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シンクロ率0%の没落令嬢、中身は伝説のエース(65歳) 〜「最近のロボットは軟弱じゃのう」とお茶を啜りながらマニュアル操作で無双する〜  作者: ぱすた屋さん
鉄と油の聖女:遺された暗号と音速の翼

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第十話:神を追い抜いた翼、あるいは灰の記憶

 銀白の翼、『アーク・フェニール』が滑走路上で静止したとき、世界はまだその衝撃波の余韻に震えていた。

 陽炎の向こう側で、エンジンの排気ノズルが真っ赤に焼け、断熱圧縮によって熱せられた機体表面が、冬の冷気と触れて「パキパキ」と微細な金属音を上げている。それは、神の領域を犯した翼が上げる、静かな勝利の吐息のようだった。学園の演習場を包む沈黙は、畏怖と熱狂が入り混じった奇妙な重さを持っていた。



 ハッチがゆっくりと跳ね上がると、そこには油まみれで真っ白な耐圧スーツに身を包んだセリナが立っていた。

 ヘルメットを脱いだ彼女の銀髪は、汗で肌に張り付き、その頬には高Gによる毛細血管のわずかな浮きがあった。だが、その瞳には王国の令嬢としての輝きではなく、かつて幾多の音の壁を越えてきたエースとしての、冷徹で晴れやかな光が宿っていた。



「…… おー 帰ったぞ 最高の 景色じゃった」


 セリナが梯子を下りるよりも早く、ガレージから飛び出してきたFクラスの面々が彼女を取り囲んだ。

 フェイは、泥だらけの靴も構わずにセリナの元へ走り寄り、彼女の小さく白い手を壊れ物を扱うように両手で握りしめた。彼女の瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れ出している。自分が名付けた『アーク・フェニール』が、本当に空を切り裂き、そして何より師匠が無事に帰還した。その事実は、彼女にとって単なる技術的成功を超えた、人生の救いそのものだった。


「師匠……! やった、やったんだね! 私たちのフェニールが、本当に世界で一番速い鳥になったんだ! 誰も、誰も追いつけない場所に、師匠が行ったんだ!」


 フェイの隣で、ポロは地面に膝をつき、激しく肩を揺らしていた。自分が調整したあのコンマ一ミリの歯車が、一秒間に数千回の過酷な振動を抑え込み、セリナの命を空に繋ぎ止めた。その安堵感は、彼を極限の緊張から解放し、ただの「若造」へと戻していた。彼の震える手は、まだ油の匂いが染み付いた計器の感触を覚えていた。

 ジャックとガッツも、言葉を失ったまま互いの肩を叩き合い、見たこともないような満面の笑みを浮かべている。鉄と物理を信じ抜いた男たちの、声にならない咆哮がそこにはあった。





 だが、その熱狂の渦は、演習場の入り口から響いた「冷徹な軍靴の音」によって、一瞬にして冷え切った。


 演習場のゲートを潜り抜け、真っ黒な蒸気車両の列が滑走路上へと雪崩れ込んできた。

 重厚な装甲に覆われた車体には、王立中央軍の獅子の紋章が不気味なほど鮮やかに刻まれている。車両から降り立ったのは、磨き抜かれた軍服に身を包み、一切の感情を排した眼差しを持つ将校たちだった。その中心に立つ中将――マクシミリアン・フォン・クロイツは、歓喜に沸く生徒たちを一瞥もせず、ただ『アーク・フェニール』の銀色の主翼を、獲物を見定める猛禽のような目で見つめた。


「見事なデモンストレーションだった、アルスタイン令嬢。…… だが、これほどまでの軍事的価値を持つ機体を、一介の学園に放置しておくわけにはいかない」




 クロイツ中将が掲げたのは、国王の名代としての印章が押された一通の「技術接収命令書」だった。

 接収。その無機質な言葉が、冬の空気に冷たく反響した。


「…… 接収 おー 成功した 途端に これか 慣れた 景色じゃな」


 セリナは、怒りに拳を震わせるジャックや、今にも中将に食ってかかりそうなフェイを片手で制し、冷たく言い放った。

 成功には常に欲が群がる。前世でも、新しい技術が生まれるたびに、それを「剣」に変えようとする連中が、祝杯の酒が乾く前に押し寄せてきた。セリナにとって、この強奪はデジャヴですらなかった。


 中将はセリナの態度を歯牙にもかけず、背後の兵士たちに機体の差し押さえを命じた。

 Fクラスの面々が、睡眠を削り、泥にまみれて積み上げてきた五日間の結晶が、一枚の紙切れによって「国家の財産」へと塗り替えられていく。

 アイゼンが真っ青な顔で立ち尽くし、震える声で抗議を試みたが、中将は冷酷にそれを遮った。


「アイゼン卿。君の功績は認めるが、これは安全保障の問題だ。この機体、そして『シンコア』の設計図は、すべて中央軍の管理下に置かせてもらう。抵抗は反逆と見なす」


 その混乱の最中、別の影が静かに近づいてきた。

 撤収準備を終えたゲシュタルト帝国の特使、リヒター伯爵だ。彼は敗北したはずの立場にありながら、その瞳には以前にも増して不気味な暗い執念を湛えていた。彼の隣には、意識を取り戻したものの、まだ足元のふらつくルーカスが立っている。


「…… リヒター おー 負け惜しみを 言いに きたのか」


 セリナが問いかけると、リヒターは足を止め、優雅に一礼した。だが、その仕草には相手への敬意など微塵も含まれていない。


「負け惜しみ? 滅相もない。我々は今日、素晴らしいものを見せてもらった。物理という名の真実、確かに感服した。…… だが、アルスタイン嬢。音速突破は、神の領域の入り口に過ぎない。帝国の『皇帝の翼』は、既にその先……マッハ一・五という絶壁すら超えようとしている。貴殿のシンコアが、果たしてその『絶望の壁』に耐えられるかな?」


 リヒターはそれだけを言い残し、漆黒の馬車へと乗り込んだ。

 去り際、ルーカスがセリナと視線を合わせた。命を救われた操縦士としての、無言の警告。彼の唇が、音もなく「黒い機体に気をつけろ」と動いたのを、セリナは見逃さなかった。






 帝国軍が去り、中央軍がガレージを制圧し始める中、セリナを襲ったのは怒りではなく、底知れぬ疲労だった。

 十三歳の少女の身体には、超音速飛行の極限負荷と、その後の政治的な泥仕合は重すぎたのだ。イザベラに抱えられるようにして寮へと戻ったセリナは、着替えもそこそこに、深い、深い眠りの底へと沈んでいった。




 その夢の中で、セリナは「かつての自分」を見ていた。

 舞台は、この世界ではない。真っ白なコンクリートの滑走路。計器盤に並ぶ複雑な文字盤。前世の俺――「エドワード」と呼ばれていたテストパイロットの時代。



 それは、音速の壁に挑むための、未完成の試作機だった。

 エンジンの咆哮は今のアークよりも粗野で、暴力的なまでに大気を揺らしていた。高度一万メートル。マッハ〇・九八。機体全体が共振し、操縦桿を握る手の感覚が消失していく。右側を飛んでいた同僚の機体が、衝撃波の乱気流に捕まり、翼が紙細工のように折れる光景が、残酷なスローモーションで脳裏に焼き付いている。


「…… 灰に なるな 追いつけ」


 夢の中の俺が、かつての友に向かって叫ぶ。

 だが、その瞬間に響いたのは、自分の機体の主翼が引きちぎられる、この世のものとは思えない破壊音だった。激しい閃光と、意識が消失する直前の、鼻を突くような「灰の匂い」。


 セリナはガバッと跳ね起きた。

 額からは冷や汗が流れ、呼吸は浅く、速い。部屋の窓から差し込む青白い月光が、自らの小さく白い手をまるで亡霊のように冷たく照らしている。


 なぜ、この世界に「シンコア」があるのか。

 なぜ、アイゼンが見つけたあの手記には、前世の物理法則がこれほど正確に記されていたのか。


 セリナは、胸の奥に宿る「おじいちゃん」としての魂が、警鐘を鳴らしているのを感じた。自分がこの世界に、この少女の身体で転生したのは、ただの偶然ではない。この世界には、前世で俺たちが捨て去った、あるいは「失敗して灰になった」はずの技術が、形を変えて生きているのだ。


「…… 灰は 消えたはずじゃ 誰が 掘り起こした」


 セリナの呟きは、深夜の静寂に虚しく吸い込まれていった。

 彼女の瞳には、かつて幾多の戦場と試験飛行を生き抜いたエースとしての、冷徹なまでの闘志が宿っていた。音速を超えたその先に待っていたのは、安寧ではなく、過去の亡霊たちが蠢く、さらに深い闇の入り口だった。


 物理の深淵は、まだ何も語っていない。超音速域での抗力係数 $C_D$ の急激な変化。


$$C_D = C_{D0} + \frac{k C_L^2}{\sqrt{M^2 - 1}}$$

 $\sqrt{M^2 - 1}$ という数式が示す、マッハ一・〇を超えた後の「物理の別の顔」を、彼女は既に予見していた。


(つづく)


第十話をお読みいただき、ありがとうございます!

音速突破という栄光の直後に訪れたのは、王国内部の政治的接収という冷徹な現実でした。

そしてセリナの脳裏に蘇る、前世の「灰の記憶」。


物語はいよいよ、技術開発の枠を超え、世界に散らばる「前世の遺産」を巡る大きな謎へと踏み込んでいきます。

面白いと思っていただけましたら、評価(★★★★★)やブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります!


次回、「第十一話:金の檻、あるいは灰の技師」にご期待ください。


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