第十三話:精霊の沈黙、あるいは真空の理
南方拠点の再建が進む中、空中要塞『アイアン・パレス・アルファ』の作戦会議室には、重苦しい沈黙が流れていた。ホログラム・テーブルに投影されていたのは、かつてクラウスが教皇庁に張り巡らせた諜報網が捉えた機密情報である。
「……。聖物理教導隊、だと。……。薄汚い手で、わしの理に触れるな」
セリナ・アルスタインは、吐き捨てるように言った。教皇庁は物理の脅威を認めつつ、それを魔法で歪めて利用する『聖物理教導隊』を設立。魔法で摩擦を消し、慣性を強引に制御する「物理法則を魔法でねじ伏せる」という禁忌の術式を採用したのだ。
「奴らは物理学を、精霊の御業を効率化するための奴隷として去勢し、利用し始めました。お嬢様、このままでは数で勝る教皇庁に、我々の技術が飲み込まれます」
イザベラの報告に、アイゼンが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「ならば、彼らの届かぬ高みを見せるしかありません。高度三万メートル。精霊の密度が現象維持の閾値を下回り、魔法が完全に沈黙する空白の領域。そこを我々ギアドライブの独壇場としましょう」
数日後、第一格納庫。セリナは新たなる愛機、アーク・フェニールⅣ『エグゾスフィア』と対面していた。そこに屹立するのは、人型機動兵器としての威厳を保ちつつ、虚空へ挑むための異形。前継機Ⅲ型も人型であったが、Ⅳ型はより洗練された。全身を覆うのは再突入の熱から機体を守る白いセラミックタイル。関節部には真空での動作を保証する銀色のチタン合金が輝き、背部には巨大な加速ユニットが翼のように突き出している。
「嬢ちゃん、こいつの心臓はニュートン・ドライブ・マークⅡだ。空気がなくなれば液体酸素を飲み込んでロケットに切り替わる。魔法という名の甘い霧を突き抜けるための、純粋な物理の咆哮だぜ」
ガッツが誇らしげに機体を叩く。だが、セリナはそれどころではなかった。
「……。……。アイゼン。……。わしをダルマにする気か、これは!」
出撃直前、セリナは新型の気密服に身を包んでいた。内部圧力を保つためにパンパンに膨らみ、銀色の球体に手足が生えたような不格好な姿。
「我慢してください、お嬢様。高度三万では、気圧が低すぎて体内の酸素が沸騰します。この服の一気圧こそが、あなたの命を繋ぐ繭なのです」
イザベラが無慈悲にヘルメットをロックした。要塞の電磁カタパルト・デッキ。ギアドライブ『エグゾスフィア』の排気口から、液体酸素の冷気が白い霧となって立ち昇る。
「全セクション、チェック完了。ポロ、ミリー、空の果てを見せてやるわい」
「了解、セリナ様! 外部マナセンサー遮断! 物理計器、オールグリーン!」
「サシャ隊、警戒空域を確保! あねご、でっかい花火、打ち上げてきて!」
十、九、八――カウントダウンと共に、要塞全体を揺らす重低音が響き渡る。
三、二、一――発進!
ドォォォォォォォォォォン!!
電磁カタパルトの猛烈な加速と、ロケットエンジンの推力がセリナの体をシートに押し付けた。空中でセリナが変形レバーを叩き込む。ギアドライブの四肢が複雑に折り畳まれ、機体は衝撃波を効率的に受け流すウェイブライダー形態へと姿を変えた。高度一万、二万を数秒で突破。キャノピーの外では、空気の摩擦による熱が機体を白く輝かせる。
「高度二万五千! 大気圧 $P$ が急激に低下しています。エンジン、サイクル切り替え!」
セリナがレバーを引いた。空気吸い込み口が閉じ、液体酸素が燃焼室へ奔流となって流れ込む。瞬間、エンジンの咆哮が一段高くなり、物理的な推力が重力を力ずくでねじ伏せた。高度三万メートル突破。その瞬間、世界から音が消えた。
常にパイロットの耳に纏わりついていた環境マナの共鳴音が、プツリと断絶したのだ。精霊の密度が、魔法を維持できないレベルまで希薄になった領域。魔法通信も防衛結界も、ここでは無意味なガラクタと化す。
「……。……。消えた。……。何も聞こえんわい。……。ただの静寂じゃ」
セリナは変形を解除し、エグゾスフィアを再び人型へと戻した。姿勢制御用スラスターが白いガスを噴き、白銀のギアドライブが虚空に浮遊する。キャノピーの外、空はもはや漆黒に染まり、眼下には緩やかに湾曲した青い大地が広がっていた。
$$P = P_0 \exp\left(-\frac{Mgh}{RT}\right)$$
アイゼンが示した通りの、残酷なまでに正確な物理の景色。セリナは、グローブの中で自分の鼓動を感じていた。ここには祈りを聞く神も精霊もおらん。あるのは、質量と速度、そして冷徹な理だけだ。
「……。アイゼン。エリュシオンが見える。……。わしの勘じゃが、あそこはただの浮いている石の塊じゃ。物理の翼で、必ず引き摺り下ろしてやるわい」
漆黒の宇宙を背景に、天空都市エリュシオンが放つ偽りの光を、エグゾスフィアのカメラアイが捉えた。
「……。……。よし。地上の若造どもに、ハッキング配信とやらを仕掛ける準備をせえ。魔法が消えた後の世界の姿を、少しばかり見せてやるとしよう」
銀色のダルマのような少女を乗せたギアドライブは、黒い太陽を背に、再び青い大地へと向かって急降下を開始した。
【後書き】
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次回「偶像の拡散、あるいはハッキング配信」。
お楽しみに。




