第二十七話:老兵の再会、あるいは最悪の再会
王都、中央工廠の地下深く。
そこは、華やかな叙勲式の喧騒が届かない、鉄と冷気と沈黙が支配する墓標のような場所だった。
天井から吊り下げられた水銀灯が、超高高度試作機『シュトラール零型』の異形な姿を、不気味な白さに照らし出している。
俺――セリナ・フォン・アルスタインは、その機体の前に立ち、アイゼン元中将の放つ「狂気」を肌で感じていた。
「この機体が死を呼ぶ、だと? セリナ、それは心外だな」
アイゼンは冷徹な笑みを浮かべ、機体の主翼を愛おしそうに撫でる。
だが、その指先が触れているのは、極限まで軽量化され、もはや「皮」と呼ぶべき薄さになった外装板だ。
「空を飛ぶということは、重力という呪いから解放されることだ。ならば、その身を削り、魂を軽くするのは必然ではないか。高度一万フィートの先、精霊の歌声すら届かぬ『真空』へ至るには、余計な慈悲など邪魔なだけだ。パイロットもまた、機体を構成する一パーツに過ぎん」
アイゼンの思想は、かつて俺がいた世界の「特攻兵器」に近い。目的を達成するためだけに、生存性というマージンをすべて出力へと回す。それは設計者としての敗北であり、技術の冒涜だ。
「……。アイゼン。お主。勘違いを。しておる。機体は。生きて。帰すために。ある。…お主の。設計は。ただの。鉄の。棺桶じゃ」
俺が静かに、しかし断固として否定したその時だった。
格納庫の強固な防壁が、外部からの凄まじい衝撃によって震えた。
ゴォォォォォン!!
それは爆発のような鋭い音ではなく、巨大な質量が物理的な法則をもって、鉄の門をねじ伏せた音だった。
ひび割れた壁から土煙が舞い上がり、ねじ曲がった扉の隙間から、一台の機体が強引に滑り込んできた。
実験機零号。そのコクピットから飛び出してきたのは、煤と油にまみれ、鬼のような形相で怒号を上げる大男だった。
「アイゼンの糞ジジイ!! てめえ、まだそんなゴミを作ってやがったのか!!」
ガッツだ。
王都までの数日間の距離を、文字通り不眠不休で駆け抜けてきたのだろう。その衣服はボロボロになり、手には使い古された巨大なスパナが握られていた。背後からは、ガッツを追ってきたフェイが、息を切らしながら肩を震わせている。
「ガッツか。相変わらず、扉の開け方すら知らん野蛮な男だ。お前が軍を去ってから、この格納庫も随分と静かだったが……その荒々しさだけは衰えていないようだな」
アイゼンは眉一つ動かさず、眼鏡の奥で冷たい瞳を光らせる。
「静かだっただと? 笑わせるな! あんたが犯した『罪』のせいで、俺たちの時間はあの時から止まったままだ。……嬢ちゃんにまで、あいつと同じ地獄を見せる気か!!」
ガッツの咆哮が、地下室の反響音となって俺の鼓膜を震わせる。
二人の間に横たわる、取り返しのつかない断絶。それは、数十年前に行われた極秘計画『プロジェクト・イカロス』に端を発していた。
当時、軍の最高技術責任者だったアイゼンと、その下で機体を組み上げていた主任整備士のガッツ。二人はかつて、物理駆動による成層圏突破という夢を共に追う相棒だった。
だが、アイゼンは成果を焦った。
安全性を度外視し、物理式過給機の出力を限界まで引き上げた試作機。ガッツが「まだ無理だ」と止めるのを無視し、強行された飛行実験。
その結果、テストパイロットを務めたガッツの親友は、高度八千フィートで機体の「熱暴走」に巻き込まれ、空中分解した。爆発するでもなく、ただ熱によって砕け散り、空に消えたのだ。
「あれは必要な犠牲だった。未知の領域を開拓する者に、犠牲は付き物だ。彼もまた、真理の片鱗を見て満足して死んだはずだ」
「ふざけるな……!! あいつが最後に叫んだのは、真理なんて言葉じゃねえ! 『熱い』って……『怖い』って、そう叫んでたんだよ!!」
ガッツが振り上げた拳。アイゼンはそれを避けようともせず、冷徹な視線で射抜く。
憎悪と執着、そして後悔。老兵二人のぶつかり合う感情が、地下室の温度を物理的に跳ね上げているようだった。
「……。やかましい」
俺の声は、決して大きくはなかった。
だが、その一言には、かつて数万の兵士を統率し、死地へと送り出してきた伝説の指揮官としての「覇気」が宿っていた。
ピシリ、と空気が凍りついた。
魔法の加護でも、物理的な力でもない。ただの少女の姿をした「魂の重み」に、ガッツとアイゼン、そして周囲を取り囲もうとしていた衛兵たちが、反射的に動きを止めた。
「……。二人とも。座れ。今。この場で。説教じゃ」
セリナ(俺)の一歩。それは、おじいちゃんが新兵を叩き直す時の、あの容赦ない「教官」の足取りだった。
百戦錬磨の老兵二人が、信じられないものを見るような目で俺を見つめ、数秒後、吸い寄せられるようにその場に正座した。フェイに至っては、その威圧感に腰を抜かして座り込んでいる。
「ガッツ。感情で。工具を。振るな。それでは。ただの。暴力じゃ。……。アイゼン。数字を。信仰して。人を。殺すな。それは。ただの。独りよがりじゃ」
俺は近くの瓦礫から、折れた石灰岩の破片――チョーク代わりになるものを拾い上げると、格納庫の冷たい床に迷いなく線を走らせ始めた。
「アイゼンの。過給圧。上昇。理論は。正しい。だが。吸気温度。……。上昇による。デトネーション。それを。無視すれば。ただの。爆弾じゃ」
床に描かれたのは、アイゼンの設計思想を活かしつつ、致命的な欠陥を補完する「インタークーラー(中間冷却器)」の再設計図だ。
「熱を。逃がせ。ガッツ。お主が。言った。熱い。という。叫び。それを。この。物理式。熱交換器で。冷却。するのじゃ。吸気の。密度を。上げ。爆発を。安定。させる」
俺の手が止まらない。前世で数多の機体を改修し、部下を一人でも多く生還させるために培った知恵が、床の上に命となって吹き込まれていく。
「……。おー。これならば。高度。一万。……。その。先でも。エンジンは。歌う。……。……。パイロットも。笑って。帰れるわい」
アイゼンは床の図面を食い入るように見つめ、その緻密な計算と、魔法を一切使わない物理的解決策に戦慄していた。
ガッツは、自分がかつて「不可能だ」と諦めた親友への供養が、今この幼い少女の手によって形作られていくのを見て、その無骨な手を震わせていた。
「……。若造ども。喧嘩は。終わりじゃ。……。この。鉄屑を。本物の。翼に。変えるぞ。……。わらわの。……。……。指揮に。従え」
俺は不敵に笑い、二人の老兵を交互に見据えた。
狂気の天才設計者と、現場を知り尽くした鬼。その二つの才能を「エース」という絶対的な頂点が束ねる。
かつてない、鉄と油の狂騒曲が始まろうとしていた。
(つづく)
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次回、「第二十八話:空の境界、あるいは成層圏への挑戦」です。




