第十三話:墜ちるライオン、あるいは泥の中の真実
凍てつくような冬の青空が、どこまでも高く広がっていた。
王立中央軍・第三機導研究所の広大な演習場は、今日という日を祝うための華やかな幕が張られ、着飾った貴族たちや、勲章を胸に下げた軍の高官たちが、その「歴史的瞬間」を待ち侘びていた。彼らの視線の先にあるのは、滑走路上で魔力の咆哮を上げている王国の最新鋭試作機『レオン』だ。黄金の獅子を模した装飾が施されたその機体は、まさに王国の権威の象徴であり、魔導文明の極致を体現しているかのように見えた。
だが、その華美な貴賓席の最前列で、一人だけ冷めた瞳で空を眺めている少女がいた。
「…… おー 随分と 派手な 葬列じゃな。…… 鉄を 飾る暇が あるなら…… ネジを 締め直せば 良いものを」
セリナ・フォン・アルスタインは、足を組み、肘を突いて退屈そうに呟いた。
冬用の厚手の制服は、収容から数ヶ月の間にさらに彼女の肉体に食い込み、その圧倒的な曲線を強調していた。座ることでさらに張る太腿のライン、そして今にもボタンが弾け飛びそうなほどに豊かな胸元の膨らみ。中身がおじさんである彼女は、ただ「動きにくい」と眉をひそめているだけだが、その無自覚な立ち振る舞いは、周囲の視線を物理的な重圧へと変えていた。隣に座る若手の将校たちは、作戦の進捗を報告する声すら上ずらせ、彼女の神々しいまでの美しさと、溢れ出る色香に意識を完全に奪われていた。
その背後で、ミリーは震える手で魔導端末を握りしめていた。
彼女の役割は、レオンに搭載されたシンコアの稼働状況を監視することだ。だが、彼女が画面越しに見ているのは、軍の技師たちが「完璧な調整」と自画自賛するデータの裏側に潜む、致命的な歪みだった。
(セリナ様が仕込んだ『毒』……。魔法で出力を上げれば上げるほど、空気の流れが機体を拒絶するように設計されている。……。怖い。物理はこんなに冷酷に、魔法を裏切るんだ……)
ミリーは、セリナの横顔を盗み見た。冬の光に透ける銀髪と、冷徹なまでに美しい輪郭。かつての自分を救ってくれた「聖女」の顔は、今や空を支配する冷酷な「審判者」のそれだった。
フェイもまた、軍の監視の目を避けながら、セリナの傍らに控えていた。
普段ならセリナの些細な仕草一つに胸を躍らせる彼女だったが、今は違う。ここは敵陣の真っ只中だ。彼女は軍人たちのセリナを見る下卑た視線に、内心で激しい嫌悪感を抱きつつ、それを鉄の無表情で隠し通していた。
(今は耐える時。……。でも、師匠。あんなに隙だらけの姿で座らないで。……。皆が、あなたのことを見ている。……。あなたの美しさを知っているのは、私たちだけでいいのに)
フェイの瞳には、かつての素直な憧れだけではない、深く、重い情愛が澱のように溜まっていた。それは、この数ヶ月の監禁生活が彼女に植え付けた、歪な忠誠心の一片だった。
一方で、ポロはもはやセリナの背中すら直視できず、手元の計算用紙を震える指で弄んでいた。
(だめだ、計算に集中しろ……。マッハ一・一での衝撃波の挙動を予測するんだ……。でも、セリナ様が動くたびに、髪から甘い香りがして、制服の生地が擦れる音が、耳の奥にこびりついて離れない……!)
ポロにとって、セリナは「崇高なリーダー」であると同時に、理性を保つために「見てはいけない猛毒」へと進化していた。
※※※
「全魔導回路、接続! レオン、発進せよ!」
マクシミリアン・フォン・クロイツ中将の号令と共に、レオンが爆発的な魔力の奔流を噴き出した。
物理的な滑走など不要だと言わんばかりの、強引な魔力加速。機体は凄まじいGを引き連れながら冬空へと飛び立ち、瞬く間にマッハ〇・九へと到達した。
「見たまえ、アルスタイン嬢! 貴殿のシンコアを組み込んだことで、レオンは完璧な咆哮を上げている。魔法の力が、ついに音の壁をねじ伏せるのだ!」
中将が勝利を確信した笑みを向ける。中央軍の技師たちも、自分たちが「魔法で物理を飼い慣らした」と信じ込み、祝杯の準備を始めていた。だが、セリナの瞳だけは、レオンの吸気口周辺に発生している、目に見えない不穏な気流の変化を捉えていた。
マッハ一・〇を突破し、衝撃波が機体を包み込む。
軍の技師たちは「安定している!」と叫んだが、セリナは心の中で秒読みを開始していた。
「…… 良い 勢いじゃ。…… 死への 片道切符。…… 存分に 味わうが良い」
マッハ一・一。
レオンが真の超音速領域へと足を踏み入れた、その瞬間。
セリナが仕込んだ「物理の毒」が、牙を剥いた。
魔法で無理やり出力を上げ、空気を強引に圧縮しようとしたことで、吸気口内部の圧力分布が物理的な限界を超えた。吸気口内部に留まり、エンジンへ空気を送り込むはずの衝撃波が、内側からの圧力に押し出され、機体前方へと弾き出される。
超音速吸気口における致命的な物理故障、「アンスタート(Unstart)」現象だ。
ドォォォンッ!!
空中で、レオンが激しく身震いした。吸気口から衝撃波が「逆流」し、大気がエンジンの排気口側へ押し戻されたことで、魔導エンジンが激しい「咳」を起こす。機体全体を襲う、ハンマーで叩かれるような凄まじい振動。次の瞬間、過負荷に耐えきれなくなった高価な魔導回路が次々と発火し、黄金の獅子の腹部から黒煙が噴き出した。
「な、何だ!? 何が起きた! 魔法回路を再接続しろ! 出力を上げろ!」
中将が叫ぶ。だが、一度始まった物理の報復は止まらない。
吸気バランスを失ったレオンは、激しい左右の振動を起こしながら、まるで翼を折られた鳥のように高度を落とし始めた。観覧席の貴族たちから悲鳴が上がり、軍の技師たちは「魔法が、魔導が安定しない! 計算外だ!」と右往左往するばかりだ。
※※※
混乱の渦中で、セリナだけが優雅に立ち上がった。
風に靡く銀髪、そして冬空を背負ったそのシルエットは、墜ちゆく獅子を冷徹に見下ろす「裁きの女神」そのものだった。その圧倒的な美しさと、何事にも動じない絶対的な「格」の差に、騒いでいた人々は、まるで見えない力に喉を抑えられたかのように静まり返った。
レオンは、滑走路の端の泥濘へと無様に突っ込み、土煙を上げて停止した。
かつての黄金の輝きは泥にまみれ、コクピットからは泥だらけになったテストパイロットが這い出してきた。中央軍の権威が、まさに泥の中に墜ちた瞬間だった。
「アルスタイン嬢! 貴様、何をした! シンコアの調整に細工をしたな!」
泥まみれの滑走路を走ってきたマクシミリアン中将が、逆上してセリナに詰め寄った。
だが、セリナは彼を一瞥すらせず、泥の中に横たわる無惨な残骸を見つめたまま、鈴を転がすような、しかし氷のように冷たい声で告げた。
「…… 毒。…… おー。…… それは。…… お主らの 魔法じゃ。…… 物理を 蔑ろに した 報いじゃな」
「何だと……!」
「…… 超音速の 風を 魔法で 縛れると 思ったか。…… 衝撃波は 拒絶すれば 牙を 剥く。…… 迎え入れ 同期しなければ…… 空は 許しては くれぬ」
セリナはゆっくりと中将に向き直った。
至近距離で正対したその顔の、あまりの神々しさと、女性としての抗い難い色香に、怒鳴り散らしていた中将は思わず気圧され、言葉を失って立ち尽くした。
「…… 泥を 啜れ リヒターの 映像に 怯え…… 数式よりも 虚栄を 優先した…… 愚か者の 末路じゃ」
中将の顔が、屈辱で真っ赤に染まる。彼は腰の剣を抜き、セリナを「反逆罪」で処刑しようと腕を上げた。
だが、その瞬間。
研究所の地下、廃棄物処理場の方向から、地響きのような、重厚で透明な「音」が響いてきた。
それは、レオンの醜い爆発音とは違う。
大気そのものが喜びに打ち震えているような、真の物理の咆哮。
セリナたちの裏工作によって完成した、真の心臓部が産声を上げたのだ。
ミリーが端末を見て、歓喜に震える声で叫んだ。
「シンクロ率、一〇〇パーセント! ……。セリナ様、アークの鼓動が、繋がりました!」
セリナは、狂ったように剣を振り上げる中将を冷ややかに見捨て、駆け寄ってきたポロやジャックに頷いた。
彼女の瞳には、もはや中央軍など映っていない。
「…… 檻を 壊すぞ。…… 本物の 翼を 見せてやる」
(つづく)
第十三話をお読みいただき、ありがとうございました!
軍の傲慢さが「アンスタート」という物理現象によって打ち砕かれる瞬間、そして混乱の中で一人、絶対的な神々しさを放つセリナを描きました。
ミリーの技術的な視点や、ポロとフェイのそれぞれの葛藤、そしてセリナの圧倒的な「格」の差、伝わりましたでしょうか。
物語はいよいよ、軍の管理下を物理の力で突破する「脱獄編」へと突入します。
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次回、「第十四話:脱獄、あるいは白銀の疾風」にご期待ください。




