第十四話:脱獄、あるいは白銀の疾風
凍てつく冬の空気を、一筋の殺意が切り裂いた。
自壊し墜落した黄金の獅子、『レオン』から立ち昇る黒煙と泥の臭いが混じり合う滑走路。その中心で、マクシミリアン・フォン・クロイツ中将が抜剣し、その切っ先をセリナの喉元に突きつけていた。
「アルスタイン嬢……。貴様、王国の権威を泥に塗った罪、その命で購ってもらうぞ! これは反逆だ!」
中将の腕は、怒りと屈辱、そして何よりも、至近距離で対峙するセリナの圧倒的な「存在感」に、微かに震えていた。
十四歳を目前にしたセリナの肉体は、この数ヶ月の監禁生活の中で、少女の枠を飛び越え、戦神の如き神々しさを纏うまでに成熟していた。冬の冷気に晒され、月光のように輝く銀髪。そして、突きつけられた刃を前にしても、眉一つ動かさず、ただ深淵のような静けさを湛えた瞳。中将は、自らの剣が届く距離にいながら、彼女が自分とは違う、もっと高く、冷たい空の彼方に立っているような錯覚に陥り、喉を鳴らした。
「…… おー 震えておるぞ。…… 物理を 恐れる 臆病者の 剣など…… わらわには 当たらぬわ」
セリナは刃に触れんばかりの距離で、不敵に笑った。その笑みは、地上の権力者に対する嘲笑であり、これから始まる「本番」への静かな興奮でもあった。
その背後、軍の包囲網の中で、フェイは中将へ向けて憎悪の炎を燃やしていた。スパナを握りしめた手が白く変色する。自分たちの神を、至高の師匠を汚そうとする汚らわしい大人への殺意。だが、セリナからの「手出し無用」という静かな視線が、彼女をその場に釘付けにしていた。
(…… 師匠。……。今に見てなさい。……。あなたを侮った報いを、物理を知らないこの愚か者たちに、骨の髄まで分からせてやるんだから)
フェイの瞳には、かつての純粋な憧れを遥かに超えた、独占欲と歪な忠誠心が入り混じった昏い光が宿っていた。
その時。フェイの隣で端末を操作していたミリーが、弾かれたように顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、極限の緊張と歓喜に揺れる。
「強制同期シーケンス……。完了! ……。セリナ様、地下の『心臓』が、目覚めました!」
ズズズズズ……ドォォォォォォンッ!!
演習場全体を揺るがす地響きと共に、研究所の片隅にある廃棄物処理用の巨大ハッチが、内側からの物理的な圧力で吹き飛んだ。コンクリート片と土煙が舞い上がる中、地底の闇から這い出してきたのは、人々の常識を、そして魔導文明の限界を打ち砕くために生まれた、白銀の巨躯だった。
『アーク・フェニールⅡ(ツヴァイ)』。
それが、Fクラスの総力を結集した新機体の名だった。
軍の『レオン』のような優美な装飾や、魔力光の輝きは一切ない。その装甲は、軍が「魔力枯渇ゴミ」として廃棄した耐熱合金を、ジャックとガッツが執念で再精錬し、叩き出したものだ。磨き上げられた鈍い銀色の表面には、再突入時の熱変色のような焼け焦げた跡すら残っており、それが歴戦の風格を漂わせている。
形状は人型でありながら、その設計思想は完全に「航空機」だった。
背部には、マッハ一・五の衝撃波円錐の内側に収まるよう計算された、巨大で鋭利な可変後退翼が広げられている。胸部と脚部には、貪欲に大気を飲み込むための巨大なジェット・インテークが口を開け、そこから伸びる太い配管や燃料チューブが、装甲の隙間から剥き出しになって脈打っていた。
それは、魔法の力で優雅に浮遊する人形ではない。空気を引き裂き、熱を喰らい、物理法則をねじ伏せて飛ぶための、凶暴な「機械」だった。
「な…… 何だ、あの機体は! 報告にないぞ! 誰か、鑑定を……!」
中将が驚愕に目を見開き、兵士たちが動揺して銃口を彷徨わせた、その一瞬の隙。
「今です、お嬢様!」
イザベラが懐から魔導触媒を投げつけ、視界を奪う濃密な煙幕が辺りを包み込んだ。
白い煙の中で、セリナは制服のボタンを引きちぎるように脱ぎ捨て、フェイが差し出した新しい「翼」へと腕を通した。
それは、この脱出劇のためにフェイが寝る間も惜しんで仕立て上げた、セリナ専用の新型パイロットスーツだった。
煙幕が風に流され、薄れていく。
そこに現れたセリナの姿に、包囲していた兵士たちは、息を呑み、引き金を引く指を止めた。
漆黒の地に、銀のラインが走る新スーツ。それは、超音速飛行時のGと血流移動に耐えるため、伸縮性の高い特殊素材で極限までタイトに作られていた。
結果として、それはセリナの成熟した肉体のラインを、残酷なまでに鮮明に浮き彫りにしていた。豊かな胸の曲線、引き締まった腰のくびれ、そしてしなやかで力強い脚部のシルエット。首元まで覆うデザインが、逆に禁欲的な色香を強調し、銀髪とのコントラストが、彼女を人間ならざる「何か」に見せていた。
「…… おー 窮屈じゃ。…… フェイ。…… 少し 締め付けが過ぎるぞ」
セリナ本人は、首元のジッパーを不快そうに弄りながら文句を言った。
だが、その無自覚な仕草一つが、周囲の男たちの理性をきしませる。ジャックは「…… 刺激が強すぎるっす、師匠……」と真っ赤になって帽子を目深に被り、ガッツは「へっ、いい女になりやがって」と葉巻を噛み締めた。
そして、製作者であるフェイは、自分の「最高傑作」に身を包んだ師匠の姿に、恍惚と、独占欲と、嫉妬が入り混じった熱いため息を漏らした。
(…… ああ。完璧。……。私の設計通り。師匠の身体のすべてが、一番美しく見える形。……。でも、やっぱり他の誰にも見せたくない!)
セリナは周囲の視線など意に介さず、軽やかな跳躍でアーク・フェニールⅡの胸部コクピットへと飛び込んだ。
重厚なハッチが閉ざされ、外部の音が遮断される。狭いコクピット内は、魔法の水晶ではなく、無数のアナログ計器と物理スイッチで埋め尽くされていた。
セリナが主電源を投入する。
キュィィィン……というタービン音が高まり、機体の全身に張り巡らされた配管が、熱い血液が流れる血管のように震え始めた。シンコアが彼女の魂と完全同期し、機体周囲の空気が、まるで宝石の結晶のように歪み始める。
「…… 檻を 壊すぞ。…… 本物の 翼を 見せてやる」
セリナがスロットルレバーを叩き込んだ。
背部の翼と脚部のノズルから、青白い物理的な噴射炎が爆発的に噴き出した。
ドォォォン!!
滑走路のアスファルトが熱で溶解し、衝撃でクレーターが穿たれる。アーク・フェニールⅡは、魔法の浮遊ではなく、純粋な推力の暴力によって、数百トンの巨体を空へとねじ込んだ。
離陸と同時に、機体は垂直上昇を開始する。だが、セリナはそのまま逃げはしなかった。彼女は空中で機体を反転させると、研究所全体を覆っている巨大な対空魔導障壁の頂点へ向けて、真っ逆さまに急降下を開始した。
「ま、まさか! 障壁に突っ込む気か! 自殺行為だ!」
地上の技師が叫ぶ。だが、セリナの狙いは衝突ではなかった。
「…… 魔法の 障壁か。…… おー 物理の 前では…… 薄紙に 等しいわ」
高度五百メートル。
セリナは、空気抵抗が最も高い低高度で、再加速装置に点火した。
――マッハ一・〇、突破。
その瞬間、機体の周囲に円錐状の真っ白な水蒸気の雲が発生した。
それと同時に、地上を全て薙ぎ払うような、凄まじい「音の爆発」――ソニック・ブームが炸裂した。
指向性を持たせて放たれた衝撃波の鉄槌が、魔導障壁の表面に直撃する。魔法エネルギーで構成された障壁は、物理的な空気の振動波と共振を起こし、ガラス細工のようにヒビ割れ、次の瞬間、粉々に砕け散った。
降り注ぐ魔力光の破片が、雪のように舞い落ちる。その幻想的な光景の中を、白銀の機体は、空を切り裂く轟音だけを置き去りにして、雲の彼方へと突き抜けていった。
地上に残されたのは、強烈な風圧に吹き飛ばされ泥だらけになった中将と、自分たちが信じていた「魔法の絶対性」が物理によって粉砕された現実に、茫然自失となる技師たちだけだった。
「…… さらばじゃ 檻の 主たちよ。…… わらわは 真実の 空へ 行く」
コクピットの中で、セリナは身体に食い込むスーツの感触と、全身を押し潰すような強烈なGを心地よく感じながら、不敵に笑った。
翼を持った鉄の巨人は、自由な空へと解き放たれた。
(つづく)
第十四話をお読みいただき、ありがとうございました!
ついに登場した新機体『アーク・フェニールⅡ』。魔法的な装飾を廃し、配管やインテークが剥き出しになった「空を飛ぶためのギアドライブ」としての姿、そしてフェイの趣味(と情熱)が詰まった新パイロットスーツに身を包んだセリナの圧倒的な美貌を描写しました。
物理の暴力で魔法の檻を粉砕するカタルシス、お楽しみいただけたでしょうか。
物語はいよいよ、軍の追撃を振り切り、新たな拠点へと向かう「逃避行編」へ。
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次回、「第十五話:白銀の疾風、あるいは再会の空」にご期待ください。




