第二十三話:王都の招待状、あるいは檻の中の聖女
煤と油にまみれた猛訓練を終え、イザベラが用意した滋養に満ちた夕食を囲んでいたガレージに、その「不吉な光」は持ち込まれた。
学園の喧騒から離れたこの場所では、ランプの灯りが工具の表面を鈍く照らし、時折、実験機零号の金属が冷却に伴って「コン……」と高く鳴る。そんな静寂の中、背筋を鋼のように伸ばしたイザベラが、一通の封書を俺の前に差し出した。
その封蝋は、いつもの伯爵家の紅いものではない。鈍い輝きを放つ銀。王立機導軍・最高司令部の紋章――天を衝く剣と精霊の翼が刻まれた、重々しいまでの「軍命」の証だった。
「お嬢様。王都の本邸を通じて、軍部より正式な招待状が届きました。先の鉱山における汚染事象の解決。その功績を称え、国王陛下直々の叙勲式を執り行うとのことです」
イザベラの声はどこまでも平坦だったが、その眼鏡の奥の瞳には、かつて戦場を渡り歩いた者特有の、鋭い警戒の色が宿っていた。
「……。叙勲。叙勲か。おー。戦功。それほどまでに。我が。……。……。……。……。いや。わらわの。活躍が。響いたか」
俺――セリナ・フォン・アルスタインは、熱いお茶を一口啜り、封書を指先でなぞった。
叙勲と言えば聞こえはいい。だが、軍という組織の性根は、前世から変わっていないはずだ。人並外れた戦力、あるいは未知の技術。それを見つけ出した時、奴らが考えるのは「称賛」ではなく「独占」と「解析」である。十二歳の聖女という偶像を、軍の広告塔として、あるいは実験動物として檻に入れたいのだろう。
「……。恩賞は。最新の。鋼材。……。……。もしくは。……。重油一万リットル。……。それがよいな。……。……。叙勲など。……。……。肩が。凝るわい」
「師匠、冗談言ってる場合じゃないわよ! 王都の軍部なんて、タヌキとキツネの化かし合いだってパパが言ってたわ。今の師匠が行ったら、そのまま機体ごと徴用されちゃうわ!」
フェイが身を乗り出して叫ぶ。隣では、ニコラが「軍の最新設備が見られるかも……」と目を輝かせつつも、イザベラの威圧感に縮こまり、エレーナは既に王都の勢力図を脳内で再構成し、眉を潜めていた。
「エレーナ様の危惧は正解です」と、イザベラが静かに頷く。「この招待状の裏には、軍の強硬派の影があります。彼らは精霊至上主義の限界を悟りつつも、それを認めたくない。だからこそ、物理という異端を『聖女の奇跡』という皮肉で塗り固め、自分たちの傘下に収めようとしているのです」
「……。中枢の。若造ども。……。……。考えることは。……。……。いつの時代も。……。……。同じじゃな」
俺は冷めたお茶を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
向こうが檻を用意しているというのなら、その檻ごと食い破ってやるまでだ。
***
数日後、学園の正門には、王都の煌びやかさを体現したかのような一団が到着していた。
純白の礼装を纏った近衛騎兵たちが、精霊の加護をこれでもかと受けた黄金の馬車を囲んでいる。その中心に立つのは、若きエリート将校、カイル・フォン・ベルシュタイン大尉だった。
「やあ、失礼。ここが例の『吹き溜まり』……失礼、Fクラスのガレージかな?」
カイルは大袈裟に鼻を押さえながら、ガレージの中へと足を踏み入れた。彼の瞳には、この場所に漂う油の匂いや、必死に汗を流す生徒たちへの蔑みが隠しようもなく溢れている。
「私は国王陛下の名代として、聖女セリナ様をお迎えに上がった。……。それにしても、酷い有様だ。救国の英雄が、このような不衛生な鉄屑の巣窟に身を置いているとは、学園側の管理を疑わざるを得ないな」
カイルは、傍らにあったボリスの作業用ポーンを、汚い物でも見るかのように指先で小突いた。
「不浄な物理駆動、そして魔力を持たぬ者たちの汗。……。陛下が聖女様を王都へ招かれるのは、一刻も早く、このような泥沼から救い出すためでもあるのですよ」
その言葉が発せられた瞬間、ガレージの空気が物理的に重くなった。
作業をしていたFクラスの面々が動きを止め、カイルを射抜くような視線を向ける。だが、カイルはそれに気づかない。いや、自分たちを見上げる「アリ」の視線など、気にする必要もないと考えていたのだろう。
「……。若造」
低く、地を這うような声。
木箱の上でお茶を啜っていたセリナ(俺)が、ゆっくりと顔を上げた。
「その。口を。閉じよ。機体が。汚れる」
刹那、ガレージ内に「殺気」が爆発した。
それは魔力の強大さではない。数万の命を奪い、自らも死の縁を何度も踏み越えてきた、伝説のエースパイロットだけが持つ、剥き出しの闘争本能だ。
十二歳の可憐な少女の瞳の中に、白銀の鬼が宿る。
「……。ひっ……!?」
カイルの喉が、引き攣った音を立てた。
彼は無意識に数歩後退し、腰の儀礼剣に手をかけようとしたが、指が震えて抜くことができない。目の前の少女が、巨大な捕食者のように、今にも自分を食い殺そうとしている。そんな本能的な恐怖に、彼の精霊至上主義のプライドは一瞬で瓦解した。
「わらわの。部下たちを。……。……。豚と。呼ぶか。……。……。お主。……。……。空を。飛んだことは。……。……。あるか」
「あ、あ……あ、当たり前だ! 私は騎士団でも……!」
「……。嘘を。つく。……。お主の。目は。精霊の。加護しか。見ておらぬ。……。……。風の。重さ。……。……。重力の。意志。……。……。何も。知らぬ。若造が。……。……。……。……。威張るな」
セリナ(俺)が最後の一歩を踏み出した時、カイルは大口を開けたまま、尻餅をつくようにしてガレージの入り口まで後退した。
背後にいた軍の護衛兵たちも、動けない。彼らもまた、戦場を知る者であるが故に、セリナから放たれる圧倒的な「実力」の差に、身体が硬直していた。
***
沈黙の中、Fクラスの「プロフェッショナル」たちが静かに動き出した。
軍の兵士たちが連れてきた随行の機導兵たちが、ガレージの整備状況を見て、小声で囁き合う。
「おい、見ろ……あのポーンの関節部、魔法補助なしでここまでの精度を出しているのか?」
「馬鹿な……この工具の配置、そして各パーツの磨き方。……。我々の軍中央工房よりも、遥かに規律が高いぞ……」
その言葉を耳にしたニコラが、不敵に笑ってカイルの随行機を指差した。
「大尉殿。そちらの最新鋭機、右膝のサーボモーターが三ミリほど軸ズレを起こしていますよ。王都からここまでの行軍、魔法で無理に姿勢を維持していたんでしょう? 帰り道、いきなり膝が砕けても知りませんよ」
「な、なんだと……!? 貴様のような落ちこぼれが……!」
だが、カイルの背後で機体を点検した軍の整備士が、真っ青な顔で報告した。
「……報告します! ニコラ殿の指摘通り、右膝の油圧系に異常を確認。……。なぜ、見ただけで……」
エレーナが、手に持っていた名簿をパタンと閉じる。
「軍の強硬派、ベルシュタイン家の三男坊。……。今回の特使就任は、聖女を抱き込むための『手土産』としての抜擢ね。……。でも、人選をミスったようね、王都のタヌキたちは」
ジャンに至っては、特使の馬車の車輪を値踏みするように眺め、「あの軸受け、いい合金使ってるな……。後でこっそり型番を控えさせてもらうぜ」と、獲物を狙う目つきを隠さない。
見下していたはずのFクラスの面々が、自分たちを遥かに凌駕する専門知識と、揺るぎない誇りを持っている。
カイルは顔を真っ赤にしながらも、もはや反論する言葉を持たなかった。
***
出発前夜。
誰もいなくなったガレージで、俺は零号の漆黒の装甲を撫でていた。
背後から、イザベラの規則正しい靴音が近づく。
「お嬢様。準備は整いました。明日からの王都行き、伯爵家と軍部の政治的意図が複雑に絡み合う『泥沼』となるでしょう。……。ですが、ご安心を。このイザベラ、お嬢様の盾となることを誓います」
「……。盾か。……。……。おー。心強い。……。……。では。背中は。任せたぞ。……。イザベラ」
俺がそう言って、かつての部下にするような信頼を込めて彼女を見上げると、イザベラは一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、今までで一番深く、美しい礼をした。
「承知いたしました。……。エースの背中を預かるのは、軍人にとって至高の栄誉ですから」
彼女は、俺が「何者」であるかを察しているのかもしれない。だが、それを口に出さないのが、彼女の美学なのだろう。
翌朝。
豪華な馬車に揺られ、俺は学園を後にした。
校門には、泥まみれのジャージ姿で整列したFクラスの三十名がいた。彼らは、俺が残していった「留守の間の地獄の宿題(物理計算一千問とスクワット三千回)」という無茶苦茶なメニューを手に、それでも誇らしげに俺を見送っていた。
「師匠、早く帰ってきてよね! その時までに、零号をもっと速くしてやるんだから!」
フェイの叫び声が、遠ざかる馬車の窓越しに聞こえる。
窓の外。平原の彼方に、王都の象徴である巨大な精霊塔が見えてきた。
魔法の国の心臓部。そこには、俺の前世の死に関わる何か、あるいはこの世界の歪みの正体が眠っているはずだ。
「……。さて。老兵の。お出まし。……。じゃわい」
十二歳の少女は、窓に映る自分の顔を見つめ、不敵に笑った。
王都という名の、新たなる戦場。そこを煤と油で塗り潰すために、伝説のエースは進軍を開始した。
(つづく)
第二十三話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、学園の日常から一変、王都からの招待という名の「政治的包囲網」がセリナを襲う展開を描かせていただきました。
エリート将校カイルを「殺気」だけで圧倒するセリナ。そして、見下されていたFクラスの面々が、軍のプロたちすら驚愕させる「専門技術」を見せつけるシーン。これこそが、セリナという絶対的軸を中心に集まった彼らの、真の成長の証です。
イザベラという頼もしい共犯者を連れ、舞台は王国の心臓部・王都へと移ります。そこには、セリナの「聖女」としての名声を政治に利用しようとする者たちや、精霊技術の限界を隠蔽しようとする闇が渦巻いています。
次回、第二十四話。
「王都の晩餐、あるいは牙を剥くエース」
きらびやかな社交界の裏で繰り広げられる、おじいちゃんセリナの無双交渉劇が始まります。
引き続き、鉄と油、そして誇りの物語をお楽しみください。




