第八話:北の鉄山、あるいは凍てつく物理学
空中要塞『アイアン・パレス・アルファ』の艦橋から見下ろす景色は、無慈悲な白一色の世界だった。
北方の最果て、魔導鉱山都市ノルト・カルト。かつては王国の発展を支えた鉄山だが、精霊の加護が薄れたとされる近年、この街は死の淵に立たされていた。
「……。北の寒さは骨身に染みるわい。……。祈りで暖まるなら、わしも聖女など引退しておる」
セリナ・アルスタインは、防寒仕様の厚手のコートを羽織り、窓の外の猛吹雪を見つめていた。
眼下では、精霊教会の巨大な聖堂だけが魔法の灯りで赤々と輝き、その周囲に広がる民衆の居住区は、まるで墓標のように冷たく沈黙している。
「報告によれば、教会の司祭は『精霊への信仰が足りぬゆえに熱が失われた』と説き、暖房用の魔石を平時の十倍の価格で売り捌いているそうです。……。……。買えぬ者は、ただ凍えて死ぬのを待つのみ。最悪の搾取ですね」
ポロが冷徹な声で状況を補足する。その手元では、赤外線センサーが捉えた都市の「熱分布図」が投影されていた。教会だけが過剰に熱を持ち、街の九割は絶対零度に近い青色に染まっている。
「嬢ちゃん、準備はいいか。アイゼンが設計した『高圧石炭ボイラー・ユニット』、いつでも投下できるぜ。ニコラとジャックが執念で組み上げた、俺たちの理の結晶だ」
ガッツが頼もしく笑いながら、重厚なスパナを肩に担いだ。セリナは頷き、ブリッジを後にした。
※※※
ノルト・カルトの広場。雪に埋もれ、震えながら教会の施しを待つ民衆の頭上に、巨大な影が差した。
雲を割り、鈍い銀色の巨躯――アイアン・パレス・アルファが降臨する。
民衆が驚愕の声を上げる中、要塞の底部から巨大な鉄の塊が、パラシュートと共に投下された。
ズゥゥゥゥン!!
地響きと共に着地したのは、無骨な、しかし機能美に溢れた巨大な機械装置だった。
その頂点に設けられたステージに、銀髪をなびかせたセリナが舞い降りる。
「……。……。ノルト・カルトの皆。震えるのはもう終いじゃ。神に跪く必要はない。お主らの足元にある石炭と、この鉄の箱が、お主らの命を繋ぐ」
セリナの歌声が、拡声器を通じて吹雪を切り裂いた。
それは単なる歌ではない。アイゼンが算出したボイラーの「最適燃焼サイクル」を指示する、精密なパルス信号を兼ねていた。
「ニコラ、ジャック! 点火シークエンス開始じゃ!」
「了解しました、セリナ様! 切削精度〇・〇〇一ミリのピストン、回してみせます!」
ニコラが制御盤を叩き、ジャックが巨大な給炭レバーを引き絞る。
教皇庁が模倣した『レムレース』とは訳が違う。一つ一つの部品に、職人の魂と物理の理が刻み込まれた本物の蒸気機関が、その産声を上げた。
シュゴォォォォォォォ!!
排気筒から白い蒸気が天高く吹き上がる。
ボイラーユニットから四方に伸びた耐圧配管が、都市の地下に張り巡らされた古い水道管や暖房網に接続されていく。
魔法の火に頼らない、純粋な「水の相転移」による熱の伝播。
「な、なんだ、この暖かさは……!? 魔石を使っていないのに、壁が、床が、熱を持っているぞ!」
一人の老人が、自宅の壁に触れて叫んだ。
瞬く間に、街の青い熱分布図が鮮やかなオレンジ色へと塗り替えられていく。
セリナはステージの上で、マグネシウムの閃光を放ちながら、物理学の福音を歌い続けた。
「……。……。熱は奇跡ではない。物質の振動であり、エネルギーの移動じゃ。理を知れば、誰の手にも平等に暖かさは届く」
※※※
その光景に、教会の聖堂から豪華な法衣に身を包んだ司祭が、狂乱した様子で飛び出してきた。
「おのれ、魔女め! 精霊の怒りを鎮める神聖な儀式を、そのような不浄な鉄の塊で汚すとは! 民草よ、騙されるな! その熱は悪魔の業だ、いずれ魂を焼き尽くすぞ!」
司祭の手から魔法の火炎が放たれようとした瞬間、一発の銃声が空気を裂いた。
フェイによる、魔力回路のみを焼き切る精密狙撃(ジャミング弾)だ。
「……。……。司祭様。悪魔の業かどうかは、この街の人々に聞くがいい」
セリナが冷たく言い放つと、司祭の周囲には、すでに教会を敬う者の姿はなかった。
民衆は、教会の冷たい光ではなく、ボイラーが放つ力強い、泥臭いまでの暖かさに身を寄せ合っていた。
暖かさを取り戻した民衆の目は、もはや恐怖に支配されてはいない。
「イザベラ。後は任せたぞ。この街の『熱効率』を最適化し、教会の支配を根底から解体してしまえ」
「承知いたしました、お嬢様。……。物理的な暖かさを知った人間に、もう高価な魔石は売れません。司祭様、これまでの搾取についての清算、物理的に行わせていただきます」
イザベラが冷徹な笑みを浮かべ、帳簿を手に司祭へと歩み寄る。それは魔法の権威が、物理という実利の前に敗北した瞬間だった。
※※※
数時間後。ノルト・カルトの空には、吹雪が止み、晴れ間が覗いていた。
要塞のハンガーに戻ったセリナは、ニコラとジャックが手入れをしているボイラーの予備パーツを見つめていた。
「セリナ様! 見てください、この熱交換器。教皇庁の偽物なら今頃溶けてますが、私たちの物理パーツはマッハ三の熱にも耐えられる設計ですからね!」
ニコラが誇らしげに胸を張る。その表情には、もはや「不適合者」の陰りはない。
「……。ああ、よくやった。わしの翼も、この熱に負けぬよう頼むぞ」
セリナは二人の頭を軽く撫で、アイゼンの待つ作戦会議室へと向かった。
ホログラム・テーブルの上では、北方の拠点が鮮やかな青い光となって、アイアン・パレスと結ばれていた。
「セリナ。北方からの石炭供給ルートが確立されました。これで要塞のエネルギー問題は当面解決です。……。次は、南の砂漠地帯ですね。深刻な水不足、大気圧の理で解決してあげましょう」
「アイゼン。……。……。ああ、わかっておる。次は水じゃな。忙しいわい」
セリナは、最後の一口の茶を飲み干した。
北方拠点、『点と線』の二つ目が繋がった。
物理の火は、凍てつく大地を確実に溶かし始めている。
「……。……。さて。次はレンの出番かの。……。あの真面目すぎる盾を、少しは休ませてやらねばならんが」
セリナは、静かに次の空を見据えた。
物理の夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。
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次回「寡黙な盾、あるいはレンの誓い」。
お楽しみに。




