第二十二話:愛の弾丸、あるいはフェイの臨界点
黄金の光が成層圏の空を焼き、空間そのものを歪ませていた。
セリナが放った超高周波振動剣の一撃により、魔導艦『ゴルゴダ』を包んでいた『絶対聖域』には、目視可能なほどの巨大な亀裂が走っている。だが、教皇庁が誇る神の盾は、リヒターの執念に近い魔力注入によって、急速にその断面を繋ぎ合わせようとしていた。
「フェイ、三十秒じゃ。この穴が閉じる前に、お主の理を通してみせよ!」
セリナの咆哮が、大気の震えを通じて通信網に響く。アーク・フェニールⅣ『エグゾスフィア』は、振動剣の出力を維持するために全エネルギーをブレードに回し、強引に障壁の縁を食い止めていた。火花を散らす黄金の障壁と、青白いプラズマを纏った物理の刃が激しく干渉し、周囲の希薄な空気を物理的に引き裂き、雷鳴のような放電現象を引き起こしている。
随伴機を駆るフェイは、その光景を冷徹なまでに見据えていた。
「了解しました、師匠。アラクネ、火器管制システムを臨界モードへ移行。演算リソースの九割を弾道補正に振り向けます」
フェイの声は驚くほど静かだった。一番弟子として、師匠が命懸けで作った「針の穴」を絶対に無駄にしないという、極限の集中力が彼女の精神を研ぎ澄ませていた。
高度二万メートル。重力は地上よりわずかに弱く、大気は希薄だが、極超音速の飛行による気流の乱れはわずかな誤差を数キロ先の着弾点では致命的なズレへと変える。フェイの脳内では、アラクネから転送される膨大な観測データが、瞬時に数式へと変換され、視界を覆い尽くしていく。
コリオリの力:地球の自転がもたらす横方向の偏差。
マナの屈折率:障壁付近で歪む空間が光を曲げる、その光学的な欺瞞。
断熱圧縮:超音速弾頭が空気を切り裂く際に発生する熱と抵抗係数。
フェイは、計器盤を凝視しながら、熱線映像の倍率を最大まで引き上げた。リヒターは偽装魔術を用いて艦の急所を覆い隠していたが、物理学――特に「熱力学第二法則」の前では、その欺瞞はあまりに無力だった。
「どんなに隠しても無駄です。これほど巨大な質量を空中に繋ぎ止めるためにマナを燃やせば、必ず『廃熱』が出る。エントロピーが増大する限り、あなたは熱という真実からは逃げられない」
フェイは、艦の中央部にあるわずかな温度の揺らぎを特定した。そこには、膨大な熱量を処理するための物理的な水冷タンクと、排熱スリットが隠されている。
$$R = \frac{v^2 \sin 2\theta}{g}$$
弾道の基本射程を示す公式に、フェイは独自の物理補正項を書き加えていく。彼女の指が、操縦桿のトリガーガードを静かに、だが迷いなく押し下げた。
残り、十秒。
黄金の障壁が、セリナの振動剣を強引に押し戻し始めた。空間が軋み、エグゾスフィアの耐熱装甲が摩擦熱と魔力の干渉で悲鳴を上げる。
「無駄なことを。物理という名の不確実な予測が、神の絶対的な守護を抜けるはずがない。セリナ、君の絶望を以て、この空の物語は幕を閉じる」
リヒターの声が艦橋から届く。だが、フェイにとってその声は、背景を流れる無意味なノイズに過ぎなかった。今の彼女にとっての世界は、スコープの中に映る一点の座標と、それへと続く理の線、ただそれだけだった。
「風よし。重力補正、完了。屈折率、誤差一ミリ。……臨界点、到達」
フェイは、自身の鼓動を機体の微細な振動と同期させた。右肩部に搭載された「超長距離電磁加速砲」のコンデンサが、青い火花を散らしながら臨界出力を超え、周囲の空間を帯電させる。
「理は、決して外れません」
フェイが引き金を引いた。
大気を真っ二つに叩き割るような衝撃波と共に、タングステン製の特殊質量弾が射出された。魔法のマナなどは一切含まれない、純粋な「質量」と「速度」による物理の暴力。弾丸は成層圏の空気を一瞬でプラズマ化させ、光の尾を引きながら、セリナがこじ開けた三十センチの隙間へと吸い込まれていった。
次の瞬間、黄金の障壁の内側で、凄まじい水蒸気爆発が起きた。
命中。
弾丸はゴルゴダの外殻を易々と貫通し、その内部にある超高圧冷却水タンクを粉砕した。百度を遥かに超える冷却水が一気に気化し、膨張した蒸気が艦の内部回路を物理的に破壊し、焼き切っていく。
「馬鹿な……!? この距離で、この極小の隙間を射抜いたというのか!? 物理の精度が、神の加護を上回るなどと……!」
リヒターの驚愕が、艦を揺らす爆振と共に伝わってくる。冷却系を破壊されたゴルゴダは、主機関のオーバーヒートを防ぐために、全ての魔法出力を強制遮断せざるを得なくなった。艦を包んでいた『絶対聖域』が、霧が晴れるように、しかし無残に消えていく。
「やったな、フェイ。お主の理、しかと届いたわい」
セリナは、振動剣を引き抜き、赤熱した機体を翻した。背後では、フェイの機体が熱い硝煙を砲身から吹き出し、空中に美しい航跡を描いている。
「師匠、お待たせしました。これで、あの艦はただの熱い鉄の塊です」
フェイの声には、深い安堵と、師匠への絶対的な信頼が混じっていた。魔導艦『ゴルゴダ』は、自らが排出した熱の檻に囚われ、雲海の上で悶え始めている。魔法という名の「嘘」が、物理学という名の「真実」の弾丸に、ついに屈した瞬間であった。
だが、セリナの視線はすでに、遥か下方の地上へと向いていた。アラクネ・ネットワークを通じて、彼女には見えていた。拠点の人々が、自分たちが作った「物理の盾」を掲げ、不当な支配に抗い始めようとするその輝きが。
「行くぞ、フェイ。ここからは、わしたちだけの戦いではないぞ」
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次回お楽しみに。




