第十二話:皇帝の翼、あるいは毒入りの福音
冬の訪れは唐突だった。王立中央軍・第三機導研究所を囲む高い壁の向こう側では、鋭い北風が街の喧騒をさらっていき、時折舞い落ちる白雪が魔導障壁に触れては、青白い火花を散らして消えていく。
収容から三ヶ月。この閉鎖された贅沢の中で、セリナ・フォン・アルスタインの変貌はいよいよ無視できない領域に達していた。
「…… おー 窮屈じゃ 厚手の 服に なっても…… 締まりが 悪い」
自室の姿見の前で、セリナは冬用の厚い生地で作られた軍仕様の制服に袖を通し、不機嫌そうに胸元を弄った。
前世の老兵としての記憶が「動きやすさ」を最優先させる一方で、少女の肉体は残酷なまでに成熟を急いでいる。厚手の生地すら内側から押し上げるような豊かな曲線。くびれた腰から脚部にかけてのラインは、厳しい冬の装いであっても隠しきれぬほどに鮮明で、神々しいまでの色香を放っていた。
セリナ本人は、これを「操縦席での重心のズレ」や「余計な脂肪の増加」程度にしか考えていない。だが、鏡の中に映る自分と目が合うたび、彼女はその「美しすぎる器」に僅かな忌々しさを感じていた。中身は泥臭い空戦に明け暮れたおじさんである。それなのに、外側は男女を問わず理性を狂わせる究極の「美少女」へと仕上がりつつある。
廊下ですれ違う衛兵たちは、彼女の姿を認めた瞬間、極寒の中でも喉を鳴らして汗を浮かべる。ある者は直視できずに壁を見つめ、ある者は規律を忘れてその残像を追い続ける。彼女が通るだけで、冷え切った研究所の空気は、熱を帯びた沈黙へと塗り替えられていった。
※※※
「…… おー 帝国も 無理を する。…… 衝撃波の 角度が…… 主翼を 削っておるぞ」
食堂の大型魔導スクリーンに映し出された、ゲシュタルト帝国の広報映像。
漆黒の双発機『シュヴァルツ』が、鋭い衝撃波の円錐を纏いながら雲海を切り裂く姿が流れていた。記録された速度はマッハ一・二。帝国の技術が、ついに音速の壁を安定して越え始めたことを示す、宣戦布告に近い映像だ。
それを見つめるセリナの横顔は、彫刻のように美しく、そして猛禽のように鋭かった。
隣に座るフェイは、食事を口に運ぶ手も忘れ、セリナの横顔に見惚れていた。冬の陽光に透ける銀髪、そして制服の襟元から覗く、吸い込まれるような白い肌。
(…… 師匠。…… どうして、そんなに綺麗なのに、そんなに怖い目をするの?)
フェイの胸の奥で、憧れとは少し違う、甘く、苦しい鼓動が跳ねる。彼女は同じ女性でありながら、セリナの圧倒的な「メスとしての格」に当てられ、熱くなった顔を隠すようにスープを啜った。
一方、男性陣の苦悩はより深刻だった。
映像を分析しているフリをしながら、ポロは必死に視線を泳がせていた。少し身を乗り出したセリナの胸元が、テーブルの端に僅かに重なる。その弾力と重みを否応なしに意識させられ、彼の純情な思考回路は爆発寸前だった。
「…… ポロ。…… 何を 震えておる。…… 帝国の 翼が 怖いか」
「い、いいえっ! 怖くないです! 全然、平気です! ちょっと、その…… 部屋が暑い気がして!」
ポロは真っ赤になって立ち上がり、開けるはずのない窓へと向かって走り去った。ジャックはそれを横目で見て、「情けねえ野郎だ」と吐き捨てようとしたが、自分もまた、セリナが足を組み替えるたびに制服の生地が張る、その肉感的な音から目を逸らすのに必死だった。
※※※
「いいかね、アルスタイン嬢。帝国のシュヴァルツがマッハ一・二を叩き出した今、王国軍の威信は地に落ちている」
研究所の最深部。マクシミリアン・フォン・クロイツ中将は、焦燥を隠しきれない顔でセリナを睨みつけた。
彼の背後には、中央軍が誇る最新鋭試作機『レオン』が鎮座している。魔法で全身を固め、最強の魔導エンジンを積んだ「王国の獅子」。だが、その獅子は試験飛行のたびに、音速の壁に跳ね返されてのたうち回っていた。
「一ヶ月だ。一ヶ月以内に、貴殿の『シンコア』をこのレオンに最適化させろ。…… 魔法の出力は十分だ。あとは、貴殿の理論という名の味付けを施すだけでいい」
「…… おー 一ヶ月か。…… 随分と 長い 猶予を くれる。…… アイゼン。…… できるな」
セリナが冷たく水を向けると、アイゼンは「いやあ、この老体には些か荷が重いですが、お嬢様が仰るなら……」と、わざとらしく腰をさすりながらとぼけた。
軍のエリート技師たちは、セリナたちが「自分たちに従わざるを得ない哀れな子供と老人」であると信じ込んでいた。彼らの視線はセリナの胸元や腰回りに卑俗な好奇心を走らせており、その油断こそが、セリナたちにとって最高の武器だった。
※※※
深夜二時。
厳重な監視の目を、イザベラの魔導攪乱とジャンのノイズが遮断する。
レオンのコクピットに潜り込んだポロとミリーは、セリナの指示通り、シンコアの深層回路を書き換えていた。
「…… 毒を 盛るぞ。…… 魔法を 込めれば 込めるほど…… 空気が。…… 牙を 剥くように」
セリナは、剥き出しになったレオンの心臓部を見つめ、不敵に微笑んだ。
彼女が仕込んだのは、特定の速度――マッハ一・一を超えた瞬間に、吸気バランスを物理的に崩壊させる「熱力学的な罠」だ。
魔法で無理やり出力を上げれば、吸気口内の衝撃波が逆流し、エンジンは内部から自壊する。軍の技師たちには「出力安定のためのリミッター解除」だと説明した回路が、実は物理法則の報復を招くスイッチとなっていた。
一方で、ジャックとガッツは、軍が「ゴミ」として廃棄した耐熱合金の残骸を、研究所の片隅に隠した極秘の作業台で加工していた。
彼らが作っているのは、レオンのための部品ではない。
『アーク・フェニール』をマッハ一・五へと導くための、真の心臓部。可変ランプ式吸気口だ。
超音速で突っ込んでくる大気は、そのままではエンジンを破壊する。
セリナは、複数の斜め衝撃波を発生させ、段階的に空気を減速・圧縮する物理的な「調律」を、手作業でシンコアに刻み込んでいた。
$$\frac{P_{t2}}{P_{t1}} = \left( 1 + \frac{\gamma-1}{2} M^2 \right) ^ {\frac{\gamma}{\gamma-1}}$$
この圧力回復率を最大化するための数式が、魔法の出力を超える「物理の暴力」を可能にする。
「…… おー ジャック。…… 良い 削りじゃ。…… 鉄が。…… 喜んでおるぞ」
作業の熱気で厚い制服を脱ぎ、インナー一枚になったセリナが、ジャックの肩を叩く。
その瞬間、ジャックの視界に、汗ばんだセリナの白い首筋と、薄い生地越しに露わになった、しなやかで肉感的な身体のラインが飛び込んだ。
ジャックは「ガッ!」という奇声を上げ、ハンマーを自分の足の上に落としそうになった。直視すれば心臓が止まる。かといって目を背ければ、その残像が脳裏に焼き付いて離れない。
「ど、どきやがれ嬢ちゃん! 暑苦しいんだよ! …… 全く、どいつもこいつも、仕事にならねえじゃねえか!」
ジャックは顔を背け、必死に鉄を叩く音で自らの鼓動を掻き消した。傍らでガッツだけが「はっは、若いのは元気でいいな」と、泰然自若とお茶を啜っている。
セリナは不思議そうに小首を傾げた。その無自覚な仕草で胸元のラインがさらに強調され、背後のポロが鼻を押さえてうずくまったことに、彼女は最後まで気づかなかった。
試験飛行の朝。
雪の止んだ滑走路に、軍の最新鋭機『レオン』が引き出された。
自信満々のテストパイロットが、セリナの前を通る際、その圧倒的な美貌に気圧されて足をふらつかせたが、すぐに取り繕ってコクピットへ消えた。
マクシミリアン中将は、勝利を確信した笑みでセリナに告げた。
「これで見せつけてやろう。帝国のシュヴァルツなど、我が王国の魔導の敵ではないことをな。すべては『レオン』の咆哮で灰に帰す」
「…… おー 福音を。…… 授けよう。…… 物理という名の。…… 地獄をな」
セリナは、遠く藍色の空を見上げ、静かに呟いた。
彼女の瞳には、かつて幾多の空を支配したエースの、冷酷な光が宿っていた。
獅子は空で、その傲慢な爪を自ら折ることになる。
神々しき少女の微笑みは、破滅へのカウントダウンだった。
(つづく)
第十二話をお読みいただき、ありがとうございました!
冬の到来とともに、セリナの「無自覚な色気」が周囲を翻弄し、Fクラスの若手たちが(特にポロが!)精神的に追い詰められていく様子、お楽しみいただけたでしょうか。
物語はいよいよ、軍の試作機『レオン』が空で「毒」によって破滅を迎える次話へと突入します。
物理の真実を知らぬ者が、魔法という嘘で空に挑む報い。その凄絶な瞬間を、圧倒的な熱量で描き切ります。
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次回、「第十三話:墜ちるライオン、あるいは泥の中の真実」にご期待ください。




