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シンクロ率0%の没落令嬢、中身は伝説のエース(65歳) 〜「最近のロボットは軟弱じゃのう」とお茶を啜りながらマニュアル操作で無双する〜  作者: ぱすた屋さん
鉄と油の聖女:成層圏(ストラトスフィア)への飛翔

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第二十一話:鉄の侍女、あるいは戦場の規律


 アルスタイン伯爵邸の豪奢なエントランスに、場違いな湿った泥の匂いが漂った。

 夕闇が迫る中、そこには数時間前まで「王国の至宝」と謳われるべき可憐な姿であったはずの少女、セリナ・フォン・アルスタインが立っていた。しかし、その桃色のドレスは裾から胸元にかけて無惨な泥と黒いオイルに塗れ、銀色の髪には鉄屑が星のように散らばっている。


「セ、セリナ……! おお、我が愛しき娘よ……その姿は一体……!」


 出迎えた伯爵は、娘の姿を見た瞬間に顔面を蒼白にし、震える指先で空を掻いた。背後に控える家令たちは、あまりの惨状に目を逸らし、あるいは祈るように胸の前で手を組んでいる。


「……。おー。父上。ただいま。……。少し。ゴミ拾いを。しただけじゃ」


 俺――セリナ(中身はエドワード・グレイ)は、重いドレスを脱ぎ捨てたい衝動を抑えつつ、平然と答えた。だが、伯爵にとってその「ゴミ拾い」という言葉は、愛娘が正気を失ったと同義に聞こえたらしい。彼はその場に膝をつき、絞り出すような声で宣言した。



「もはや……私だけでは、君という『聖女』を正しき道へ導くことはできん……。呼ぶしかない。王都の本邸から、あの『鉄の守護者』を!」


「……。鉄。……。……。おー。それは。楽しみじゃわい」


 俺が思い浮かべたのは、新型の物理エンジンに使用する強化合金のことだった。だが、父が呼んだのは、それよりも遥かに「硬く、融通の利かない」存在だったのだ。




 ***




 翌朝。セリナの部屋に、規則正しい、寸分の狂いもない靴音が響き渡った。

 

 コン、コン。

 二回。それは控えめながらも、拒絶を許さない意志の強さを感じさせるノックだった。

 扉が開かれ、入ってきたのは、背筋を一本の鋼鉄の芯が通っているかのように伸ばした、白髪の老婦人だった。純白のフリルがついたエプロンドレスに、一切の皺がない黒のワンピース。その顔には、長年の歳月によって刻まれた深い皺があるが、眼鏡の奥で光る瞳は、獲物を見据える鷹のように鋭い。


「おはようございます、セリナお嬢様。本日から貴女様の教育係を務めます、イザベラと申します」


 彼女が深々と一礼した瞬間、俺の全身の毛穴が逆立った。この女、ただのメイドではない。立ち居振る舞いの端々に、無駄を削ぎ落とした武人の「理」が宿っている。かつて俺が率いた独立機導大隊の、鬼軍曹たちと同じ匂いだ。


「……。おー。お主。……。イザベラ。……。……。元。……。騎士団か?」


 俺の問いに、イザベラはピクリとも表情を変えなかったが、その鋭い視線が俺の足元から指先までを走った。


「……驚きました。まさかお嬢様の方から、私の過去を言い当てられるとは。左様でございます。私はかつて、王立騎士団の寄宿舎にて、若造共の根性を叩き直す任に就いておりました」


 イザベラは一歩踏み出し、俺の目の前でぴたりと止まった。その距離、わずか三十センチ。威圧感という名の重圧が、部屋の空気を物理的に押し広げる。


「お嬢様。その足運び。そして今、私の接近に対して無意識に重心を落としたその所作。……。戦場を知る者のそれですね。伯爵様からは『お転婆』と伺っておりましたが、どうやら事態はもっと深刻なようです」


「……。ほう。……。お主。できるな。……。……。……」


 俺は口角を上げ、手近なお茶を啜ろうとした。だが、その手は空中で制された。


「お茶を啜る前に、まずはその姿勢から直しましょう。……。背筋に鉄骨を入れられたおつもりで」





 そこから、地獄の「淑女教育」という名の戦闘が始まった。

 頭の上に分厚い精霊工学の書物を三冊載せ、部屋の端から端まで歩く。イザベラが求めるのは「優雅さ」だが、俺が身体に刻み込んでいるのは「効率」だ。

 俺は体幹を一切揺らさず、最小限の筋肉の収縮で移動を開始した。それは淑女の歩みというより、全地形対応の自走砲架が滑るような、不気味なまでの安定感だった。


「完璧です。……。完璧ですが、お嬢様! それは淑女の歩法ではなく、暗殺者の接敵動作です! なぜ貴女様は、これほどまでに出撃前の機体のような『遊び』のない動きをされるのですか!」


「……。無駄な。動きは。死に。繋がる。……。……」


「ここは戦場ではありません! 社交界という名の、別の意味での戦場なのです!」




 ***




 数日間の格闘の末、俺はイザベラの追撃を振り切り、学園のガレージへと逃げ込んだ。

 ドレスの裾を翻し、重い扉を閉める。そこには、俺の帰還を待っていたFクラスの面々がいた。


「師匠! 助けて! 門のところに、すっごい怖い顔をしたお婆ちゃんが立ってるわよ! あれ、絶対ただのメイドじゃないわ!」


 フェイが半泣きで俺に縋り付いてきた。ジャンは既にゴミの山の奥深くに潜り込み、ニコラやルミエは「規律」という言葉を物理的に形にしたようなオーラを感じ取ったのか、作業台の前で直立不動になっている。


「……。おー。……。……。来たか。……。……」


 背後の扉が、静かに、しかし力強く開かれた。

 イザベラが、泥と油の匂いが満ちるガレージに足を踏み入れる。彼女は煤けた空気の中でも、その潔癖なまでの美しさを損なうことなく、冷徹な視線で工房を見渡した。


「ここが、お嬢様の『城』ですか。……。見苦しい。道具の整理整頓がなっていません。配置の動線に三%の無駄があります。ニコラ様、そのレンチの置き方では、次に手に取るまでにコンマ五秒の遅延が発生します。ルミエ様、フラスコの並べ方が不規則です。元素番号順に並べなさい」


「ひ、ひいっ! はいっ!」


 ニコラとルミエが、弾かれたように動き出した。ジャックやミリーに至っては、イザベラの鋭い一喝に「サー、イエス・サー!」と叫び、反射的に床の雑巾がけを始めている。

 フェイだけが、顔を真っ赤にして食ってかかった。


「な、なによあんた! ここは私たちが命懸けで守ってる聖域なのよ! 外のルールを持ち込まないで!」


「命懸け、ですか。……。その割には、このボルトの締め方は甘い……」


 イザベラは、実験機零号の脚部に歩み寄ると、素手で関節部のナットを触った。


「……。おー。……。……。気づいたか。……。……」


 俺がニヤリと笑うと、イザベラは初めて、その峻厳な顔に驚愕の色を浮かべた。


「……。驚きました。この締め付け、魔法による補助ではなく、純粋な物理的なトルク管理だけで……。それも、素材の疲労限界を完璧に見極めた上での調整。……。お嬢様。これほどの『鉄』を飼い慣らすには、まず身の回りの規律から整えねばなりません」


 イザベラは、零号の漆黒の装甲に映る自分の姿を見つめ、静かに俺に向き直った。


「今日から、このガレージの管理および規律維持は、この私、イザベラが引き受けます。……。お嬢様を立派な淑女に育て上げるため、まずはこの不衛生な環境を『軍制式』に改善いたします」


「……。おー。……。賑やかに。なったわい。……。……」


 俺は、フェイが淹れてくれた最高に渋いお茶を一口啜り、目を細めた。

 淑女教育の刺客として送り込まれたはずの老メイドが、いつの間にかFクラスの「鬼軍曹」として君臨し始めた。


 カチ、カチ、カチ……。


 イザベラの完璧なリズムで刻まれる指示の声と、それに必死に応える若造たちの音。

 鉄と油の匂いに、石鹸の清潔な香りが少しだけ混じり、ガレージは新たなる「戦場」へと変貌を遂げようとしていた。


(つづく)


 第二十一話をお読みいただき、ありがとうございます。


 今回は、セリナ(おじいちゃん)の前に立ちはだかる「淑女教育」という名の最強の敵、イザベラの登場を描かせていただきました。老練な二人が互いの「実力」を認め合うような、静かな火花の散らし合いを表現しています。


 イザベラという「プロの規律」が加わったことで、Fクラスの面々はさらなる成長を余儀なくされます。掃除一つ、道具の置き方一つに至るまで、戦場での生死を分ける「細部へのこだわり」を叩き込まれていく彼ら。コメディタッチではありますが、これもまた「鉄と油」を扱う者たちにとって欠かせない教育の一環です。


 淑女としての美しさと、兵士としての効率。相容れないはずの二つの要素が、セリナという特異な存在を中心に融合し、物語はさらに奥深い日常へと進んでいきます。


 次回、第二十二話。

 「地獄のブートキャンプ、あるいは勘違いの聖域」

 セリナとイザベラの共同戦線による、Fクラス三十名の本格的な「再教育」が始まります。

 引き続き、鉄と油、そして規律の物語をお楽しみください。


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