第六話:理論の空、泥にまみれた教室
王立機導学園の朝は、眩いばかりの「光」で始まる。
広大な演習場には、最新鋭の機殻騎士がズラリと並び、選ばれたエリート生徒たちが、真っ白な訓練服を風になびかせて精霊への祈りを捧げている。彼らが乗るのは、精霊とのシンクロ率が極めて高い、繊細で華麗な「芸術品」だ。
だが、その光の届かない学園の最果て、第四演習場――通称「スクラップ墓場」の景色は、およそ教育施設とは思えないほどに荒廃していた。
「……ひっどいもんですね、師匠。……。……。雨漏りどころか、屋根の半分が精霊に食われたみたいに透けてますよ。……。……。これじゃ、精密機械(機体)が風邪を引いちゃいます」
俺の隣で、侍女という名の「弟子」であるフェイが、呆れ果てたように天井を見上げて溜息をついた。
俺――セリナ・フォン・アルスタイン(中身は六十五歳の頑固親父)は、そんな劣悪な環境などどこ吹く風で、ガタつく木製の椅子に優雅に腰を下ろした。
「……。……。……。……おー、構わんわい。……。……。……むしろ、この埃っぽさと油の混じった匂い。……。……。……前世の戦線基地の野営テントを思い出して、落ち着くのう。……。……。……よっこいしょ」
俺は完璧な所作で腰を下ろしながら、内心で深く安堵していた。
ここなら、コルセットを締め上げた上級クラスの連中の監視も届かない。
俺は儚げな表情を浮かべ、窓の外のひび割れた大地を見つめた。……周囲の目には「没落の運命を静かに受け入れる、気高くも悲劇的な令嬢」に見えているだろう。だが、俺が考えているのは、教室の隅に転がっている錆びたシリンダーの「焼き付き具合」についてだった。
「……あら。……。……。あなたが、あのアルスタイン家の……」
背後から、怯えたような声がした。
振り返れば、そこには数人のFクラス生徒たちが立ち尽くしていた。
一人は、おどおどと自分の指をいじっている没落貴族らしき少女、ミリー。
そしてもう一人は、粗末な作業服を乱暴に着こなし、俺を敵視するような目で見つめる赤髪の少年、ジャックだ。
「……。……。……左様でございます。……。……。セリナ・フォン・アルスタインと申します。……。……。以後、お見知り置きを」
俺は消え入りそうな声で、しかし完成された淑女の微笑みを向けた。
その神々しいまでの美貌に、ジャックは毒気を抜かれたように言葉を詰まらせ、顔を赤らめた。
「……あ、……ああ。俺はジャックだ。……。……。おい、お嬢様。……。……。ここは最新の魔法も精霊の歌も聞こえない、泥臭い整備士の溜まり場だ。……。……。あんたみたいな綺麗なもんが来る場所じゃねえよ」
「……。……。……。ふふっ。……。……。……。泥は、落とせば良いだけのこと。……。……。……。それよりもジャックさん、あなたのその服の袖。……。……。……。鉱物油の匂いがいたしますわね。……。……。……。良い仕事をなさっている証拠ですわ(……。……。……。おー、いい匂いじゃ。……。……。……やっぱり油はええのう)」
「っ! ……。……。……。な、何を……っ!」
ジャックはさらに顔を赤くして、そっぽを向いた。
周囲の生徒たちは「なんて高潔な……」「平民の汚れさえも褒め称えるなんて……!」と、勝手に俺の評価を神格化していく。
実際には、俺はジャックが持っているスパナの形状に興味津々なだけなのだが。
***
やがて、授業開始の鐘が鳴り、一人のやる気のなさそうな講師が現れた。
Fクラスの第一講義は「精霊工学基礎理論」。
内容は、俺とフェイからすれば、噴飯もののスピリチュアルな戯言だった。
「……いいか、諸君。機殻騎士を動かすのは『愛』だ。精霊の歌声に耳を澄ませ、その意志に寄り添うこと。……。……。物理的な接触、ましてや無理な力で機体を制御しようなどというのは、野蛮な素人のすることだ」
講師が黒板に、精霊の波長を模したというおどろおどろしい図形を描いていく。
「……。……(フェイ、あいつ何言っとるんじゃ? 『歌声』? ……。……。共振現象による金属の摩擦音を歌と呼ぶとは、耳鼻科に行くべきじゃな)」
「……(師匠、あれが今の『トレンド』なんですよ。……。……。非効率すぎて反吐が出ますね。……。……。あそこの図解、逆流防止弁が描かれてないから、精霊が歌う前に魔力圧で破裂しますよ)」
俺とフェイは、完璧な淑女と侍女のポーズを崩さず、小声でゲスい技術批判を繰り広げた。
現代の操縦理論は、あまりに精霊に頼りすぎている。
機体が重い? それは精霊の機嫌が悪いからだ。
機体が曲がらない? それは精霊との愛が足りないからだ。
(……笑わせる。……。……。……そんなもん、操縦とは言わん。……。……。……神頼みの自動運転に命を預けるなど、俺に言わせれば自殺行為じゃ)
俺は儚げな表情で溜息をついた。
周囲には「なんて深い憂いを含んだ溜息……」「今の魔法理論の限界を悲しんでおられるのだわ!」と誤解されるが、実態は「こんな非効率な授業を聴かされる時間の損失」に対する老人の不満だった。
***
午後。ようやく実技の時間がやってきた。
と言っても、Fクラスに機体を動かす許可は下りない。
俺たちに命じられたのは、倉庫の奥に眠る旧式練習機『ポーン一型』の錆落としと清掃だった。
「……おい、アルスタイン。あんたは座ってろ。……。……。そんな白い手で、こんな汚い鉄屑を触るんじゃねえ」
ジャックが、汚れた雑巾を奪い取るようにして言った。
彼は彼なりに、俺という「お人形さん」を守ろうとしているらしい。
「……。……。……。いいえ、ジャックさん。……。……。……。掃除は、すべての整備の基本ですわ。……。……。……。機体の声を聴くには、まずはその肌に触れなければ。……。……。……(……。……。……。おー、若造が気を利かせおって。……。……。……。だが、俺に鉄を触らせないのは拷問じゃぞ)」
俺は優雅な所作で雑巾を手に取り、ポーン一型の錆びついた脚部に跪いた。
――ズシッ。
重厚な鉄の感触。
俺は『抗G呼吸法』を密かに起動し、魔力の内気循環で重心を固定した。
(……ほう。……。……。……。見た目はボロだが、骨組み(フレーム)は悪くない。……。……。……。最近のヘラヘラした最新鋭機より、よっぽど芯が通っておるわい)
俺は丁寧に錆を落としながら、密かに指先で「関節の遊び」を確認した。
そして、周囲が掃除に没頭している隙を見計らい、隠し持っていた細い針金を、膝関節の魔力弁の隙間に差し込んだ。
カチリ、と小さな手応え。
(……よし。……。……。……。これで精霊の『歌声(自動補正)』を物理的にバイパスした。……。……。……。次、こいつを起動させるとき、こいつは俺の指先の感覚にだけ応える、真の操縦機に変わるわい)
「……セリナ様。掃除をされているだけなのに、なんて……なんて美しいのかしら。……。……。まるで、鉄の巨人に祈りを捧げる女神のようだわ」
ミリーが、頬を赤らめて俺を見つめていた。
俺は顔にかかった銀髪を、油のついた手でかき上げそうになり(……いかん、淑女、淑女じゃ)、フェイにそっと拭わせた。
「……。……。……(フェイ、今夜の『夜なべ』の準備はいいか。……。……。……。あそこの工具棚の裏に、古い重力制御ユニットの残骸を見つけた。……。……。……。あれを俺の専用機のスロットルに流用する)」
「……(了解です、師匠。……。……。……。学校の備品を盗むなんて、お嬢様もワルですねぇ。……。……。……。あ、お菓子も多めに用意しておきますね)」
美しき主従の囁き。
その内容は、学園の備品を「部品」として奪い取るための物騒な相談だった。
***
夕暮れ時。
掃除を終えた俺たちは、演習場を横切って寮へと戻る。
向こう側のメイン演習場では、上位クラスの生徒たちが、最新鋭機のコクピットから降りて、教官に称賛されていた。
「素晴らしいシンクロ率だ! まるで精霊と一体化していたぞ!」
そんな声が風に乗って聞こえてくる。
Fクラスの生徒たちは、羨望と自嘲の混じった目でそれを見つめていた。
「……。……。……(フェイ、あそこの騎士。……。……。……。尻の座りが悪い。……。……。……。あんなシンクロの仕方じゃ、十Gで旋回した瞬間に脳震盪を起こして気絶するぞ。……。……。……。精霊に子守唄でも歌ってもらうつもりか?)」
「……(ですねぇ。……。……。……。加速曲線が甘すぎます。……。……。……。あんなの、私たちが昨日作った『ミニ・ギアドライブ』の方が、よっぽどいい加速しますよ)」
俺は儚げな表情を崩さず、小さく鼻で笑った。
シンクロ。歌。愛。
若造どもよ、好きなだけ空想に浸っているがいい。
俺が求めているのは、そんな曖昧なもんじゃない。
レバーを引いた瞬間に血管が弾けるような加速。
操縦桿から伝わる、鋼鉄が悲鳴を上げる手応え。
死と隣り合わせの、剥き出しの「操縦」。
「……。……。……。……。よっこいしょ。……。……。……。……さて、フェイ。……。……。……。……帰ってお茶にしよう。……。……。……。……今日は、少し重いもの(専用機のパーツ)を運ぶからな。……。……。……。……糖分は多めで頼むぞ」
「はいはい、師匠。……。……。……。明日もまた『女神様』の演技、頑張ってくださいね」
夕日に染まる銀髪。
その絶世の美貌の裏で、伝説のエースおじいちゃんは、次なる獲物を定めて不敵に目を細めるのだった。
(つづく)
第六話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、いきなり実機無双……ではなく、Fクラスという「どん底」の環境と、そこでの人間関係、そして現在の操縦理論へのエドワードの静かなる怒りを描写しました。
精霊を「歌」や「愛」で語る今の風潮を、プロの視点から「非効率なノイズ」と切り捨てるおじいちゃん感。
そして、掃除をしながらこっそり機体を「マニュアル仕様」に改造してしまう職人気質。
見た目が「女神」であるがゆえに、すべてが神聖な儀式に見えてしまう周囲の勘違いも、これからさらに加速させていきたいと思います。
ジャックやミリーといったFクラスの仲間たちも登場し、彼らがセリナにどう感化されていくのかも今後の見どころです。
「おじいちゃん令嬢、掃除してるだけで女神扱いとか得すぎるw」「フェイとの会話が相変わらずゲスくて安心する」
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次回、ついに実技講習。……。……のはずが、また一波乱?
引き続き、よろしくお願いいたします!




