第四話:理(ことわり)の伝播、あるいは点と線の革命
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空中要塞『アイアン・パレス・アルファ』の艦橋は、かつての王立魔導学院の静謐な図書室とは対照的に、絶え間ない情報の電子音と、冷却ファンの唸り、そして物理回路が発する微かな熱気に満ちていた。
中央に鎮座する巨大なホログラム・テーブルには、この世界の詳細な地図が投影されている。だが、それは魔導師たちが用いる「魔素の潮流」を示すものではない。そこにあるのは、標高、気圧、地質、そして「物理通信網」の接続状況を示す、冷徹なまでの事実の集積だった。
「……。……こうして見ると、この世界も存外に狭く感じるものじゃな」
セリナ・アルスタインは、ブリッジの端でガッツが淹れた茶を啜りながら、ホログラムに浮かぶ無数の光点を見つめていた。
昨夜の全世界同時ハッキング配信から、まだ二十四時間も経過していない。しかし、その青い光は、確実に世界を侵食し始めていた。
「狭いどころか、今や私たちの手の内ですよ、セリナ様。見てください。配信後、潜伏していた全二十四の物理拠点が、一斉に『応答』を返してきました」
ポロが、長い指先でコンソールを弾くように叩く。
ホログラム上の光点が、次々と鮮やかな青色に変わっていく。それは、魔法という不確かな奇跡を捨て、物理という確かな理を掲げる反抗の火種が、一斉に燃え上がったことを意味していた。
「ポロ君の言う通りだよ、セリナ様! 配信に乗せた『暗号周波数』、各地の技術者たちが完璧に拾ってくれた。今、王国の北端にある鉱山都市から、暗号電文が届いてるよ」
ミリーがヘッドセットを抑えながら、明るい声で報告を上げる。
彼女の担当する「物理通信網」は、教皇庁が監視するマナの通信網とは全く異なる。電線を通る微弱な電流や、特定の周波数の電波を用いたそれは、精霊を介さないがゆえに、教皇庁の魔導師たちには「存在しない沈黙」としてしか認識されないのだ。
「……。……北方拠点か。あそこは確か、精霊が寒さに耐えかねて去ったとかで、暖房用の魔石が底を突きかけていたはずじゃが」
「はい、セリナ様。報告によれば、アイゼンさんが設計した『高圧石炭ボイラー』が、配信に含まれていた点火シークエンスの暗号によって起動。現在、都市全体の暖房と、採掘用重機の動力を完全に物理化することに成功したそうです。精霊への祈りを止め、石炭を焚き始めた民衆は、暖かさの中で『聖女』を称えているとか」
「……。……わしの歌が、ボイラーの点火手順の暗号になっておるとは。……。……最近の若造は、情緒というものがないのか。アイゼンも、罪なことをしおるわい」
セリナは苦笑交じりに茶を飲み下した。
中身が六十五歳のエドワードである彼女にとって、歌とは心で聴くものであり、機械の作動コードに変換されるものではなかった。だが、これがイザベラの言う「効率的な革命」の形なのだ。
ブリッジの奥から、漆黒のメイド服を完璧に着こなしたイザベラが歩み寄ってきた。
「情緒よりも生存です、お嬢様。精霊の機嫌を損ねて凍死するのを待つより、煤に汚れながら自らの手で火を焚く方が、人間としての尊厳がある。そう人々に思わせることこそが、今回のプロパガンダの目的ですから」
「……。……分かっとるわい、イザベラ。……。……だが、南方の拠点はどうじゃ。あそこは水不足が深刻だったはずじゃが」
「南方拠点、応答来ています! ポロ、地図を表示して!」
「了解。南方、流体工学拠点へズーム」
ホログラムが砂漠地帯の映像に切り替わる。そこには、干上がった大地に点在する、巨大な「手押しポンプ」や「風車」の図面がリンクされていた。
「南方の民衆は、精霊への供物が払えず、井戸の守護精霊に見捨てられていました。ですが、私たちが提供した『大気圧を利用した揚水ポンプ』は、精霊に祈らなくても、レバーを引くだけで地下水を汲み上げます。奇跡はたまにしか起きませんが、物理はレバーを引けば必ず水が出る。この圧倒的な信頼性が、教皇庁の支配を内側から腐らせています」
ポロの言葉は、残酷なまでに真理を突いていた。
魔法は選ばれた者にしか使えず、その力は常に不安定だ。だが物理は、理を知り、道具を揃えれば、誰にでも同じ結果をもたらす。この「公平性」こそが、魔法という階級社会を根底から覆す、最も鋭い刃だった。
※※※
「……。……ふむ。『点』が繋がり、『線』になりつつある、か」
ホログラム・テーブルに表示された二十四の拠点が、細い青い線で結ばれていく。
それは情報が共有され、技術が伝播し、一つの巨大な「物理圏」が形成されつつある様子を示していた。
「セリナ様。この『線』は単なる通信網ではありません。物理を知る者たちが、互いに助け合うための『信頼の絆』です」
第3小隊長クラウスが、腕を組んでホログラムを見つめていた。彼の背後には、彼が指揮する戦術分析班が、世界中から届く「物理化の成果」を数値化し続けている。
「例えば、この西方拠点。ここではポロ君のハッキング技術が、現地の職人たちの『自動織機』に組み込まれ、魔法の布を凌駕する高密度の防護服を量産し始めています。彼らはもう、高価な魔導衣を教皇庁から買う必要はありません。自分たちで作り、自分たちで守る。この自立こそが、教皇庁が最も恐れていた事態です」
「……。……なるほどな。わしの顔を全世界に晒した代価としては、上々の戦果というわけか」
セリナは、空になった茶碗を見つめた。
アイドルとしてステージに立ち、銀色の聖女として崇められることには、未だに激しい抵抗がある。だが、その不名誉な活動の結果として、凍える村に火が灯り、渇いた土地に水が溢れているのなら、エースとしてその役割から逃げ出すわけにはいかない。
そこへ、第1小隊長レンが静かに入室してきた。彼の表情は、いつになく険しい。
「セリナ様。不穏な動きがあります」
「……。……レンか。教皇庁が、ついに腰を上げたか」
「いえ。それが、不気味なほどに『静か』なのです。これだけのハッキングを受け、魔法の権威を物理的に否定されたというのに、教皇庁も、帝国の魔導軍も、公式な抗議すら出していません」
ブリッジ内の空気が、一瞬で凍りついた。クラウスが細い目をさらに細め、冷徹な分析を口にする。
「沈黙は、より大きな嵐の予兆だ。教皇庁の連中が、この事態を放置するはずがない。おそらく、彼らは『魔法』という枠組みでは対処不能だと判断したのでしょう。となれば、次に来るのは――」
「物理には、物理を、か」
セリナの言葉に、ガッツがニヤリと笑いながらスパナを叩いた。
「へっ、面白ぇじゃねぇか。わしらの理をパクって、付け焼き刃の機械で攻めてくるってんなら、返り討ちにしてやるまでよ。だが嬢ちゃん。相手が物理を解し始めたってことは、これからは『スピードの勝負』になるぜ」
「……。……分かっとるわい、ガッツ。……。……若造どもに物理の理を説いた報いじゃな。さて、ポロ、ミリー。次の『線』はどこへ繋ぐつもりじゃ」
セリナの問いに、ポロはホログラムの地図をさらに広げた。そこには、これまでどの国家も手を触れることができなかった、空白の領域が示されていた。
「――『聖域』です。教皇庁が精霊の故郷と呼び、神聖視している未踏の成層圏。そこにある教皇庁の直轄領、天空都市『エリュシオン』。ここを物理の通信網で包囲し、彼らの神話がただの『大気現象』であることを世界に証明します」
「……。……エリュシオン、か。あのような高み、前世の空でも辿り着くには相当な覚悟が必要だった場所じゃな」
セリナの瞳に、エースとしての、そして探求者としての火が灯った。高度三万メートル以上の極限。空気の薄い、死の世界。そこに、物理の理だけで辿り着き、魔法という名の虚飾を剥ぎ取る。
「……。……よし。さらなる脚が必要じゃな。……。……師匠、準備はいいか」
「もちろんです、師匠」
いつの間にか背後に立っていたフェイが、セリナの肩に手を置き、不敵に微笑んだ。彼女の瞳には、セリナをさらなる高みへと押し上げるための、狂気的なまでの計算式が躍っている。
「アーク・フェニールⅢの心臓を、さらに研ぎ澄ませます。マッハ五。熱の壁を超え、重力という名の檻を壊す準備は、すでに整いつつあります。アイドル・メンテナンスの真骨頂、お見せしましょう」
「……。……やれやれ。おじいちゃんをこれ以上こき使うなと言いたいところじゃが。……。……空が呼んでおるのなら、行かんわけにはいかんな」
セリナは最後の一口、冷めた茶を飲み干した。
点と線が繋がり、世界は物理の理に目覚め始めた。だが、その革命を完成させるためには、先頭を走る「点」――すなわちエースである彼女自身が、誰よりも速く、誰よりも高く飛ばなければならない。
魔法の神話が崩壊し、物理の時代が夜明けを迎える。その光の中心で、銀色の少女は再び、鋼の翼を広げようとしていた。
※※※
その頃、教皇庁の最奥。「聖域」と呼ばれる静寂の間で、一人の老人がホログラムに映るセリナのライブ映像を無言で見つめていた。彼の背後には、精霊を「電池」として強制的に結合させた、異形の機殻騎士が沈黙を守っている。
「物理、か。面白い。かつて捨てられたはずの『理』が、これほどまでに美しく芽吹くとはな」
老人の指先が、空中に浮かぶ複雑な数式――魔法でも物理でもない、禁忌の融合技術をなぞった。
「さあ、見せてみろ、セリナ。お前の信じる『空』が、私の創り上げた『神域』をどこまで汚せるのかを」
教皇庁の反撃。魔法と物理が、最悪の形で混ざり合った「禁忌の兵器」が、静かにその産声を上げようとしていた。
【後書き】
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次回「狙撃手の休息、あるいはレンとサシャの意地」。
お楽しみに。




