第十一話:金の檻、あるいは揺れる視線と静かなる反逆
王立中央軍、第三機導研究所。
学園の煤けたガレージとは対照的な、白磁の壁と大理石の床に囲まれたその場所は、まさに「金の檻」と呼ぶに相応しかった。最高級の魔導ランタンが二十四時間絶えることなく室内を照らし、用意された食事は王宮の晩餐会と見紛うばかりの贅沢さだ。だが、その窓には外の景色を歪ませるほど強固な魔導障壁が張られ、一歩廊下に出れば、銀装束を纏った衛兵たちの冷徹な視線が突き刺さる。
収容されてから、一ヶ月が過ぎようとしていた。
この閉鎖的でありながら贅沢な環境は、皮肉にもセリナ・フォン・アルスタインという少女の変貌を劇的に加速させていた。十三歳から十四歳へと差し掛かる、女性としての成長期。元々整っていた端正な顔立ちは、超音速という死線を潜り抜けたことで、不要なものが削ぎ落とされたような鋭い美しさを帯び始めた。銀糸のような髪は、魔導の光を吸い込んだように神秘的な輝きを放ち、その瞳は深淵のように冷たく、深い。
だが、何よりも周囲を戸惑わせたのは、彼女の身体的な成長だった。
朝、セリナは支給された軍仕様の制服に袖を通し、小さく眉をひそめた。
「…… おー また。服が。縮んだか。…… 嘆かわしい。軍の。仕立ては。…… 雑じゃな」
彼女自身は、それを軍の怠慢だと本気で思っていた。だが、鏡に映る姿は、それが布地の問題ではないことを雄弁に物語っていた。胸元のボタンは、内側から押し寄せる豊かな膨らみによって、今にも弾け飛びそうなほどに張り詰めている。くびれた腰から、なだらかに広がる腰のライン。それは、まだ十代半ばとは思えぬ、完成された女性の肉体美そのものだった。
中身が「空戦バカの老兵」であるセリナにとって、この急速な発育は、コックピット内でGがかかった際に揺れて不快な「邪魔な脂肪の塊」が増えた程度の認識でしかない。しかし、その無自覚さが、周囲の人間をどれほど狂わせているか、彼女は知る由もなかった。
食堂へ向かうため、セリナが廊下を歩くだけで、異様な空気が流れる。
すれ違う軍の若い将校たちは、彼女の姿を認めた瞬間、何かに打たれたように硬直し、慌てて壁に向かって敬礼をする。その視線は、彼女の顔を直視できず、かといって視界から外すこともできず、宙を彷徨う。彼らの耳は朱に染まり、喉が渇いたように唾を飲み込む音が、静寂な廊下に響く。セリナはそれを「自分への畏怖」だと勘違いし、優雅に、そして冷ややかに一瞥して通り過ぎるだけだ。その姿は、歩く彫刻のように神々しく、同時に触れれば火傷しそうなほどに艶めかしかった。
ハンガーでの作業中も、その影響は甚大だった。
中央軍の技師たちが、魔法で強化したアーク・フェニールのエンジンをまたしても爆発させ、怒号が飛び交う中、セリナは涼しい顔でデータログを確認していた。油汚れを防ぐために着用した耐圧スーツは、伸縮性が高く、彼女の体のラインを隠すどころか、残酷なまでに強調してしまう。
「…… ポロ。…… そこの。排気温度の。数値を。読め」
セリナが何気なく振り返り、背後にいたポロに声をかける。
ポロはびくりと肩を震わせた。いつものように近づいてデータを覗き込もうとした瞬間、彼の視界はセリナの豊かな胸元に占領された。耐圧スーツ越しでもわかるその圧倒的な存在感と、ふわりと漂う甘い香りに、ポロの思考はショートした。
「あ、あのっ、せ、セリナ様っ! えと、その、温度は、ええと、そのっ……! す、すみません、ちょっと目が回って……!」
ポロは顔を茹でタコのように真っ赤にして、慌てて後ずさり、工具箱につまずいて派手に転んだ。
その様子を見ていたジャックも、他人事ではなかった。彼は腕組みをして、努めてセリナの方を見ないようにしながら、不自然なほど低い声で唸っていた。
「……ちっ。軍の連中も、とんだ『新兵器』を抱え込んだもんだぜ。……なぁ、ガッツ。嬢ちゃんのあれ、反則だろ。リベット打つ手が震えちまって、仕事にならねえ」
これまでセリナを「生意気だが頼れる師匠」として見ていたFクラスの男性陣にとって、突如として目の前に現れた「圧倒的な異性」としての彼女は、どう接して良いかわからない未知の存在となっていたのだ。
葛藤を抱えていたのは、男性陣だけではなかった。
夕暮れ時、自室に戻ったセリナの長い銀髪を、フェイが梳かしていた。鏡越しに見えるセリナは、ため息が出るほど完璧だった。
(師匠はすごい。頭脳も、技術も、空への情熱も。……それなのに、こんなに綺麗で、スタイルまで完璧なんて、不公平すぎるよ)
フェイは、セリナの豊かな胸元や、しなやかな肢体に、同じ女性として到底敵わないという羨望と、同時に敗北感を感じていた。だが、それだけではなかった。鏡の中でセリナと目が合うたび、フェイの心臓は奇妙なほど高鳴り、頬が熱くなるのを抑えられない。
「(……私、何ドキドキしてるの? 相手は師匠で、しかも女の子なのに。……でも、すごく、綺麗で……)」
フェイの手が、無意識に震えて止まる。セリナが不思議そうに振り返った。
「…… フェイ。…… 手が。止まっておるぞ。…… 疲れたか」
無防備に向けられたその顔の、あまりの美しさと無自覚な色気に、フェイは「ひゃっ!」と短い悲鳴を上げて櫛を取り落とした。
「い、いえっ! なんでもないです! ちょっと、その……師匠があまりにも綺麗すぎて、見とれてただけですっ!」
「…… 綺麗? おー。…… お主も。軍の。連中と。同じような。ことを言う。…… 外見など。パイロットには。不要な。装飾じゃ」
セリナは本気でそう言い捨て、再び技術書に目を落とした。フェイは、そのあまりの「わかってなさ」に、安堵と、少しの悔しさと、そしてどうしようもないときめきを感じながら、再び髪を梳かし始めた。
だが、深夜。
監視の魔導眼が死角に入る僅かな時間、地下の廃棄物処理場で密会する「老人たち」の前では、その空気は一変する。
「へっ。昼間は若い連中が気の毒だったな、お嬢。あんた、自分がどんな爆弾を抱えて歩いてるか、まるで自覚がねえだろ」
闇の中で、ガッツがニヤリと笑いながら、回収したスクラップの山に腰掛けて言った。彼のような歴戦の職人にとって、セリナの肉体的な変化は「嬢ちゃんも成長したな」程度の認識であり、むしろ周囲の狼狽ぶりを楽しんでいる節があった。
「…… 爆弾? おー。…… この。新型シンコアの。ことか。…… 確かに。威力は。保証する。軍の。連中が。泣いて喜ぶ。代物じゃ」
セリナが本気でそう答えると、アイゼンが声を殺して笑った。
「はっはっは。これだから技術馬鹿は困る。まあいい、彼ら若者には気の毒だが、その君の『無自覚な爆弾』も、軍の目を欺くための、この上ないカムフラージュになるだろう。連中が君の外見に気を取られている間に、我々は本質を進める」
アイゼンは、老眼鏡の位置を直し、真剣な眼差しでスクラップの山を見た。
「軍は、魔力が枯渇した金属をゴミだと思っている。だが、これらは過酷な魔法負荷に耐え抜いた結果、熱に対する耐性が異常に高まった『魔導変性合金』だ。マッハ一・五の『熱の壁』を超えるには、これしかない」
セリナは頷き、回収した素材を愛おしそうに撫でた。その瞳には、昼間の色気など微塵もない、冷徹な技術者の光が宿っていた。
「…… 物理は。嘘を。つかぬ。…… 大人が。魔法と。わらわの。外見に。溺れる間に。…… 真実を。研ぎ澄ます」
セリナの脳裏には、既に次なる絶壁の光景が浮かんでいた。
流体力学における抗力係数 $C_D$ の変化は、音速を超えた途端にその姿を変える。
$$C_{D} \approx C_{D0} + \frac{4\alpha^2}{\sqrt{M^2 - 1}}$$
この数式が示す「造波抵抗」の壁。軍はこれを「さらなる魔力」で押し切ろうとしているが、それは荒れ狂う激流に、より大きな重りを投げ込むようなものだ。
「…… ポロが。…… 昼間。…… 真っ赤に。なりながらも。…… 渡してくれた。…… メモが。ある。…… 吸気口の。…… 物理制御。…… 完璧じゃ」
セリナは、ポロが震える手で渡してくれた、暗号化された計算用紙を広げた。
一ヶ月という時間は、軍にとっては停滞だったが、セリナたちにとっては、歪な形でありながらも、結束と技術を深めるための「力の蓄積」だった。
少女の姿をした老兵は、月明かりの中で、誰にも届かぬ小さな、しかし確かな咆哮をその豊満な胸の奥に隠した。
翌朝、彼女は何事もなかったかのように、用意された体にフィットするドレスに身を包み、将校たちの視線を釘付けにし、仲間たちをドギマギさせながら、優雅に、そして近寄り難い神々しさを振りまいて食堂へと向かう。
それは、世界をハメるための、美しすぎる欺瞞の始まりだった。
(つづく)
第十一話をお読みいただき、ありがとうございました!
監禁生活の中で急速に成長し、無自覚な色気で周囲を(Fクラスの仲間たちさえも!)狂わせるセリナと、その状況を利用して裏で着々と反撃の準備を進める「老人たち」の対比を描きました。
ポロやフェイたちの葛藤、楽しんでいただけたでしょうか。
物語はいよいよ、帝国の新機体が登場し、軍の焦りがピークに達する中、セリナたちの仕掛けた「罠」が発動する展開へと突入します。
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次回、「第十二話:皇帝の翼、あるいは毒入りの福音」にご期待ください。




