第二十三話:自由への翼、あるいは民衆の盾
魔導艦『ゴルゴダ』が黒煙を吹き上げ、成層圏の空で無様に揺らぐ。冷却系を破壊され、魔法障壁を維持できなくなった巨艦は、もはや絶対的な聖域ではなかった。だが、その深部でリヒターが放った次なる一手は、空ではなく大地を呪うためのものであった。
「……セリナ。君が撒いた知恵の種が、これほどまでに世界を汚した。ならば、その芽を根こそぎ刈り取るしかない。聖銀騎士団へ告げよ。アラクネの信号を発する村々を、魔女の眷属として浄化せよ」
リヒターの冷徹な命令が、地上の待機部隊へと下される。
王国各地に点在するアラクネ・ネットワークのノード――物理学を信じ、自給自足と自由を求め始めた名もなき村々に、教皇庁直属の重装魔導騎士団が迫っていた。
北方の小さな集落、ナディの村。そこでは、昨日まで自分たちを守っていた『聖なる奇跡』が、今や自分たちを殺すための暴力として牙を剥こうとしていた。地平線の向こうから、白銀の装甲を纏った魔導機甲の列が砂塵を上げて進軍してくる。
「来たぞ……騎士団だ! 魔法の盾に守られた、化け物どもがやってくる!」
村人の一人が叫ぶ。かつての彼らなら、この光景を前にすれば、ただ地面に跪いて神に慈悲を乞うしかなかっただろう。だが、今の彼らの瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの強い意志が宿っていた。
「慌てるな! ジャン様が届けてくれた設計図通りに、あいつを起動するんだ。僕たちはもう、祈るだけの子供じゃない!」
サシャに命を救われた少年が村の中央に据えられた奇妙な鉄塔を指差した。それは、ジャンが廃棄場から拾い集めたジャンクパーツと、セリナが公開した電波工学の粋を集めた代物――『広帯域物理ノイズ発生装置』であった。
聖銀騎士団が村の境界線へと到達したその瞬間、機甲の指揮官が抜剣した。
「異端に染まりし羊たちよ。主の怒りを受け入れよ。第一波、魔導追尾弾――放て!」
騎士たちが掲げた杖から、青白い光を放つ追尾弾が射出された。ターゲットの熱源を魔法的に捕捉し、どこまでも追い続ける必殺の弾頭。だが、村人が巨大なクランクを力一杯回した瞬間、鉄塔の頂部にある真空管が赤く熱し、凄まじい「ノイズ」が放たれた。
魔法の制御信号も、本質的には空間を伝播する特定の周波数を持った「波動」に過ぎない。物理的な金属片の散布と、不規則な電磁ノイズの放射により、騎士団の照準システムは物理的な撹乱を受けた。
$$SNR = \frac{P_{signal}}{P_{noise}}$$
魔法の信号電力に対して、圧倒的な物理ノイズ電力を叩きつける。その瞬間、空中で描かれていた魔法の幾何学模様が、砂嵐のようなノイズに飲み込まれて霧散した。
「な……追尾弾が制御不能だと!? 魔法の回路が……沈黙している!?」
騎士団の指揮官が驚愕の声を上げた。さらに、彼らの機甲を浮かせていた浮揚魔法までもが、物理的なノイズの干渉によって位相を乱され、出力を失っていく。無敵を誇った白銀の騎士たちは、ただの重い鉄の塊へと成り果て、泥濘の中へと無様に墜落していった。
物理学は、一部の天才だけの特権ではない。理を理解し、ガラクタからでも道具を作り出せる知恵を持つ者すべてに、平等に力を与える。村人たちは、墜落した騎士たちに対し、自分たちで作った物理的な弩弓を構えた。
「僕たちが守っているのは、村じゃない。自分たちで考えるという自由だ! 帰れ、奇跡の奴隷ども!」
各地の村々から、物理の反撃が狼煙となって上がる。かつてセリナがアラクネの糸を紡いだ時、彼女は確信していた。理という盾を持てば、人は誰の手も借りずに大地に立てるようになるのだと。
その光景を、成層圏のエグゾスフィアのモニターが捉えていた。
王国全土の地図の上に、次々と点灯する「自由の信号」。それは教会の支配が及ばなくなった領域を示す、物理の火であった。
「……よい。光景じゃな。物理とは。本来。誰の手の中にも。あるもの。……フェイ。わしたちも。負けて。おられんわい」
セリナは、モニターに映る無数の光の点を見つめ、静かに、だが誇らしげに微笑んだ。彼女の戦いは、もはや孤独な逃亡劇ではない。世界中の名もなき人々との、理を通じた連帯となっていた。
「はい、師匠! みんな、自分の足で大地を踏みしめています。あはは、あんなに重苦しかった地上に、こんなに明るい光が灯るなんて。師匠、本当によかったですね」
フェイの声には、かつての明るさに加え、師匠の理想が結実したことへの深い喜びが混じっていた。
セリナはエグゾスフィアのスロットルを引き、機首を天へと向けた。地上の守りは、もはや彼女の役目ではない。人々が自らの盾を手にした今、彼女がすべきことはただ一つ。
「……行くぞ。リヒター。お主の。偽りの。神話を。今度こそ。終わらせて。やるわい」
高度二万五千メートル。空が完全な黒へと変わり、星々がその真実の輝きを放ち始める場所。
物理の魔女と、魔法の総帥。二人の天才による、空の極限の対決が幕を開けようとしていた。
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次回お楽しみに。




