第九話:鉄の咆哮、あるいは「操縦」の産声
春の陽光が降り注ぐ王立機導学園の第一演習場。
そこは今、この世の「光」と「影」を象徴するような光景に二分されていた。
中央の特等席には、Aクラスのエリートたちが駆る最新鋭の機殻騎士『シルフィード六型』が並んでいる。精霊との高いシンクロ率を誇るその機体は、まるで神話の英雄のような気品を纏い、最小限の駆動音で優雅にその四肢を動かしていた。
対して、演習場の隅――通称「掃き溜め」に用意されたのは、数世代前の旧式練習機『ポーン一型』。
装甲は錆びつき、関節からはどす黒い油が漏れ、動力核である精霊石は眠りについたまま一度も輝いたことがないという、文字通りの「鉄屑」だった。
「さあ、アルスタイン。……いや、Fクラスの諸君」
Aクラスの列から、アルベルト・フォン・公爵令息が、取り巻きを引き連れてこちらを覗き込んできた。彼は最新鋭機のハッチに片手をかけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「今日は記念すべき初搭乗実習だ。無能に相応しい、その錆びた棺桶に乗ってみせるといい。立ち上がることすらできず、地面を這いずり回る君の姿……実に楽しみだよ。安心しろ、君が泣き出したら、僕のシルフィードで優しく介錯してやろう」
周囲からは、Aクラス生徒たちの下卑た笑い声が響く。
俺――セリナ・フォン・アルスタイン(中身は六十五歳の頑固親父)は、その喧騒をどこか遠い国の出来事のように聞き流しながら、目の前の鉄屑を見上げていた。
(……。……。……。おー。……。……。……。ひどいもんじゃな。……。……。……。ボルトの締め方は甘い、魔力経路は詰まっておる。……。……。……。だが、フレームの剛性だけは、今の軟弱な最新型よりよっぽど『芯』が通っておるわい。……。……。……。良い骨格じゃ)
俺は、いつもの眠たげな半開きの目で、ポーン一型の装甲にそっと触れた。
周囲には、その仕草が「絶望的な状況に、悲しげに別れを告げている令嬢」に見えたらしい。ジャックやミリーが、悔しそうに拳を握りしめているのが視界の端に見える。
「……。……(フェイ。……。……。準備はいいか。……。……。……。昨晩の『仕込み』、上手くいっておるな?)」
「もちろんです、師匠。……。……。……(外側の精霊回路は完全に眠らせました。レバーを引いた瞬間に、昨日の『物理バイパス』が焼き切れるくらい全力で働いてくれますよ)」
フェイが侍女としての完璧な所作で、俺の背中を押し、コクピットへのタラップを示した。
俺は優雅に、しかし内心では「よっこいしょ」と唱えながら、その狭い鋼鉄の胃袋の中へと身を投じた。
***
コクピットのハッチが閉じ、外の世界が遮断される。
残されたのは、古い油の匂いと、冷たい鉄の感触。
そして、俺の指先に伝わる操縦レバーの適度な重み。
(……。……。……。……。ああ。……。……。……。……。これじゃ。……。……。……。……。この狭さ、この暗さ。……。……。……。……。やはり俺の居場所は、ドレスの中ではなく、ここだったんじゃな)
俺は、十二歳の華奢な身体を、特製のシートベルトで固く縛り上げた。
『抗G呼吸法』を起動。魔力が身体の内側を巡り、血管の一つ一つまでを鋼のように補強していく。
教官ガレットの声が、演習場のスピーカーから響いた。
「実習開始! 各員、精霊とのシンクロを開始せよ! 意識を精霊石に沈め、機体を慈しむように起動させろ!」
演習場全体が、精霊の共鳴による美しい光に包まれる。
Aクラスの機体たちが、柔らかな輝きを放ちながら、軽やかに立ち上がる。
だが、Fクラスの列で、俺の乗るポーン一型だけが、いつまでも沈黙を守っていた。
「おい、やっぱりダメじゃないか!」
「シンクロ率0%。あのお嬢様には、鉄を揺らすことすらできないんだわ」
嘲笑がピークに達した、その瞬間だった。
(……。……。……。……。おーい、精霊さんよ。……。……。……。……。言ったはずじゃぞ。……。……(お前さんは、ただの燃料じゃ。口を出すな)……。……。……。……。……。さあ、起きろ、相棒)
俺は、精霊への「祈り」を一切排除した。
代わりに、魔力で補強した右足で、床下の物理点火ペダルを力任せに踏み抜いた。
――ガチンッ!!
腹に響くような、重厚な金属音が響き渡った。
次の瞬間、精霊回路の水晶が光る代わりに、機体の背面からドス黒い蒸気が爆発的に噴き出した。
プシューゥゥゥゥゥゥッ!!
歯車が噛み合い、シリンダーが咆哮を上げる。
機体が、激しい振動と共に身震いを始めた。
最新鋭機のような静かな目覚めではない。それはまるで、眠っていた巨獣が無理やり叩き起こされ、怒りを露わにしたかのような、暴力的な「産声」だった。
「な、なんだ!? 壊れるぞ!」
「シンクロしていないのに、なぜ動いているんだ!? あの音は何だ!?」
静まり返る演習場。
教官ガレットが、モニターの数値を見て目を見開いた。
「……シンクロ率、0。魔力出力……限界値を突破!? バカな、物理制御だけで機体を……ねじ伏せているのか!?」
(……。……。……。……。ほれ。……。……。……。……。行くぞ。……。……。……。……。……。よっこいしょ)
俺は、重い物理レバーを、指先の感覚だけでミリ単位で引き込んだ。
最新型なら、精霊が良しなに調整してくれる「歩行」の動作。
だが、俺は自分の筋肉で、ワイヤーの張りとギアの噛み合わせを感じ取り、自らの意志で脚部を動かした。
――ドォォォォォン!!
ポーン一型の一歩が、大地を揺らした。
Aクラスのような「舞うような歩行」ではない。
一歩ごとに体重を乗せ、鋼鉄の重みを大地に叩きつける、まぎれもない「行進」。
無駄な揺れはない。膝の返しは、最新鋭機よりも鋭く、そして正確だった。
「……あり得ない。あの旧式機に、あんな機敏な動きができるはずが……」
ジャックが、呆然と立ち尽くしながら呟いた。
俺は、コクピットの中で、かつてのエースとしての牙を剥き出しにしていた。
(……。……。……。……。ハハッ。……。……。……。……。いい手応えじゃ。……。……。……。……。最近の軟弱な最新型にはない、この『鉄を操っておる』という実感が、たまらんわい)
***
実習が佳境に入った頃、事件は起きた。
俺の隣のレーンで、Aクラスの生徒が乗るシルフィードが、急激に体勢を崩したのだ。
無理な旋回。精霊への過剰な依存。
シンクロが不安定になった瞬間、機体は「意志」を失ったただの重しと化し、その巨躯が、隣で錆落としをしていたFクラスのミリーの方へと倒れ込んでいく。
「あ、あわわわ……!」
ミリーが、恐怖で足をすくませ、その場に座り込んだ。
数トンの鋼鉄が、彼女を押し潰そうと、死の影を落とす。
「止まれ! 緊急停止だ!」
「間に合わない! 逃げろ、ミリー!」
誰もが絶望した、その刹那。
(……。……。……。……。若造が。……。……。……。……。俺の前で。……。……(機体を転かすなと言ったはずじゃぞ)……。……。……。……。……ッ!!)
俺のポーンが、物理限界を超えた加速度で大地を蹴った。
精霊の補助を介さない、純粋な駆動力の爆発。
摩擦で関節が真っ赤に焼け、装甲が悲鳴を上げるが、俺の腕は一ミリもブレない。
――ドゴォォォォォンッ!!
激しい衝突音と共に、演習場に土煙が舞い上がった。
土煙が晴れたとき、そこには信じられない光景が広がっていた。
旧式機のポーンが、倒れ込んできた最新鋭のシルフィードを、たった片腕で受け止めていたのだ。
「……な、なんだと……」
「嘘だろ。ポーン一型が、最新型を……止めた……?」
俺は、コクピットの中でレバーをガッチリと固定し、外部スピーカーのスイッチを入れた。
「……。……。……。……。おい、お主。……。……。……。……。……。……。自分の機体の足元も見れんとは、……。……。……。……。……。……。パイロットを名乗るには、百年早いわい」
少女の声。だが、そこには数多の戦場を支配した英雄の覇気が籠もっていた。
暴走したAクラスの生徒は、コクピットの中で恐怖のあまり失禁し、ガタガタと震えていた。
俺は静かにシルフィードを押し戻し、直立させた。
***
実習終了の鐘が鳴る。
演習場は、先ほどまでの喧騒が嘘のように、不気味なほどの静寂に包まれていた。
教官も、Aクラスの連中も、ただただ呆然と、錆びた機体から降りてくる銀髪の少女を見つめていた。
俺は、熱を帯びたハッチを優雅に押し開き、タラップを降りた。
地面に足をついた瞬間、膝に軽い疲労感(この身体、やはり燃費が悪いわい)を覚え、思わず口を突いて出た。
「……。……。……。……。よっこいしょ。……。……。……。……。あー、やはり腰にくるわい」
「師匠、お疲れ様です。お茶をどうぞ。最高に渋いやつを用意しましたよ」
フェイが、何事もなかったかのように水筒を差し出す。
俺はそれを受け取り、絶世の美貌をさらに儚げに見せながら、お茶をズズッと啜った。
「……。……。……。……。ふぅ。……。……。……。……これじゃな。……。……。……。……やはり操縦の後は、茶を飲まんと、……。……。……。……魂の錆が落ちんわい」
周囲には、その姿が「無謀な救出劇を終え、精根尽き果てた悲劇の聖女」に見えていた。
だが、俺の脳内では、すでに次の課題が決まっていた。
(……。……。……。フェイ……。……。……。……。……。……。あそこの関節、オイルシールを三ミリ厚くせんと、……。……。……。……。……。……。次の急加速で爆発するぞ。今夜、直すぞ)
伝説のエースの「復活」。
それは、シンクロ率0%という絶望の底から、鋼鉄の咆哮と共に産声を上げたのだ。
(つづく)
第九話をお読みいただき、ありがとうございます!
ついに来ました、初搭乗実習!
最新鋭機たちが「精霊の魔法」で優雅に動く中、セリナ(おじいちゃん)だけが「物理とレバー」で地響きを立てて動き出す……という、本作最大のカタルシスポイントの一つを描かせていただきました。
コクピットに入った瞬間にスイッチが入り、物凄い覇気で機体をねじ伏せるギャップを楽しんでいただければ幸いです。
最新鋭機を片手で受け止めるポーン一型の姿は、まさに「弘法筆を選ばず」ならぬ「エースは鉄屑を選ばず」といったところでしょうか。
教官ガレットや、Aクラスのアルベルトたちが絶句する中、本人は「腰が痛い」と茶を啜る……。
この「周囲の常識が粉々に砕け散る音」こそが、本作の醍醐味です。
「おじいちゃんエース、かっこよすぎる!」「最新型を片手で止めるとか、もはやポーンじゃないw」
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次回、この一件が学園中に知れ渡り、セリナを巡る状況がさらに激変することに……?
引き続き、よろしくお願いいたします!




