第二十話:絶体絶命、あるいは成層圏の火花
空中戦の勝敗が決したかに見えたその瞬間、世界の色彩が反転した。
魔導艦『ゴルゴダ』の艦首が、生き物のように割れ、隠されていた巨大な砲身が姿を現す。教皇庁の最終兵器の一つ、超長距離魔導主砲『裁きの光』。それは膨大なマナを物理的な運動エネルギーへと変換し、光速に近い速度で質量弾を撃ち出す、物理と魔法を歪に融合させた「槍」であった。
回避の余地などなかった。
放たれた白銀の閃光は、成層圏の薄い空気をプラズマ化させながら、要塞『アイアン・パレス・アルファ』の右舷エンジンブロックを正確に貫いた。
轟音という言葉すら生温い、空間そのものが削り取られるような衝撃。要塞の防壁を構成していた物理装甲が紙細工のように引き裂かれ、内部の真空管や導管が次々と破裂していく。
「各員、衝撃に備えよ! システム、復旧を急げ!」
作戦室のクラウスの叫びが、激しいノイズに掻き消される。
モニター越しに見える要塞の姿は、右舷から激しい黒煙を吹き上げ、緩やかに、だが確実に機首を下げ始めていた。主機関である高圧蒸気タービンが停止し、高度を維持するための揚力が失われたのだ。
『理は計算によって成り立つ。ならば、その計算の前提となる「器」を壊せば、答えは自ずと消滅する。……沈め、セリナ。君の誇り諸共にな』
リヒターの冷徹な声が、通信の断片から漏れ聞こえる。
アーク・フェニールⅣ『エグゾスフィア』のコクピットで、セリナは操縦桿を握る手に血が滲むほど力を込めた。
「ガッツ……。耐えろ。お主の作った船が、こんな場所で沈んでよいわけがない。わしは、お主を信じておるぞ」
セリナは戦場から離脱して要塞へ戻りたい衝動を、鋼の意志で抑え込んだ。今、自分が背後を見せれば、残存する無人機が要塞の傷口を徹底的に叩くだろう。彼女にできるのは、リヒターの目を自分に惹きつけ続け、動力室の「老兵」にすべてを託すことだけだった。
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一方、要塞最下層の動力室は、地獄と化していた。
主配管が破裂し、百度を超える高圧蒸気が部屋中に充満している。視界はゼロ。自動消火システムは衝撃で焼き切られ、非常用バッテリーもマナの干渉で沈黙した。暗闇と熱気の中で、若い整備兵たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「終わりだ……エンジンが焼けてる! ここはもう爆発するぞ!」
崩れ落ちる隔壁、降り注ぐ火花。絶望が部屋を支配しようとしたその時、重厚な金属音が響き渡った。
「誰が終わりだって言った、この馬鹿垂れがッ!」
蒸気のカーテンを割り、巨大なレンチを担いだガッツが現れた。
防護服すら着ていない。作業着一枚のその体からは、熱気で焼ける肌の匂いが立ち昇っている。だが、その瞳には、かつて王国のあらゆるジャンクを蘇らせてきた「技術屋」としての、凄まじい執念が宿っていた。
「ガッツさん! でも、制御コンピュータが死んでます! 手出しできません!」
「機械を動かすのは電気じゃねえ、油と鉄だ! 計算機が死んだなら、俺たちの手足で回せばいい。いいか、あそこで戦ってる嬢ちゃんたちの帰る場所を、俺たちの不手際で失くしていいわけねえだろうが!」
ガッツは、真っ赤に熱せられたバイパスバルブへ素手で飛びついた。
皮膚が焼ける音がし、激痛が脳を揺らす。だが、老兵は歯を食いしばり、全身の重みをかけてバルブを強引に回し始めた。
「熱力学ってのはな、逃げる場所を作ってやりゃあ、文句言わずに働いてくれるんだよ!」
ガッツがバルブをこじ開けると、行き場を失っていた高圧蒸気が予備の機械式ラインへと流れ込んだ。
続いて彼は、かつて「いつか必要になる」とジャンの隠し倉庫から引っ張ってきた、巨大な機械式連結ギアのレバーに取り付いた。
「手動……連結ッ!」
ガッツは、自身の体重と、これまで数十年の間に培ってきた「機械への愛」のすべてを込め、巨大なレバーを引き下げる。
物理的な歯車と歯車が、火花を散らしながら噛み合った。
「死なすかよ、嬢ちゃん……! このパレスは、俺の……俺たちの誇りなんだよォッ!」
ガッツの咆哮。
その瞬間、沈黙していた要塞の心臓部が、物理的な振動を伴って「ドクン」と鼓動した。
自動制御ではない。蒸気の膨張圧が、ガッツの繋いだギアを通じて直接プロペラシャフトを回し始めたのだ。
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「……高度低下、停止! 出力、急速回復しています!」
要塞のブリッジで、イザベラが驚愕の声を上げた。
墜落寸前、海面まであと数百メートルというところで、『アイアン・パレス・アルファ』は成層圏の底で踏みとどまった。右舷エンジンからは、不格好だが力強い青い炎が吹き出し、要塞を再び空へと押し上げていく。
「師匠、聞こえますか! 異常な出力です。これ……ガッツさんが手動でボイラーを直結して、リミッターを物理的に外してます!」
フェイの報告を聞き、セリナは小さく、だが深く微笑んだ。
「よし。よくやったな、ガッツ。お主の意地、しかと受け取ったわい」
セリナの視線の先には、主砲を撃ち終え、次なる装填に入ろうとしているゴルゴダの姿があった。
セリナは操縦桿を倒し、アーク・フェニールⅣの加速をさらに一段階引き上げる。機体表面が空気摩擦で赤熱し、大気が悲鳴を上げる。
「フェイ、クラウス、全機に通達じゃ。わしたちに、もう守りは不要。これより、あの傲慢な城を理の刃で叩き切る」
成層圏に散る火花。
それは、滅びゆく魔法の残滓ではなく、自らの手で未来を掴もうとする人間たちの、物理的な魂の輝きであった。
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次回お楽しみに。




