第二十六話:鋼鉄の共犯者、あるいは試作機の咆哮
王立機導学園、Fクラス専用ガレージ。
主であるセリナが王都へと発って数日が経過していたが、そこには以前のような「落ちこぼれの溜まり場」という空気は微塵もなかった。イザベラが残していった鉄の規律は、彼女が不在となった今でもFクラスの面々の身体に深く刻み込まれている。
整然と並べられた工具、磨き上げられた床、そして各々の持ち場で真剣に作業に没頭する生徒たち。その中で、フェイはセリナから届いた一通の手紙を手に、彫像のように硬直していた。
「……嘘でしょ。師匠、これって……」
フェイの呟きに、近くで新型の減速ギアを削っていたニコラが顔を上げた。
「どうしたんだい、フェイ。セリナ様から何か特別な指示でも? 叙勲式の様子とか、王都の美味しいお茶の話とかかな」
「そんな呑気なものじゃないわよ! これを見て……この単語の羅列を!」
フェイが震える手で差し出した手紙を、ニコラ、そして計算用紙の山から顔を出したエレーナが覗き込む。
そこには、一見すると支離滅裂な機体整備の記録に偽装された、セリナ独自の暗号が記されていた。
> 『過給機』の概念図を確認せよ。
> 密閉環境下における強制吸気、および圧縮比の計算。
> 高度一万フィート以上の酸素分圧と物理駆動の相関。
> 目的地は『成層圏』。
> 空軍の亡霊を探せ。
「か、かきゅうき……? ストラト……何だって? 魔法学の専門用語には、こんな言葉は存在しないわよ」
エレーナが眼鏡を押し上げながら困惑の声を上げる。彼女の膨大な知識量を持ってしても、セリナが綴った単語の多くは未知の言語に等しかった。
だが、フェイにとってそれらは、魂を震わせるほどの衝撃を伴う「共通言語」だった。
「ニコラ、エレーナ……これは『魔法を完全に否定した空』の話よ。魔法の力が届かない高度、精霊たちが窒息するほどの高みへ、純粋な鉄と熱の力だけで辿り着こうとする狂気の理論……」
フェイの脳裏に、前世で目にした「空」の断片が過る。空気を圧縮し、爆発させ、推力を得る。魔法という奇跡に頼らず、理だけで空を征服しようとした先人たちの執念。
「師匠は王都で、とんでもない怪物を見つけたみたい。……ジャン! ジャンはどこ!?」
フェイの叫びに応えるように、ガレージの隅に積み上げられたガラクタの山から、ジャンがひょっこりと顔を出した。
「なんだよ、騒々しいな。こっちは軍の廃棄コードの解析で忙しいんだぜ」
「あんたのゴミ拾いネットワークで探してほしいの! 軍の極秘計画、それも数十年前に『物理駆動の限界』に挑んで頓挫したはずのプロジェクトを! キーワードは『イカロス』、あるいは……」
フェイが言いかけたその時、ガレージの重い扉が開き、一人の大男が足音を荒げて入ってきた。ガッツだ。彼は王都の叙勲式を祝うどころか、その顔にはかつて戦場で死線を見た時以上の焦燥が浮かんでいた。
「……その手紙、見せろ」
ガッツはフェイから手紙をひったくるように奪うと、そこに記された「過給機」という文字に目を止めた。
「間違いねえ。アイゼンの糞ジジイだ。奴、まだ諦めてなかったのか……あの『空の檻』をぶち破るって夢を」
「ガッツさん……アイゼン中将を知っているの?」
「知ってるどころか、俺が軍を叩き出された原因の半分はあの野郎だ。奴は天才だが、人の命を『数値』としか見てねえ。……嬢ちゃんがアイゼンに捕まった。これは叙勲なんてめでたい話じゃねえ、最悪の召喚だぞ」
ガッツは壁に掛けられた特大のスパナを掴み、腰のベルトに差し込んだ。
「ニコラ、ポーンに予備の燃料を積め! フェイ、零号の出撃準備だ! 王都まで全開で行くぞ。嬢ちゃんがアイゼンの狂気に飲み込まれる前に、引きずり戻さなきゃならねえ!」
「「サー・イエス・サー!!」」
Fクラスの面々が、セリナという絶対的な軸を守るため、一丸となって動き出した。魔法に頼らぬ彼らにとって、セリナは唯一の希望であり、家族同然の存在なのだ。
※※※
一方、王都の中央工廠。
華やかな叙勲式の喧騒が遠く聞こえるその地下深く、セリナはウォルフガング・フォン・アイゼンに連れられ、冷たい水銀灯が照らす巨大な格納庫にいた。
そこには、地上に溢れる「精霊の光」は一切存在しない。あるのは冷え切ったコンクリートの壁と、重油の匂い、そして中央に鎮座する異形の機体だった。
「……。おー。美しい。……。だが。……。死を。呼ぶ。……。設計じゃな」
セリナは、その機体――超高高度試作機『シュトラール零型』を見上げ、嘆息を漏らした。
その機体は、この世界の主流である「流線型の美しい魔法騎士」とは一線を画していた。剥き出しのボルト、巨大な空冷フィンを備えた星型エンジン、そして機体の半分以上を占める巨大な過給機ユニット。それは空を飛ぶための機械というより、高度という名の壁を物理的に穿つための「杭」のようだった。
「死を呼ぶ、か。……エースのお前にしては、臆病な言葉だな」
アイゼンが、暗がりに響くほど冷徹な声で笑った。彼は機体の主翼に手をかけ、愛しそうにその冷たい鉄の肌を撫でる。
「この世界の連中は、精霊の加護があればどこまででも高く飛べると信じている。だが、高度一万フィートを境に精霊の密度は急減し、魔力冷却は効かなくなる。そこから先は、酸素を奪い合い、熱に耐える『地獄』だ。……そこへ辿り着くには、魔法という名の虚飾を脱ぎ捨て、鉄と理に身を委ねるしかない」
セリナは機体のコクピット周りを鋭い視線で分析する。
吸気マニホールドの形状、燃料噴射装置の配置、そして過給機の圧縮比。アイゼンの計算は完璧だ。だが、それはあくまで「数値上」の完璧さだった。
「……。アイゼン。お主。……。……。この。……。吸気圧。……。……。人間が。……。……。耐えられると。……。本気で。……。思うておるのか」
セリナは脳内で、現在の機体構造における最大圧力を算出した。
$$P_2 = P_1 \times (r)^\gamma$$
(※$P_1$は外気圧、$r$は圧縮比、$\gamma$は比熱比である。これによって過給後の圧力を求める)
「……。この。……。圧縮。……。……。高度一万二千で。……。……。エンジンは。……。……。火を噴く。……。……。パイロットは。……。……。酸欠で。……。……。ただの。……。肉塊になる」
「だからこそ、お前を呼んだのだ。……。魔法という名の奇跡に頼らず、肉体の限界を自覚し、機体の鼓動を指先で感じ取れる唯一のエースをな。お前なら、この機体の『叫び』を聞き分け、調整しながら成層圏の扉を開ける」
アイゼンは、セリナの前に立ち、その小さな手を強引に掴んで操縦桿に置かせた。
「お前も知っているはずだ。あの静寂の空、太陽が黒く、星が昼間から輝く絶景を。……。もう一度、見たくはないか?」
セリナは操縦桿の、少し錆びた感触を掌に受けた。
エースとしての本能が、かつて自分が見た「あの空」の残像を呼び起こし、全身に熱い火を灯そうとする。だが、それ以上に彼女の「教官」としての冷静さが、この機体の致命的な欠陥を叫んでいた。
「……。おー。……。飛ぶ。ためだけに。……。命を。……。捨てろと言うか。……。若造。……。お主の。……。……。図面は。……。愛が。……。足りぬわい」
セリナの言葉に、アイゼンは意外そうに目を丸くした。
狂気の天才設計者と、死から帰還した伝説のエース。
冷たい地下格納庫で、二人の「空を知る者」の視線が、火花を散らすように交錯した。
(つづく)
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次回、「第二十七話:老兵の再会、あるいは最悪の再会」です。




