第十七話:熱の壁、あるいは物理の悲鳴
予定タイトル変わりました
夜明け前の地下ドックは、重苦しい油の匂いと、精霊結晶が発する微かな青い光に包まれていた。
中央に鎮座するのは、白銀の機動兵器『アーク・フェニールⅡ』。その流線型の双翼は、まだ見ぬ超音速の世界を夢見るように鋭く、冷たく光っている。
「……準備はいいか、フェイ。愛娘の機嫌はどうじゃ?」
コックピットに乗り込もうとするセリナが、背後で控える少女に声をかけた。
主任メカニックのフェイは、スパナを握りしめたまま、どこか熱に浮かされたような瞳でセリナを見上げている。彼女にとって、セリナは単なるパイロットではない。技術的な理想、そして魂を捧げるべき唯一無二の「師匠」であった。
「……はい、師匠。物理冷却循環系、全系統の圧力テストは完了しています。各関節のグリスも、マニュアル操作の摩擦熱に耐えうる特殊配合のものに詰め替えました。……ですが、師匠。高度一万を超えての超音速飛行は、機体そのものが自らを削り取る行為です。もし、この子が師匠を傷つけるような真似をしたら……私は私を許しません。その時は、私自身がこの子を解体し、師匠の足元に捧げます」
フェイの言葉は重く、歪なまでの執着が混じっていた。
セリナはふっと口角を上げると、その幼い手にそっと自分の手を重ねた。
「……相変わらず重いのう、お主の愛は。だが、その執念こそがこの機体の骨組みじゃ。信じておるよ、フェイ」
セリナがコックピットに収まり、ハッチが閉まる。
狭い空間。目の前に並ぶのは、魔法的な自動追尾も、精霊による姿勢制御も一切排除された、無骨なレバーとアナログの計器類。セリナは深く息を吐き、伝説のエースとしての魂を覚醒させた。
「……チェックリスト開始。ポロ、ミリー、反応はどうじゃ?」
「バッチリだよ、師匠! 電気信号のバイパス完了、神経系はセリナ様の脳に直結してるも同然だ!」
「電装系、出力安定。でも気をつけてね。データ上、マッハ一・二付近で未知の振動が発生する予測が出てるわ」
少年ポロと少女ミリーの報告を受け、セリナはスロットルを静かに、だが力強く押し込んだ。
双発の物理駆動エンジンが咆哮を上げる。
精霊を「対話の相手」ではなく「動力源(薪)」として支配下に置いたそのエンジンは、王国軍の軟弱な魔法機とは比較にならない、暴力的とも言える推力を生み出した。
滑走路を蹴り、白銀の影が夜空を垂直に切り裂いていく。
高度三〇〇〇、五〇〇〇、八〇〇〇。
空気が薄くなるにつれ、大気の抵抗が「物理の壁」となって迫り来る。
「……さあ、ここからが本番じゃ。若造どもには見えぬ、音の向こう側を見せてやろう」
時速一〇〇〇キロメートル。音速の壁が目前に迫る。
ドォォォォォンッ!!
大気を引き裂く凄まじい衝撃波と共に、世界から音が消えた。
機体周囲の空気が圧縮され、白く輝く円錐状の水蒸気――ヴェイパーコーンが機体を包む。
だが、真の試練はその先に待っていた。
マッハ一・二。
突如、操縦桿を通じて凄まじい振動がセリナの腕を襲った。
ガガガガガッ! と、機体全体が目に見えるほど激しく震え出す。物理の理が、強固な鋼鉄のフレームを紙細工のようにねじ曲げようとしていた。
「……っ、ほう。これしきの風で泣くか! 根性のない娘じゃな!」
セリナは笑った。
魔法師なら恐怖で目を背けるような極限状態。だが彼女は、暴れる操縦桿を腕力と繊細な指先のコントロールだけでねじ伏せる。
右足のペダルを数ミリ踏み込み、左のレバーで空気の流入量を調整する。
計器を見る必要はない。機体が上げる「物理の悲鳴」が、どこをどう直すべきかを教えてくれる。
「師匠! 外部装甲温度、急上昇しています! 断熱圧縮による熱地獄です!」
通信機越しにフェイの悲鳴のような叫びが響く。
コックピットの外壁が、大気との摩擦で赤熱し始めていた。内部の温度も一気に上昇し、セリナの肌をじりじりと焼く。
「……物理冷却系、起動せよ! 鉄を冷やし、私の道を切り拓け!」
セリナの操作に応じ、機体各所に張り巡らされた冷却管に、ルミエの調合した特殊冷却液が駆け巡った。
ジュゥゥゥッ! という蒸発音が機体全体から響く。
熱を強引に奪い去る物理の冷気が、崩壊しかけたフレームを繋ぎ止めた。
振動が、消えた。
熱と衝撃を乗り越えた白銀の翼は、もはや大気と喧嘩をすることをやめ、空そのものと同化したかのような滑らかさで加速していく。
速度計の針が、マッハ一・五を指し、ついに安定した。
「……素晴らしい。フェイ、お主の腕は本物じゃな。……見ておるか、王国軍の老害ども。お主たちが否定した『不自由な物理』こそが、今、空を支配したぞ。」
だが、その歓喜も長くは続かなかった。
キィィィィン……という、金属が引き千切られるような嫌な音が機体後方から響く。
「……ほう。冷却は持っても、フレームそのものが音を上げたか。素材の限界じゃな」
セリナは冷静にスロットルを戻し、機体を減速させた。
速度計がマッハの領域を下回り、機体が再び重力を感じ始める。
「師匠! 応答してください! 機体各所に歪み(ひずみ)が発生しています! すぐに、すぐに降りてきてください!」
「……分かっておるよ、フェイ。愛娘に無理をさせすぎた。今日のところは、この成果を持って帰るとしよう」
朝日が昇り、白銀の機体は傷だらけのまま、地下ドックへとゆっくり降下を始めた。
その胸中にあったのは、敗北感ではなく、次なる一歩への確信。
物理の理をさらに研ぎ澄ますための、一ヶ月に及ぶ『雌伏』の始まりであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
師匠の老練な操縦と、それを支えるフェイの執念深い冷却系。
ここから始まる一ヶ月の改修で、アーク・フェニールⅡがどう進化するのか。
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次回予告:
物理の限界を超えるための、鉄と油のひと月。
第十八話「ひと月の雌伏、あるいは油にまみれた静寂」。
お楽しみに!




