第十五話:白銀の疾風、あるいは再会の空
高度一万メートル。
王都を包む冬の夜が明け、地平線の彼方から差し込んだ琥珀色の陽光が、白銀の巨躯を鮮やかに染め上げていた。
『アーク・フェニールⅡ』は、マッハ一・二という巡航速度を維持しながら、薄い大気の層を滑るように進んでいた。背部の可変翼は、最も効率的な後退角に固定され、剥き出しの配管からは、超音速飛行の熱を帯びた空気が揺らめきとなって排出されている。
その視界の先に、巨大な影が現れた。
ジャンとガッツが事前に強奪し、魔導迷彩で偽装を施した大型隠密輸送機『アイアン・ギガント』だ。鈍色の巨体がハッチを開き、獲物を待つ巨獣のように空中で待ち構えている。
「…… おー 迎えが 来たか。…… 良い タイミングじゃ。…… 燃料が。…… 喉を。乾かして おる」
セリナは、スロットルレバーを僅かに引き、機体の速度を輸送機と同期させた。
精密なマニュアル操作によって、数トンもの巨体を持つギアドライブは、一分の狂いもなく格納庫へと滑り込み、固定クランプが重厚な金属音を立ててその四肢を拘束した。
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格納庫の気圧が安定し、ハッチが完全に閉ざされる。
プシュゥゥッという排気音と共に、アーク・フェニールⅡの胸部コクピットが開いた。
梯子を降りてくる人影を、待ち構えていたFクラスの面々が歓声で迎えようとした。だが、その声は一瞬で凍りついた。
降りてきたセリナの姿。
フェイがその持てる技術と情熱、そして歪なまでの「趣味」の全てを注ぎ込んで仕立て上げた新型パイロットスーツは、格納庫の眩しい魔導ランタンの下で、残酷なまでの機能美を曝け出していた。
漆黒の素材は、セリナの肌そのものと見紛うほどに密着し、一ヶ月前よりもさらに女性としての完成度を増した肉体のラインを、指先一本分の隙間もなく描き出していた。大きく波打つ胸元の曲線、そこから急激に絞られた腰のくびれ、そして強靭なバネを思わせる太腿のライン。
「あ、あの……。せ、セリナ様……その、お身体の、ラインが、そのっ……!」
ミリーは顔を真っ赤にし、両手で目を覆いながらも、指の隙間からその「神々しすぎる姿」を直視してしまっていた。ジャックは「…… ああ、もうダメだ。……。仕事に。集中できねえ……」と呟きながら、魂が抜けたように壁に手をついた。ポロにいたっては、鼻を押さえたまま床に膝をつき、祈るようなポーズで固まっている。
「…… おー 皆 息災か。…… この 服。…… 少し 窮屈で…… 動きにくい。…… フェイ。…… 少し 締めすぎじゃ」
セリナは周囲の狼狽などどこ吹く風で、首元のジッパーをスッと下げ、喉元の熱を逃がした。その無自覚な所作によって、白い肌と鎖骨のラインが露わになり、格納庫の温度が数度上がったかのような錯覚を周囲に与えた。
「師匠、勝手に緩めないでください! ……。それは超音速時のGから内臓を守るための、緻密な設計なんですから。……。さあ、こちらへ。……。誰にも見られない場所で、私がじっくり『調整』してあげますから」
フェイが、どこか陶酔したような、しかし底の知れない冷たさを湛えた瞳でセリナの肩を抱き寄せた。彼女は周囲の男たちを「汚らわしいものを見る目」で一瞥すると、満足げにセリナを専用のメンテナンスルームへと連れ去った。
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清潔な、しかし密室となったメンテナンスルーム。
フェイは重厚な扉に鍵をかけると、セリナを診察台へと座らせた。
「師匠。……。スーツを脱いでください。……。皮下出血や筋肉の損傷がないか、私が直接確かめます」
「…… おー。…… フェイは。…… 相変わらず。…… 心配性じゃな。…… どこも。…… 痛んでおらぬぞ」
セリナはそう言いながら、ジッパーを足元まで下ろし、スーツを脱ぎ捨てた。
現れたのは、汗ばみ、熱を帯びた、十四歳前夜の「究極の少女」の肉体だった。超音速のGに耐え抜いた肢体は、しなやかでありながらどこか神聖な輝きを放っている。
フェイの呼吸が、僅かに乱れた。
彼女は清潔なタオルに、ルミエが調合した清涼感のある薬液を含ませると、それをセリナの肩へと滑らせた。
「(…… 柔らかい。……。でも、この下には空に挑むための強靭な芯がある。……。この肌に触れているのは、今、世界で私だけ)」
フェイの指先は、タオルの上から、あるいは直接、セリナの身体の細部を執拗になぞっていった。首筋から鎖骨、そして胸元のカーブ、脇腹から腰、足首にいたるまで。それはもはや「診察」という言葉では形容できない、執着に満ちた愛撫に近い行為だった。
「師匠。……。ここに少し、スーツの圧迫痕があります。……。痛みますか?」
「…… おー。……。そこか。……。気づかなんだ。……。フェイの 指先は。……。相変わらず。……。鋭いな」
「私は、師匠の身体のことは、師匠以上に分かっています。……。この傷も、この熱も、全部。……。全部、私が管理しなきゃいけないんです。……。師匠は、ただ前だけを見て飛んでいればいい。……。汚れるのも、傷つくのも、私が許しません。……。だから、あの汚らわしい軍人たちや、外の男たちに、その身体を見せないでください」
フェイの声が、熱を帯びて低くなる。彼女はセリナの背中に回り込むと、その細い腰を後ろから強く抱きしめ、首筋に顔を埋めた。セリナの甘い香りと、微かな鉄の匂いが混じり合う。
中身が「おじいちゃんエース」であるセリナは、弟子の重すぎる愛情を「師弟の絆」と解釈し、優しくその頭を撫でた。
「…… おー。…… フェイ。…… 分かっておる。……。わらわの 翼を。…… 支えられるのは。…… お主だけじゃ。……。安心せよ」
セリナの言葉に、フェイは恍惚とした笑みを浮かべた。その瞳は、もはや正常な親愛の範疇を超え、壊れた時計のように一点だけを見つめていた。
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その時。
輸送機のブリッジで監視を続けていたジャンが、悲鳴に近い声を上げた。
「未確認機接近! はやっ……! 嘘だろ、こっちの巡航速度を遥かに超えてやがる!」
セリナは、フェイの腕をそっと解くと、すぐさまブリッジへと駆けつけた。
モニターに映し出されたのは、雲海を切り裂き、こちらへ向かって一直線に突き進んでくる漆黒の影だった。
帝国の最新鋭ギアドライブ。
魔法による強引な加速ではなく、物理的な流線形を極限まで追求したその機体は、死神の鎌のように鋭利なシルエットを持っていた。軍の『レオン』のような野暮ったさは微塵もなく、ただ「敵を屠るための速度」を体現した黒い悪魔。
「…… 来たか。…… 鉄の 匂いが。…… 変わった。…… おー。…… あれが。…… 偽りの。翼か」
セリナの言葉と同時に、その黒い機体が輸送機の真横、僅か数十メートルの距離にまで並走してきた。
超音速域での編隊飛行。僅かな操作ミスが双方の爆散を意味する極限状態。
キャノピー越しに、相手のパイロットの姿が見えた。
それは、若く、精悍な顔立ちをした青年だった。帝国の軍服を寸分の乱れもなく着こなし、その瞳には冷徹なまでの規律と、任務への忠実さが宿っている。
彼は通信を繋ぐこともなく、ただ一点を見つめるように、アーク・フェニールⅡを格納した輸送機を凝視していた。その視線は、敵意というよりも、未知の「真理」に対する純粋な驚愕と、それを塗り潰そうとする軍人としての義務感に満ちている。
「…… おー。…… 良い 瞳じゃ。…… 操縦に。…… 迷いが ない。…… だが。…… 哀れじゃな。…… お主の 背負う 翼。…… 泣いて おるぞ」
セリナの目には見えていた。
黒い機体が放つ魔力の奔流が、物理的な限界を超えて空気を強引にねじ曲げ、機体に目に見えない微振動を与えている。それは、魔法という名の「麻薬」で物理の痛みを誤魔化し、無理やり空を支配している姿だった。今は静かに飛んでいても、限界を超えた瞬間に、その翼は自身の生み出した衝撃波に食い破られるだろう。
青年将校は、一度だけ、セリナがいるであろうブリッジに向かって、規律正しく、冷徹な敬礼を送った。
それは、「次は空で殺し合う」という無言の宣告。
直後、黒い機体は爆発的な加速を見せ、衝撃波の尾を引き連れて雲の彼方へと消え去った。
「…… 準備を。…… 始めよう。…… 空を。…… 真実で。…… 塗り替える。…… ための。…… 準備をな」
セリナは、漆黒の残像が消えた空を見つめ、静かに呟いた。
新たな拠点、忘れられた地下ドックへと向かう輸送機の中で、Fクラスの面々は、来たるべき「真の決戦」の予感に、身を震わせた。
(つづく)
第十五話をお読みいただき、ありがとうございました!
輸送機内での束の間の再会、そしてフェイによる「聖域」での濃厚なメンテナンスシーンを描きました。フェイの歪な執着が、セリナの無自覚な美しさと対比されることで、物語に独特の緊張感を与えています。
そして、帝国の青年将校が駆る「黒い機体」との初遭遇。物理の限界を知るセリナだけが感じ取ったその「歪み」が、今後の決戦の鍵となります。
物語はいよいよ、マッハ1.5の「熱の壁」への挑戦、そして帝国との超音速決戦へと加速していきます。
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次回、「第十六話:(すみませんまだ決まっていません)」にご期待ください。




