第十八話:プロフェッショナルの矜持
鉱山の最深部、『沈黙の回廊』と呼ばれるその巨大な空洞は、もはやこの世の理から切り離された異界と化していた。
かつては天井から滴る雫が精霊の光を反射し、王国で最も美しいと言われた水晶の回廊。しかし今、そこにあるのは光を飲み込む「虚無」だけだ。魔力を食らい尽くす「汚染事象」は極限に達し、空気は鉛のように重く、吸い込むだけで肺の奥が凍りつくような錯覚を覚える。
その空洞の中央。脈動する巨大な繭のような結晶塊から、それは音もなく「這い出して」きた。
汚染された精霊が物理的な機導石を強引に取り込み、実体化させた異形――『汚染核心体』。全長は十五メートルを超え、全身を覆う機導石の鱗は、周囲の僅かな魔力を吸収してドス黒い紫色の光を放っている。それは精霊の美しさとは無縁の、純粋な「飢え」を形にしたような暴力の化身だった。
「……。おー。思っていたより。図体が。大きいわい。……。掃除の。しがいが。あるな」
実験機零号のコクピット。俺――セリナ・フォン・アルスタインは、真鍮製の計器が狂ったように振れるのを見ながら、操縦桿のグリップを握り直した。
この空間の魔力汚染濃度は、地表の比ではない。救出したAクラスの生徒たちは、鉱山の入り口付近に停泊させたフェイのキャリアーへと収容したが、彼らの最新鋭機『シルフィード六型』は完全に石化し、再起動の兆しすらない。魔力という「神の恩恵」に頼り切った文明の、それが限界だった。彼らは今、自分たちが見下していた「物理駆動の鉄屑」が、化け物と対峙する背中を、震えながら見守るしかなかった。
「キギィィィィィィィィィィッ!!」
ベヒーモスが咆哮を上げる。だが、それは声ではない。大気を物理的に震わせる圧力だ。その余波だけで、天井の鍾乳石が槍のように降り注ぎ、地面が波打つように揺れた。
魔法障壁を持たない零号にとって、その振動の全てが機体へのダメージとなる。各部のボルトが悲鳴を上げ、モニター代わりに使っているアナログの潜望鏡が激しく揺れる。だが、俺の背後には、もはや「落ちこぼれ」というレッテルを脱ぎ捨てた、誇り高きプロたちがいた。
「師匠、聞こえる!? ニコラの鋼線通信を繋げたわよ。魔法通信が死んでるこの場所じゃ、これが唯一の命綱ね!」
耳元のレシーバーから、フェイの力強い声が響く。それは魔力による感応通信ではなく、細い銅線と振動板を用いた「物理的な糸電話」の発展型だ。ニコラが不眠不休で作り上げた、この汚染下で唯一機能する通信網。ノイズまじりのその声が、今はどんな精霊の歌声よりも頼もしかった。
「セリナ様、エレーナです。ベヒーモスの左肩、三枚目の鱗の継ぎ目に亀裂を発見しましたわ。そこが結晶装甲の厚みのムラになっています。三秒後に右前脚を踏み出した瞬間、そこが露出します。……。そこが、物理的な急所です!」
エレーナが、キャリアーの屋根に設置された超望遠のアナログ潜望鏡を覗き込みながら、沈着冷静に指示を飛ばす。彼女は魔力探知を一切使わず、純粋な視力と、大気の流れ、怪物の筋肉(結晶)の収縮具合だけで次の動きを予測していた。前世の戦場でも、これほど優秀な偵察員は稀だった。
「……。よし。エレーナさん。助かる。……。ニコラ。爆薬の。準備は。ええな?」
「準備万端です、セリナ様! ガッツさんから譲り受けた旧式の時限雷管、零号の右脚のハッチに仕込んであります。魔法の影響を受けないよう、物理的な衝撃で起爆する特殊なスプリング式に調整しました。一ミリのズレもありませんよ!」
ニコラのみずみずしい声が響く。時計職人の息子である彼の指先は、今や王国で最も精密な爆破シークエンスを刻む「戦場の技師」へと変貌していた。
「ドガァァァァァァァンッ!!」
突然、天井の一部が巨大な音を立てて崩落し、零号の退路を塞ごうとした。ベヒーモスの質量が、空間そのものを破壊し始めたのだ。逃げ場を失えば、零号の機動力は死ぬ。
「させねえよ……! ここは俺の持ち場だ!」
土煙の中から、ボリスが操るパワー特化型の作業用ポーンが飛び出した。彼は重機のごとき太い腕を、崩落し始めた岩盤に力任せに叩き込み、文字通り「己の肉体」で数トンの天井を支え止めた。魔力強化抜きの、純粋な油圧と鋼鉄の力。ボリスの背中を支えるフレームが軋み、ポーンの脚部が大地に数センチ沈み込む。
「ボリス! 無理しないで! 今、追加の補強材を送るわ!」
ルミエの声が響く。彼女はキャリアーの荷台で、劇薬を混ぜ合わせるような手際で、真っ赤な燃料瓶を零号の給油ポートへと接続していた。
「セリナ様、最新の『ニトロ重油』を流し込みました。シリンダーが溶けるまでの一分間だけ、零号は神の翼をも超えます。……。燃え尽きる前に、あの化け物を解体してください!」
仲間たちの声が、鋼鉄の糸を通じて俺の心臓を叩く。
一人ではただの老兵。機体はただの鉄屑だ。だが、この「魔法に頼らないプロフェッショナル」たちが揃えば、ここは絶望の戦場ではなく、精密な「構造物解体現場」へと変わる。
「……。おー。役者は。揃ったな。……。若造ども。プロの仕事を。目に。焼き付けておけ」
俺は物理点火スイッチを全力で叩き込んだ。
ルミエが調合した特殊燃料が、機体の深淵で眠る『大罪の心臓』に流れ込み、零号の背面排気ポートから、白銀の閃光を伴う爆発的な煤煙が噴き出した。
ドォォォォォォォォンッ!!
零号が、重力と慣性を置き去りにして加速した。
ベヒーモスが反応するよりも速く、俺はエレーナが指定した「座標」へと機体を滑り込ませる。視界が加速のGで歪み、鼻の奥で鉄の味がする。だが、長年の戦闘で鍛え上げた『抗G呼吸法』が、俺の意識を鉄の杭のように繋ぎ止めていた。
「……。二。一。……。今じゃな」
俺は右拳を、ベヒーモスの鱗の隙間へと正確に突き立てた。同時にニコラが仕掛けた物理爆弾が、衝撃を受けて炸裂する。
カッ、と。
魔法の光ではない、火薬による鮮やかなオレンジ色の爆炎が、永遠の闇に閉ざされた坑道を照らし出した。
ベヒーモスの強固な結晶装甲が、物理的な応力集中によって粉々に砕け散り、その奥に眠る汚染の核心――巨大な機導石が露わになる。
「キギィィィィィッ!?」
怪物が苦悶に悶え、巨大な結晶の尾を鞭のように振り回す。
直撃すれば、軽量化された零号など一撃で圧壊する破壊の奔流。だが、俺はその軌道さえも、フェイが事前に戦場に撒いておいた「マーカー(物理的な反射鏡)」に潜望鏡の光を当てることで、角度を正確に読み取っていた。
「師匠、右脚の油圧低下! キャリアーの予備タンクからバイパスを繋ぐわ、そのまま三秒停止して!」
フェイがキャリアーを急発進させ、零号の脚部へ文字通り体当たりするように接近した。走行しながらの強制給油と油圧ラインの直結。整備士としての彼女の「狂気」が、戦場の限界を塗り替えていく。
「……。おー。相変わらず。無茶を。するわい。……。だが。……。嫌いではないぞ」
油圧が復旧し、零号の全身に新鮮な力が漲る。
俺は操縦桿を限界まで倒し、機体の全質量を、右腕のパイルバンカーへと集中させた。
背中を支えるボリスの咆哮。ニコラが繋いだ鋼の糸。エレーナが見つけた真実。ルミエが灯した命の炎。そして、隣で笑うフェイの信頼。
それら全てが、一撃の杭に宿る。
「……。沈め」
――ズドォォォォォォォォンッ!!
物理的な質量と速度、そして技術。それらがついに、世界の常識を、精霊の呪いを貫いた。
魔法を吸い込み、無敵を誇った『汚染核心体』が、祈りなき鉄の重みによって、その核ごと粉砕された。
響き渡る破砕音。
崩れ落ちる巨体。
鉱山に再び、今度は汚染による「沈黙」ではない、勝利の余韻という名の静寂が訪れた。
俺は熱を持ったコクピットの中で、深く、深く息を吐き出した。
手足は震え、全身の毛細血管が悲鳴を上げている。だが、喉の奥に広がる鉄の味と、仲間たちの熱い吐息が、何よりも最高の茶の代わりだった。
(つづく)
第十八話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、セリナ率いるFクラスの面々による、初の本格的な「総力戦」を描かせていただきました。最新鋭機を駆るエリートたちが魔法の恩恵を失い、冷たい鉄の箱の中で無力化される。その絶望的な状況下で、物理、化学、精密工作、そして情報のプロとして目覚めた「落ちこぼれ」たちが、それぞれの持ち場を命がけで守り抜く姿。本作のテーマである「技術による下剋上」を象徴する回となりました。
魔法至上主義のこの世界において、彼らが見せたのは「祈り」ではなく「仕事」です。鋼鉄の糸で声を繋ぎ、泥にまみれて天井を支え、計算に基づいた爆薬で装甲を剥ぐ。そんな泥臭くも確実な勝利こそが、セリナ(エドワード)が伝えたかった「エースの矜持」でもあります。
ベヒーモスを沈めた一行。しかし、勝利の余韻に浸る間もなく、物語は次なる展開へと動き出します。救出されたAクラスの生徒たちは、この「奇跡」を目の当たりにして何を思うのか。そして、この事象の裏で蠢く影とは。
次なる第十九話では、鉱山からの凱旋と、学園を揺るがす模擬戦以上の「衝撃」を描く予定です。
引き続き、鉄と油、そしてプロフェッショナルたちの物語をお楽しみください。




