第二話:銀色の偶像(ディーヴァ)、あるいは物理の夜明け
ここまでは投稿したほうが良いと思いました。
次はちょっと時間かかります
ヴェルデン村の広場に特設されたステージの裏側は、華やかなアイドルの楽屋というよりは、出撃を数分後に控えた空母の緊急格納庫に近い殺伐とした空気に支配されていた。
アイアン・パレス・アルファから吊り降ろされたコンテナ製の楽屋。その中で、セリナ・アルスタインは鏡に映る己の姿を凝視し、本日何度目か数えるのも馬鹿馬鹿しい溜息を吐き出した。
白銀の髪は毛先の一本まで丁寧にブラミングされ、フェイが航空力学の視点から「最も光を効率的に反射し、かつ激しい機動で乱れない」と豪語する角度でまとめられている。
身に纏うのは、最新鋭の耐Gドレス『アステリア・フライト』。フリルとレースを贅沢にあしらったその姿は、一見すればどこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢の正装だが、その実態は「着る精密機械」だ。
裏地には超高密度の圧着繊維と形状記憶合金が編み込まれており、ダンスという名の高機動運動時に発生する血液の偏りを物理的に抑制する機能が備わっている。
「師匠、そのまま。動かないでください。……ウエストの自動締め付けボルト、あと二ミリ絞ります。その方が、高音域を響かせた際の肺活量のロスを三%軽減できますから」
フェイが膝をつき、真剣というよりはもはや狂気を感じさせる眼差しで、セリナの腰回りに専用の調整器具を当てている。十六歳になった彼女の整備技術は、もはや「道具を体の一部として扱う」というエースの領域に達していた。
「……フェイ。一つ聞いていいか。……この胸元のリボン、空気抵抗が凄まじいことになっておらんか。……これではマッハ三の衝撃波を正面から受けた際、ここを起点にドレスが引き千切れる可能性が高いぞ」
「問題ありません、師匠。……リボンの芯材には、アーク・フェニールⅢの尾翼と同じ炭素繊維を使用しています。マッハ三でも形状を維持し、かつセリナ様の『可憐さ』を音響工学的に拡散させるための反射板としても機能する設計です」
「……そうか。……ならいいんじゃが。……いや、よくないわい。……わしを音速で飛ばすための部品にアイドルとしての可愛さを要求するな」
セリナは眉間を深く揉んだ。
中身は六十五歳の頑固なテストパイロット、エドワード・グレイである。前世の彼にとって「着る物」とは、油塗れのツナギか、緊急脱出時の生存性を高めるための重々しいフライトスーツ以外に存在しなかった。
そんな男が、今は少女の体でフリルに包まれ、あまつさえ「全世界に顔を晒す」という前代未聞の作戦に投入されようとしている。
そこへ、漆黒のメイド服を完璧に着こなしたイザベラが、音もなく現れた。手元のアナログ時計を一瞥し、冷徹なまでの、しかしどこか満足げな笑みを浮かべる。
「お嬢様、準備は? ……今日この瞬間、あなたの顔と声は『物理の祝福』として世界を塗り替えます。……魔法という安直な奇跡に依存し、思考を止めた民衆の脳髄を、物理の理で叩き起こして差し上げなさい。……さあ、営業用スマイルを」
「……イザベラ。……お主、後で物理的に徹底的な再教育をしてやるからな」
「光栄です。……では、カウント開始。五、四、三、二、一……物理の祝福を(テイク・オフ)!」
※※※
広場を埋め尽くした数千人の村人たちは、かつてない困惑の中にいた。
彼らが知る「聖女の儀式」とは、精霊に祈りを捧げ、柔らかな光の粒子が舞い踊り、穏やかな合唱が響く、幻想的で静かなものだった。
だが、目の前のステージに鎮座しているのは、不気味に赤く光る巨大な真空管が剥き出しになった黒い筐体――物理スピーカーの山である。
不意に、全ての松明の火が消えた。
静寂が広場を支配し、村人たちが不安にざわつこうとした、その瞬間。
ドォォォォォォォォォン!!
爆音、という言葉すら生温い。
大気そのものが物理的な重量を持って観客全員の胸を直接叩いた。
魔法の幻影ではない。空気の分子を力ずくで震わせることで生じる、圧倒的な音圧。
同時に、ステージの両脇からマグネシウムの燃焼による強烈な閃光と、火薬による白煙が吹き上がった。
「――っ!?」
村人たちが思わず目を見開き、耳を塞ごうとしたその刹那、銀色の閃光がステージ中央に降り立った。
スポットライトを浴びたセリナが、マイク――超高感度の振動収集機を握る。
彼女が唇を開いた瞬間、村人たちは自分たちの「心臓の鼓動」が、彼女の刻むリズムに強制的に上書きされるのを感じた。
「……皆。……『本物の熱』を、その身に刻め」
歌が始まった。
それは精霊の囁きのような曖昧な誘いではない。
アイゼンが計算し、ガッツが組み上げ、ポロが調整した「黄金の周波数」。
特定の音域が、人間の三半規管に直接作用し、闘争本能と高揚感を強制的に引き出すバイオ・ハッキングに近い代物だ。
同時に、ヴェルデン村の広場から数千キロ離れた各地でも、異変が起きていた。
王都の王立広場、帝国の市場、教皇庁が支配する聖堂の大型スクリーン。
かつては魔法の映像を映し出していたそれらが、一斉にノイズに包まれ、銀色の少女の姿を映し出し始めたのだ。
「なんだ、これは!? 魔法が効かないだと!?」
「強制割り込み!? どこからの魔力だ!?」
各国の魔導師たちが慌てふためく中、ポロとミリーは空中要塞のブリッジで、淡々とキーボードを叩いていた。
「ポロ、王都の防壁サーバー突破。……次は帝国の暗号通信網をジャッキングするよ」
「了解。……セリナ様の声、物理共振波に乗せて全ネットワークへ送出。……さあ、世界中の精霊様たちを、この『ノイズ』で黙らせてやろう」
ステージ上のセリナは、完璧な「アイドル」を演じていた。
瞳に計算し尽くされた星を宿し、軽やかに、かつ鋭いステップを踏み、観客一人一人と視線を合わせる。
だが、その脳内は、機殻騎士のコックピットにいる時以上に冷徹だった。
(……ふむ。……スピーカー三番、右側の出力が 0.4% 低い。……ポロ、帰還後にゲイン調整を忘れるなよ。……それとフェイ、この火薬の量、やはり多すぎんか。……最前列の爺さんの眉毛が、物理的に焦げとるではないか)
内心でぼやきながらも、指先は「ファンサ」と呼ばれる指鉄砲を観客に向けて正確に放つ。
その瞬間、直撃を受けた若者が、魔力切れの魔導師のように膝から崩れ落ちた。物理的な衝撃ではない。脳内のドーパミンが限界値を突破したことによる、神経伝達系の飽和。
それは魔法よりも遥かに直接的で、暴力的な「幸福」の提供だった。
「おお……おおお! 暖かい、暖かいぞ!」
「光が、本物の火の匂いがする! 精霊じゃない、これは、俺たちの知っている『熱』だ!」
村人たちが叫び始めた。
魔法の光は美しいが、体温を持たない。奇跡は与えられるが、対価として人間の自立を奪う。
だが、セリナのステージは違う。
燃える火薬の強烈な熱気。大気を震わせ、内臓を揺らす重低音の振動。
それら全てが、魔法という「偽物の豊かさ」に飼い慣らされていた彼らの魂に、かつて人類が持っていたはずの「物理への信頼」と、自らの生命力を思い出させていた。
ライブのボルテージが最高潮に達した時。
セリナはドレスの裾を大胆に翻し、一点の曇りもない空を指差した。
「……精霊に祈るな。……自らの足で立ち、自らの手で理を掴め。……空は、もう誰のものでもない。……我ら、物理を信じる者のものじゃ!」
熱狂が地鳴りとなってヴェルデン村を、そして配信を通じて世界を揺らした。
それは、数千年の間、この世界を縛り付けてきた精霊信仰という神話が、一人の老兵(少女)の歌声によって物理的に粉砕された歴史的な瞬間だった。
※※※
「……ふぅ。……死ぬかと思ったわい。……空の上でGに耐える方が、よっぽど楽な気がするぞ」
ライブ終了後、コンテナ楽屋に戻るなり、セリナは文字通り「死んだ魚の目」をして椅子に深く沈み込んだ。
ガッツが淹れた、煤けた香りのする無骨な茶――通称「整備班の泥水」を啜り、ようやく人心地つく。
「お疲れ様です、セリナ様。……素晴らしい成果です。……全世界の同時視聴者数は一時的に三五万を突破。……教皇庁の聖域サーバーを物理的な過負荷で二基ほど焼き切ってやりましたよ」
ポロが淡々と報告しながら、コンソールのデータをセリナに見せる。その瞳には、かつての落ちこぼれの影はなく、戦場を支配する戦術家の色が宿っていた。
「……もうよい。……戦果報告は後じゃ。……それよりフェイ、この耐Gドレスを今すぐ脱がせろ。……リボンのカーボン芯材が、姿勢を変えるたびに鎖骨に食い込んで痛くてかなわん。……アイドルというのは、これほどまでに過酷な任務だったのか」
「あぁっ、申し訳ありません師匠! すぐに解除します! ……イザベラさん、次のライブ用のドレス、鎖骨付近に緩衝材としてシリコンパッドを追加しつつ、より可視性を高めるための偏光塗装を施しましょう」
「ええ、早急に検討しましょう」
イザベラが頷く。その視線は既に、次の「戦域」を見据えていた。
「……セリナ。……茶の味はどうだ」
部屋の隅でスパナを磨いていたガッツが、不器用に口を開いた。
「……。……苦いが、悪くない。……機械の脂の匂いがして、落ち着くわい」
「……そうか。……ならいい。……だが、忘れるなよ。……今までのような局地的な活動とはわけが違う。……お前の顔、お前の声、そしてお前の『理』が、配信を通じて全世界に刻まれた。……今、この瞬間から、教皇庁もお前の敵だ。……いや、この世界を支配する理そのものが、お前を消しにかかってくるだろう」
ガッツの言葉には、かつて友を失った老兵ならではの、重い現実感が伴っていた。
セリナは茶碗を見つめ、最後の一口を飲み干した。
「……分かっとるわい、ガッツ。……。……逃げ隠れするのは、雲の中だけで十分じゃ。……。……地上に降りてまで、こそこそと生きるのはエースの美学に反するからな」
彼女は立ち上がり、脱ぎ捨てられた耐Gドレスではなく、整備ハンガーに鎮座する白銀の機体を見つめた。
全世界に知れ渡った「物理の聖女」という名の宣戦布告。
教皇庁の追っ手、各国の騎士団、そして精霊を盲信する膨大な民衆。
それら全てを敵に回してなお、彼女の心にあるのは、ただ一点。
マニュアル操作の指先が掴み取る、あの「本物の空」への、純粋で傲慢なまでの渇望だけだった。
【後書き】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
大幅なボリュームアップと、ライブ後の緊張感を描かせていただきました。
おじいちゃんエース(16歳)の全世界への宣戦布告、いかがだったでしょうか。
物理のアイドルという無茶な作戦が、世界にどんな火を点けるのか。
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皆様の応援が、ガッツの淹れるお茶の香りをより深めてくれます。
次回「アイドル・メンテナンス、あるいはフェイの執念」。
セリナの体を物理的に支える、フェイの過剰な愛情と技術が炸裂します。
お楽しみに!




