第三話:精霊の囁き、エースの雑音
その世界には、どこへ行っても「声」が溢れていた。
風が吹けば草原の精霊が囁き、明かりを灯せば火の精霊がはしゃぐ。人々はそれを「世界の調律」と呼び、精霊と共生することこそが文明の極致であると信じて疑わない。
だが、俺――アルスタイン伯爵家の長女、セリナ(五歳)にとって、それはただの「環境ノイズ」でしかなかった。
「……師匠、そろそろお茶が入りましたよ。今日は没落しかけの我が家にしては奮発した、いい茶葉です。カミラさんに内緒で、台所から失敬してきました」
深夜、アルスタイン伯爵邸の地下貯蔵庫。
カビ臭い空気と古いワインの残り香、そしてそれらを塗り潰すような重厚な油の匂いが混じり合うその場所で、フェイが使い古されたボロ布で手を拭きながら声をかけてきた。
俺は、作業机として使っている頑丈な木箱から、よろよろと腰を上げた。
「……おー。すまんのう。……よっこいしょ」
トントン、と自分の小さな腰を叩く。五歳児の身体は、前世の六十五歳の身体に比べれば驚くほど軽いが、根を詰めて精密作業をすれば、精神的な「腰の重み」がどうしても出てしまう。
俺はフェイが淹れてくれた、湯気の立つ茶碗を小さな両手で包み込んだ。
「……ふぅ。……これじゃ。やはり人間、節目節目で茶を飲まんと、魂のネジが緩んでいかん。……しかしフェイ、この茶、少し蒸らしが足りんぞ。整備と同じで、最後の一押しが肝心じゃ」
「師匠、その見た目でその台詞は本当に心臓に悪いです。……で、進捗はどうですか? その『精霊石』のバイパス工事」
フェイが指差したのは、作業台の上に鎮座する、鈍く輝く青い結晶――『精霊石』だ。
この世界の動力源であり、機殻騎士の心臓部。
通常、パイロットはこの石を通じて精霊と精神を繋ぐ。それを『シンクロ』と呼ぶ。
シンクロ率が高いほど、機体はパイロットの「手足」として滑らかに、かつ超常的な出力を発揮して動く。それがこの世界の絶対的な常識だ。
「……フェイ。さっき、試しにこいつと『シンクロ』とやらをやってみたんじゃがな」
「えっ、もうやったんですか!? どうでした? やっぱり師匠なら、一瞬で精霊を平伏させたとか?」
「……いや。……最悪じゃった。……あいつら、うるさすぎて話にならんわい。……まるで、新兵訓練所の初日に、数千人の新兵に一斉に囲まれて愛を告白されたような気分じゃ」
俺は不快そうに眉をひそめ、茶を啜った。
この世界の「シンクロ」という概念を、俺なりに解析してみた結果、一つの結論に達した。
通常のパイロットは、精霊石に意識を沈め、精霊に「お願い」をする。
『右に動いてくれ』『もっと速く走ってくれ』。
精霊はその願いを聞き届け、機体の各部にある魔導回路を自律的に制御し、最適な動作を実現する。
いわば、精霊は『超高性能なオートマチック・システム』であり、『運転支援AI』なのだ。
だが、俺がシンクロを試みた瞬間、精霊石から返ってきたのは、悲鳴に近い「熱狂」だった。
『王だ!』『戦場の支配者が来た!』『命令を!』『すべてを奪い、すべてを壊せ!』
数千、数万という精霊の「声」が、俺の脳内に直接叩きつけられた。
六十五年、空を支配し続けた俺の強固すぎる自意識が、精霊たちにとってはこの上ない「極上の指令」に見えたのだろう。
あいつらは、俺が少し考えただけで、勝手に暴走し、勝手に出力を上げ、勝手に装甲を軋ませる。
「……あいつらは、俺の意志を待たん。俺が『右』と思えば、俺がレバーを引く前に勝手に右に飛ぼうとしやがる。……そんなもん、操縦とは言わん。ただの『自動運転』じゃ。俺の指先が感じるはずの『機体の抵抗』も、精霊が良しなに補正して消し去りよる。……気持ち悪くて乗れたもんじゃないわい。……機械ってのは、もっとこう、無愛想で、俺がこじ開けた分だけしか反応しない頑固さが必要なんじゃよ」
「あー……。なるほど。師匠の『自分ですべてを支配したい』という意志が強すぎて、精霊が忖度して先走りしちゃうんですね。過剰な運転支援が逆に邪魔になるっていう、プロにありがちな悩みですか」
「そうじゃ。……だから俺は、こいつらの口を封じることにした。……。……おーい、精霊さんよ、聞こえるか? お前さんは今日から、ただの燃料じゃ。余計な口出しはさせん」
俺は、精霊石の周囲に張り巡らせた、自作の魔導ワイヤーと物理的な遮蔽板を指差した。
「精霊の意志を、物理的な『圧力』としてのみ抽出する。……こいつらには、単なる『蒸気』として大人しくしていてもらう。……操縦は、俺が引くこのレバーとワイヤー。精霊は、そのための動力を供給するだけの『ボイラー』じゃ。命令は受け付けんし、勝手な補正もさせん。……これこそが、機械と人間のあるべき距離感じゃと思わんか?」
「精霊をボイラー扱い……。この世界の神官たちが聞いたら、泡を吹いて倒れますよ、師匠。でも、いいですね。その『扱いにくい名馬を腕でねじ伏せる』感じ。前世の師匠の愛機、あのボロ機体を思い出します」
フェイは呆れ果てたように笑ったが、その瞳には俺と同じ、狂気的な技術者としての輝きがあった。
俺たちは、この世界の「魔法」を「物理」に引きずり下ろすという、冒涜的な作業に没頭した。
***
翌日。
アルスタイン伯爵邸の広間に、一人の厳格そうな老人が招かれていた。
公爵家より派遣された鑑定官、バルカス。
彼はこの世界で最も権威のある『シンクロ率測定器』を携えていた。
広間には、俺の父である伯爵と、数人の親族、そして使用人たちが固唾を呑んで見守っている。
没落の危機に瀕しているアルスタイン家にとって、長女セリナの適性数値は、家門の存続を賭けた「宝くじ」のようなものだった。
「……セリナ・フォン・アルスタイン様。本日は、貴女の適性を計りに参りました。……もし、高い数値が出れば、御家も安泰。公爵家が喜んで後ろ盾となりましょう」
バルカスが慇懃無礼に頭を下げる。
その背後では、父が縋るような目で俺を見つめていた。
……親父、悪いが期待はせんでくれ。俺はもう、自分の『操縦哲学』を曲げるつもりはない。
「……。……。……よっこいしょ」
「お、お嬢様!? 今、なんとおっしゃいましたか!?」
鑑定官のバルカスが耳を疑う。
五歳の美少女が、隠居した老人のような深い溜息とともに、トボトボと歩み寄ったのだから。
「……いや、座りっぱなしは血行に毒だと思ってな。……お気になさらず。……さあ、その『光るおもちゃ』に触れればよいのか?」
俺は、バルカスが差し出した豪華な装飾の測定器――『導きの水晶』の前に立った。
この測定器の仕組みは単純だ。
水晶に手を触れ、意識を流し込む。
水晶の中の精霊が、パイロットの意識をどれだけスムーズに受け入れ、共鳴したかを、光の強さと針の振れ幅で数値化する。
(……ふん。……シンクロ率、か。……そんなもん、計らせてやる必要はないな。他人に自分の魂の『出力』を覗き見られるなど、エースのプライドが許さんわい。……それに、ここで本気を出せば、精霊たちが狂喜乱舞して水晶ごと爆発しかねん)
俺は、水晶にそっと指先を触れさせた。
瞬間。
俺の意識の奥底で、昨日地下室で感じたあの「狂騒」が再び沸き起こった。
『主様!』『命令を!』『私を支配して!』。
精霊たちが、俺の魂の扉をこじ開けようと、津波のように押し寄せてくる。
俺は、その熱狂を、強固な精神の壁で完全にシャットアウトした。
(……黙れ、若造ども。……お前たちの出る幕はない。……俺は、俺の手足以外は信じない。……俺の許可なく、俺の感覚に踏み込んでくるな。引っ込んでいろ。……俺がレバーを引いたときだけ、死ぬ気で働けばいいんじゃよ)
六十五年、死地を潜り抜け続けて練り上げられた、ダイヤモンドよりも硬い俺の自尊心が、精霊たちのアクセスを「拒絶」した。
それは共鳴ではなく、完全なる絶縁。
結果。
測定器の水晶は、輝くどころか、どす黒い沈黙を保ったまま。
数値を示す針は、ピクリとも動かなかった。
「……な、……。……数値、0(ゼロ)……?」
バルカスの絶叫が、広間に響き渡った。
「ば、馬鹿な! この測定器が故障しているのか!? このアルスタイン家の血を引く者が、精霊と全く響き合わないなど……っ! 精霊石を、単なる石ころだと思っているのか!? 魂が枯れ果てているのか!?」
「……。……。……おー、終わったか? ……なら、お茶にしよう。フェイ、お茶を。……。……。あー、集中したら少し喉が痛いな。……飴玉はないか?」
俺は、石のように固まった大人たちを無視して、トコトコとお気に入りの縁側(に近い椅子)へと戻った。
鑑定官のバルカスは、震える手で報告書にペンを走らせた。
『セリナ・フォン・アルスタイン。シンクロ率、測定不能の0%。精霊との対話能力皆無。……史上稀に見る、歴史的無能』
父の伯爵は、その場に膝をつき、顔を覆った。
周囲の親族からは「やはり没落貴族の血か」「美しいだけの置物だったか」という、隠しきれない嘲笑が漏れる。
だが、この誤解こそが、俺の望む展開だった。
シンクロ率が高いと、余計な注目を浴びる。お上品な「騎士ごっこ」の仲間入りをさせられ、精霊の言いなりになるのは御免だ。
0%なら、誰も俺に期待しない。
***
その日の夜。
地下ガレージに戻った俺を、フェイがニヤニヤと笑いながら出迎えた。
「師匠、やりましたね! 『0%』! 今、屋敷中がその噂で持ちきりですよ。カミラさんなんて、『お嬢様は美しすぎて精霊様も気後れしたんですわ!』って泣きながら擁護してましたけど。……。……本当は、精霊たちを追い払っただけなのに」
「……ふふん。……計画通りじゃ。……よっこいしょ。……これで誰にも邪魔されず、静かに隠居生活……もとい、最高の魔改造に励めるというもんじゃ」
俺は、フェイが用意してくれたお茶を一口飲み、満足げに目を細めた。
「……フェイ。……これで俺たちは、誰にも邪魔されずに『本物』を作れる。……精霊に媚びを売る軟弱な騎士どもが、腰を抜かすような、鋼鉄の魔神をな」
「了解です、師匠! ……で、次は何を弄ります? このゴーレムの腕、もっと『重み』と『反動』が欲しいんですよね。……師匠の好みに合わせるなら、もっとこう、ガツンとくるやつ」
「……いいだろう。……関節のギアを二重にしろ。……トルク重視じゃ。……精霊の魔力補正がないからこそ、純粋な物理の力が試される。……。……ああ、ワクワクしてくるのう。……若返るってのは、こういう楽しみがあるから悪くない」
五歳の美少女二人の笑い声が、再び油臭い地下室に響き渡る。
シンクロ率、0%。
それは無能の証ではない。
神の如き精霊の意志さえもねじ伏せ、自分の手足のみを信じる、傲慢極まる「絶対王」の拒絶。
セリナお嬢様の「わがまま」な第二の人生。
マニュアル操作という名の、時代の逆行は、今まさに静かに、しかし確実に加速し始めていた。
「……あー、やっぱり油の匂いは、どこの世界でも最高じゃな。……よし、徹夜だ。フェイ、茶の代わりにお菓子を持ってこい。……糖分が足りんわい」
伝説のエースは、幼い唇に不敵な笑みを浮かべ、再びスパナを握り締めた。
(つづく)
第三話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、物語の根幹となる「シンクロ率0%」のロジックについて詳しく描写させていただきました。
この世界では「精霊に操作をお任せすること(オートマ)」が強さですが、元プロのエースであるエドワードにとっては、それは「自分の意志で操縦していない」という屈辱でしかありません。
あえて精霊を拒絶し、物理的なパワーソース(ガソリン)としてのみ扱う……という、この世界の理を真っ向から否定するスタイルこそが、彼の真骨頂です。
描写をさらに厚くし、エドワードの「頑固親父」な一面と、それを受け入れる相棒フェイの信頼関係を深掘りしました。
「0%判定、きたー!」「精霊をボイラー扱いするのは草」
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第四話では、幼少期の秘密の「実戦テスト」編へ突入します。
引き続き、よろしくお願いいたします!




