が、テーブルの上に並んでいた。  


 共通しているのは、もう私たちは昨日までの「ただの生徒」には戻れないという事実。誰かの所有物となり、首に証を刻まれた私たちは、美しくも不自由な籠の鳥なのだ。


 夕食を終えた私たちは、夜の冷気が漂い始めた敷地内を歩き、普通科の生徒が住む寮へと向かった。  


 * * *


 ウール混紡の制服を通して、夜風の冷たさが肌を撫でる。  


 歩くたびに、首元のチョーカーがわずかな重みを主張し、私が誰のものであるかを絶えず囁き続けている。けれど、こうして友人たちと歩く道すがらの空気だけは、今までと変わらない温かさを保っていた。


「お披露目のダンスパーティ……今から緊張するね」  


 千里さんが不安げに呟き、赤い首輪を指先でいじった。  

 怜奈さんが、その背中をパンと叩く。


「大丈夫だよ。私たち、みんな同じ境遇なんだから。分からないことがあったら教え合おうよ」


「ええ、そうね。私たちはこれからも友達よ。……たとえ、仕えるあるじが違っても、それは変わらないわ」  


 柚月さんが優しく微笑み、私もそれに深く頷いた。    

 寮の入り口に到着し、私たちはそれぞれの部屋へと別れた。  


 自室に入り、重たいブレザーを脱ぎ、ブラウスのボタンを外す。  

 下着姿になる前に、ふと鏡の中の自分と目が合った。


 無防備に晒された鎖骨と、華奢な首筋。  

 そこに巻き付いた、黒い革と銀の月。  


 衣服を脱いでも、この首輪だけは外せない。  

 月華さまの執着が形になったこの拘束具は、今や私の体の一部のように、肌に馴染み始めていた。


「……月華、さま」


 私は首元の銀色をそっと指でなぞる。  

 ひんやりとした金属の冷たさが、指先から熱となって全身に伝播していく。


 あの冷たくて、焦がすような瞳に見つめられている錯覚。  


 新しい生活への不安は消えない。けれど、同じ痛みと悦びを共有できる「首輪付き」の友人たちがいる。  


 その事実に救われながら、私は鏡の中の「月華さまの所有物」に向けて小さく微笑み、静かに夜の帳を下ろした。

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