第十七話:物理の連帯、あるいは蜘蛛の巣の逆襲
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教皇庁による「物理禁止令」は、単なる物資の封鎖に留まらなかった。それは、言葉を奪い、人々の思考を孤立させる「情報の断絶」であった。
教会の認可を受けない対話は「悪魔の誘惑」と断じられ、村から村への街道には検問が敷かれ、魔法通信は教皇庁の都合の良い嘘だけを垂れ流し続けていた。
「……。人は。一人では。弱い。……。だから。奴らは。壁を。作る。……。だが。理は。壁を。透過する。……。クラウス。始めよ」
空中要塞『アイアン・パレス・アルファ』の最深部。セリナ・アルスタインは、愛用のティーカップをソーサーに戻し、静かに告げた。
その瞳には、六十八年の経験に裏打ちされた、揺るぎない確信が宿っている。
作戦室のコンソールを操作するクラウスが、鋭い眼光をモニターに向けた。
「了解いたしました、セリナ様。教皇庁の『中央集権的な魔法通信』に対し、我々は『分散型の物理通信網』を展開します。……ジャン、ポロ、ミリー。各中継地点の状態はどうだ?」
通信回線を通じて、明るい声が飛び込んできた。
「師匠! 見ててくださいよ、俺が各村のゴミ捨て場から拾い集めたジャンクパーツで作った『物理ノード』が、今一斉に目を覚まします!」
ジャンが誇らしげに叫ぶ。彼がこれまでの数ヶ月、密かに王国全土の協力的な村々へ運び込んでいたのは、魔法の加護など一切ない、ただのコイルと真空管、そして鉱石ラジオの応用機材であった。
「全ノード、同調開始! ミリーの広報データ、ポロの暗号化パケット、流し込むよ!」
フェイがスタジオのカメラの前で、弾けるような笑顔で親指を立てた。
「あはは! 師匠、ついにこの日が来ましたね! 世界中の人たちが、教会の監視をすり抜けて『本当のこと』を話し始める瞬間が!」
フェイの瞳は希望に満ち溢れている。彼女にとって、物理学とはただの武器ではなく、人々と師匠を、そして世界を繋ぐための「架け橋」なのだ。
クラウスが最後の一打をコンソールに叩き込んだ。
「物理通信網『アラクネ(蜘蛛の巣)』、起動。……魔法の波形では感知できない、微弱な高周波信号で世界を包囲します」
その瞬間、王国各地で奇跡が起きた。
教皇庁の厳しい監視下にある村々の片隅で。ある者は古い納屋に隠したラジオから、ある者は広場の端に捨てられたガラクタから、小さな「音」を拾い始めた。
『……。聞こえるか。……。物理を。信じる者。……。真実を。求める者たちよ』
セリナの静かで重みのある声が、教皇庁の巨大な魔導障壁を物理的に透過し、人々の耳元へ直接届く。
驚いた民衆が、恐る恐る機材のスイッチを回すと、そこには教皇庁が「餓死した」と報じていた拠点の人々が、元気に野菜を収穫し、笑い合っている「生の声」と「データ」が溢れ出していた。
「おい、これを聞け! 物理の拠点は、まだ生きているぞ!」
「魔女の言葉じゃない。これは……隣の村のハンスの声だ! アイツ、あっちの拠点で元気にやってるのか!」
アラクネ・ネットワークは、中央サーバーを持たない。各村に配置された小さなジャンク機材が、互いに信号をリレーし合い、網の目のように繋がっていく「メッシュネットワーク」である。
魔法通信が巨大な一本の塔から発信される「命令」だとするなら、物理通信は大地を這う蜘蛛の巣のように、どこを切っても止まらない「連帯」であった。
「セリナ様、教皇庁が妨害を開始しました! 強大なマナを放射して、全帯域を焼き切るつもりです!」
ポロが叫ぶが、クラウスは眉一つ動かさない。
「想定内だ。……ポロ、周波数ホッピング(Frequency Hopping)を開始しろ。一秒間に千回、信号の周波数をランダムに変える。魔法という『鈍重な波』では、この物理的な速度には追いつけない」
物理航空団の精鋭たちの知恵が、数式となって虚空を舞う。
ジャンク品を愛するジャンの執念、ルミエの精密な配線、ミリーの伝える言葉、そしてフェイの明るい笑顔が、一つの巨大な「連帯」となって教皇庁の支配を内側から食い破っていく。
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王都の路地裏。
一人の若者が、小さな手作りの通信機に向かって震える声で話しかけた。
「……こちら、北方のナディの村。教会の徴収で、今年の冬を越せる食料がありません。助けてください」
数秒後、ノイズの向こうから、別の声が返ってきた。
「こちら、東の鉱山町だ。俺たちのところには、ジャンが届けてくれた古い脱穀機がある。夜中にこっそり裏道を通って、予備の種芋を運んでやるよ。……姉様の機体が、空から見張りをしてくれるはずだ」
教皇庁が最も恐れていた事態——。
人々の「対話」が、教会の介在なしに始まってしまった。
理不尽な搾取に耐えていた人々が、物理という共通の言語を通じて、互いの窮状を知り、助け合うためのネットワークを構築し始めたのだ。
作戦室のモニターには、王国全土に広がる無数の光の点が表示されている。
それは、アラクネ・ネットワークに参加している人々の数だった。
「師匠! 見てください、光の網が世界を覆い尽くそうとしていますよ!」
フェイがセリナの肩を抱き寄せ、無邪気に喜ぶ。
「あはは! どんなに壁を作っても、人の想いと物理の電波までは閉じ込められませんね!」
「……。……。フェイ。……。お主。……。声が。大きい。……。だが。……。悪くない。光景じゃ」
セリナは、モニターに映る無数の光の粒を見つめ、少しだけ目を細めた。
それはかつて、彼女がエドワードとして戦っていた時代にも成し得なかった、「力」ではなく「理解」による連帯の姿であった。
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教皇庁、最深部の祈祷室。
リヒターは、完全に沈黙してしまった巨大な魔導水晶の前に立ち尽くしていた。
彼がどれほど強力なマナを流し込もうとも、アラクネという「実体のない蜘蛛の巣」は、柳に風と受け流し、民衆の囁きを止められない。
「……連帯。個々の弱さを、システムの網で補うか。……。クラウス、これが君の解答か。……。教会の声が届かない場所で、人々が自分たちの言葉で語り始めたというわけだね」
リヒターの顔に、底知れぬ影が差す。
彼は悟った。もはや武力で要塞を落としたところで、この「物理の理」を知ってしまった人々の心までは、元に戻せないことを。
「情報の壁は崩れた。……。ならば、次は『実体』を以て、その蜘蛛の巣そのものを焼き払うしかない。……。聖騎士団に告げよ。……。物理を信じる村々、そのすべてを魔女の眷属と見なし、浄化の炎を贈るのだと」
リヒターの冷徹な一言が、次なる悲劇の幕を開ける。
だが、南方拠点のセリナたちは、自分たちの作った「網」の強度を信じていた。
「……。来い。……。リヒター。……。わしたちの。網は。……。もう。切れる。ほど。……。柔では。ないぞ」
セリナは最後の一口の紅茶を飲み干した。
物理学が生んだ情報の連帯。それは世界を一つにする希望であると同時に、教皇庁との全面戦争を不可避にする、最後の一線を超えた瞬間でもあった。
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第3部前半の集大成、第50話。
「物理の連帯」がついに結実しました。魔法という中央集権的な支配に対し、分散型のネットワークで対抗する。フェイの明るさが、重苦しい情報の壁を打ち破る象徴的な回となりました。
次回もお楽しみに!




