第三十話:鉄と油の聖女、あるいは新たなる航跡
王都ナハトの空を真っ二つに割った白銀の飛行機雲が、夕暮れの風に吹かれ、ゆっくりと、しかし確実にその輪郭を溶かしていく。地上では、破壊された障壁の破片が魔法の輝きを失い、ただの冷たい塵となって降り積もっていた。
瓦礫と化した広場。折れた槍を杖代わりに立ち尽くす近衛騎士たちが、そして泥に塗れた貴族たちが、一様に同じ空を見上げていた。彼らの鼻腔を突くのは、かつて神聖な式典で焚かれた香油の匂いではない。鼻を刺すような熱い油の匂い、火薬の燃え残り、そして熱で焼かれた鋼鉄の生々しい臭気。魔法という「奇跡」に守られていた彼らの世界に、剥き出しの「物理」という現実が叩きつけられた証であった。
「……見たか。あの銀色の翼を」
「魔法じゃない……あんなものは魔法じゃない。だが、我らが誇るエクス・レガリアを子供のように弄んだ」
「あれこそが……古き言い伝えにある、鉄と油を操る異端の聖女……」
誰からともなく、その名は囁かれ始めた。人々は畏怖と敬意を込め、成層圏へと消えたあの少女を『鉄と油の聖女』と呼び、その名を歴史に刻み始めた。
一方、王都から遠く離れたナハト国境付近の原生林。そこには、王国軍の索敵網から逃れるようにして沈黙する、巨大な影があった。
Fクラスの面々が、地下ドックでの開発と並行して、ジャンが世界中から集めてきたジャンク品とニコラの設計、そしてガッツの陣頭指揮によって密かに改造し上げた移動式母艦『アイアン・パレス』である。
その甲板に、一筋の銀光が舞い降りた。
単座式コックピットの中で、セリナは最後のアフターバーナーを切り、自重だけで静かに着艦した。機体各所の装甲は熱で歪み、ガトリングの銃身は焼き付いて黒ずんでいる。
キャノピーが開き、冷たい外気がセリナの頬を撫でた。
彼女がタラップを降りると、そこにはFクラス十二人全員と、アイゼンが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。……規律正しき勝利に、最高の一杯を」
筆頭侍女イザベラが、揺れることのない母艦の甲板で、完璧な所作と共に温かな紅茶を差し出した。
セリナは、油と煤で汚れた顔を拭うこともせず、震える手でそのカップを受け取る。
「……ふぅ。……やはり、お主の淹れる茶は格別じゃな。地に足をつけて飲む茶が、これほど美味いとは思わなんだ」
「お褒めに与かり光栄です。ですが、その汚れ……後で念入りに教育わせていただきますわ」
イザベラの言葉に、セリナは苦笑しながら、周囲に集まる仲間たちを見渡した。
「師匠! データの回収終わりました! エンジンの燃焼効率、マッハ一・五を超えたあたりから理論値を超えてましたよ!」
フェイがタブレットを抱えて駆け寄り、ハンスがその肩を叩く。
「ガッハッハ! そりゃ俺が据え付けたピストンの根性だ! 師匠、あの黒い紛い物をぶち抜いた瞬間の出力、最高だったぜ!」
エレーナ、ルミエ、ニコラ、ジャック、ガッツ、ジャン、ポロ、ミリー……。
かつてエドワード・グレイとして生きていた頃、彼は常に一人で空を飛んでいた。伝説のエースとして称賛されながらも、その心は常に高度一万メートルの冷たい風の中にあった。
だが、今は違う。
「……皆、よくやってくれた。お主たちの『理』がなければ、私は今頃、王都の土になっておったろう」
セリナの言葉に、ジャンが無線機を掲げながら割り込んだ。
「師匠、湿っぽい空気のところ悪いんですが、状況は深刻ですよ。……王国の魔導受信機、帝国の母艦、そして周辺諸国。今、全大陸の通信網があなたの名前で埋め尽くされています」
ジャンの手にする受信機からは、各国政府が発信した緊急声明が流れていた。
『……アルスタイン家の令嬢、セリナ・アルスタイン。および彼女を支援する技術者集団を、世界の秩序を脅かす「国際指名手配犯」に指定する。彼女の持つ技術は、魔法文明を崩壊させる禁忌である……』
「……物理の理を証明した報いが、これか。世界中の魔法使いを敵に回したようじゃな」
アイゼンが、皮肉めいた笑みを浮かべて呟く。
「……望むところじゃ。魔法という名の檻に閉じこもった者たちが、どれほど足掻こうとも、真実は変わらん。……物理の理に、国境など関係ない。我らは、我らの空を行くだけじゃ」
セリナは空になったカップをイザベラに返し、母艦『アイアン・パレス』の艦橋へと歩みを進めた。
「ハンス、ポロ、ミリー! 駆動系、再起動! 目標は……そうじゃな。この理不尽な世界の外側、まだ誰も見たことのない水平線の先じゃ!」
「「「了解、師匠!!」」」
巨大な移動式母艦が、重厚な物理エンジンの唸りを上げ、原生林を掻き分けて前進を開始した。
上空では、一機の白銀の翼が、整備のためにその羽を休めている。
王国を捨て、帝国を屠り、今や世界そのものに宣戦布告された「鉄と油の聖女」。
彼女たちの前には、広大な、しかし魔法の光が届かぬ未知の航路が広がっていた。
物理の理が、新たな歴史を刻むための夜明け。
聖女の伝説は、ここから本当の意味で、世界という広大なキャンバスへ描き始められる。
――『鉄と油の聖女』第二部・激闘編 完結。
最後までお読みいただきありがとうございます。
これにて2部完了です。
幕間を挟み、ここからは王国・帝国だけでなく、世界中の軍隊が
「セリナ・アルスタイン」を標的として動き出す、
第三部:世界叛逆編へと突入します!
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皆様の熱い想いが、移動母艦『アイアン・パレス』の次なる目的地を決定します!
新たなる航跡に、お楽しみに!




