第十六話:共犯者の契約、あるいは鉄の掟
王立機導学園の最果て、管理からも見捨てられたかのようなFクラスのガレージ。
そこには今、スタジアムの華やかな魔法の残り香など微塵もない、濃厚な「鉄と油」の匂いが充満していた。天井の魔導灯は一つが切れかかってチカチカと明滅し、その不安定な光がガレージ内の影を生き物のように蠢かせている。
ガレージの中央、ポーン一型の外装を剥ぎ取られ、剥き出しの黒い骨格を晒した『実験機零号』。その前に立つ中年男――ガッツは、まるで古戦場の死体を検分するような鋭い眼差しで、機体の深淵を覗き込んでいた。彼の指は油で黒く汚れ、爪の間に染み付いた黒ずみは、彼が単なる操縦士ではなく、現場で泥と鉄にまみれ続けてきた男であることを雄弁に物語っていた。
「……笑えねえな。精霊工学の教科書を全部燃やしたって、こんな設計には行き着かねえ」
ガッツは腰に差した無骨な杖――それは操縦桿の部品を改造した彼なりの魔法杖なのだろう――を弄びながら、低い、地を這うような声で笑った。
「こいつは精霊の『ゆりかご』じゃねえ。ただの『爆弾』だ。それも、乗り手の魂を導火線にする、最高にイカれた代物だぜ。おい、嬢ちゃん。これを作ったのはどこのどいつだ?」
ガッツが視線を向けた先。
ボロい木箱に腰を下ろし、フェイが淹れた三杯目のお茶を啜っているのは、銀髪を揺らす絶世の美少女、セリナ・フォン・アルスタイン。だが、その瞳には十二歳の瑞々しさなど欠片もなく、数多の死線を潜り抜けてきた老兵の、冷徹な静寂が宿っていた。
「……。おー。お主。見る目が。ありすぎるわい」
俺――セリナ(中身はエドワード・グレイ)は、湯呑みの縁から立ち上る蒸気の向こう側で、わずかに目を細めた。
ガッツ。かつて王立騎士団に名を轟かせた機導大隊長。精霊とのシンクロ率だけに頼る軍の現状を危惧し、「物理駆動のバックアップ」を提言した結果、上層部から「精霊への不敬」として追放された異端児。
彼が今ここにいる。それは、俺が模擬戦で見せた「物理無双」が、この世界の常識という壁を叩き割り、本物の戦士の嗅覚を刺激したことを意味していた。
「嬢ちゃん……いや、アルスタイン。一つだけ確信させろ」
ガッツは一歩踏み出し、俺の目の前で膝をついた。その距離では、彼の体から漂う古びた葉巻と硝煙の匂いまではっきりと伝わってくる。
「あの模擬戦。重力攪乱フィールドで加重が三倍を超えた瞬間に、お前はレバーを『引く』んじゃなく、あえて『押し戻した』だろ? 普通の操縦士なら、パニックで精霊に助けを求め、出力を上げる場面だ。だがお前は、あえて機体を自由落下させ、そのエネルギーを旋回速度に変換した。……。あんな芸当、逆立ちしたってこの国の教育じゃ身につかねえ。前世で空でも飛んでなきゃ説明がつかねえ技術だぜ」
「……。ふん。お主も。空を。知っておる。ようじゃな」
俺は湯呑みを置き、わずかに口角を上げた。
「……。空に。逃げ場はない。あるのは。重力という。唯一の。味方だけじゃ」
その言葉を耳にした瞬間、ガッツの表情が凍りついた。数秒の沈黙の後、ガレージの天井を震わせるほどの豪快な笑い声が響き渡った。
「ははは! まさか、この年になって『重力は味方』なんて言葉を、十二歳のガキの口から聞かされるとはな! 参ったぜ、本物だ、あんたは。……。決めたぜ。学園の連中には内緒だが、俺はお前と心中することにした」
ガッツはコートのポケットから、重々しい金属の塊を取り出した。それは厳重に封印された、軍が「制御不能」として廃棄したはずの高出力物理バイパス・ユニットだった。
「こいつを零号の油圧系に組み込め。……。その代わり、一つだけ俺の『仕事』を手伝ってもらうぜ。嬢ちゃん、学園のごっこ遊びはもう終わりだ。本物の地獄が口を開けてやがる」
***
ガッツが持ってきたのは、単なるパーツだけではなかった。それは、王国の平和を根底から揺るがすような、最悪の現場報告だった。
「セリナ様、これを見てください。エレーナ、ホログラムを投影しろ」
フェイが指示を出すと、新しくメンバーに加わったエレーナが、震える手で魔導写真を投影した。
映し出されたのは、学園からほど近い場所にある『静寂の森』の機導石鉱山。そこには、王国のエネルギー源である精霊石を採掘する人々が、まるで時間が止まったかのように「沈黙」し、力なく地面に横たわっていた。
「精霊の汚染事象。鉱床の精霊が狂暴化し、周囲の魔力を根こそぎ食い尽くしているわ。既に救出に向かったAクラスの偵察部隊は、通信が途絶えた。精霊回路に頼る最新鋭機は、あの森に入った瞬間にただの『鉄の置物』になる。……。魔法が、一切通じない世界よ」
エレーナの声には、没落貴族の娘らしい冷徹さと、隠しきれない本能的な恐怖が混じっていた。
魔法が、精霊が、人類を裏切る。この世界の住人にとっては世界の終わりにも等しい災厄だが、俺にとっては、これ以上ない「独壇場」の舞台設定だった。精霊が魔力を食うなら、魔力に頼らぬ「力」でねじ伏せるまでだ。
「……。ニコラ。ボリス。準備は。できておるか?」
俺の問いに、精密工作を担当するニコラと、巨漢のボリスが力強く頷いた。
「もちろんです、セリナ様! ガッツさんが持ち込んだユニット、今さっき組み込みを完了しました。物理ワイヤーのテンションは一ミリの狂いもありません。魔法が消えようが、この機体は俺たちの指先で、鉄と油の力だけで動きます!」
ニコラは、時計細工で鍛えた繊細な指先で、機体の関節部にグリスを塗り込んでいく。彼にとって、この巨大な鋼鉄の巨人は、もはや魔法の道具ではなく、巨大な時計仕掛けの精密機械だった。
「俺の方も完璧だ。予備の重油、交換用の物理装甲、全部荷台に積み終わった。Aクラスの連中が、精霊に祈りながら動かなくなった鉄屑の中で泣いているところを、俺たちが救い出してやるんだな。……。……。腕が鳴るぜ」
ボリスが、農家出身の太い腕で予備のシリンダーを軽々と担ぎ上げる。
新生Fクラスの面々。彼らの顔には、もはや「無能」と蔑まれていた頃の卑屈さはない。セリナという絶対的なリーダーを得て、自分たちの「魔法に頼らない技能」が世界を救う唯一の手札であるという自負が、彼らを一流のプロの顔に変えていた。
「フェイ。茶は。置いていけ。……。……。……。いや。持っていく。……。出撃の前に。飲まねばな」
「もう、師匠! 戦場に行くのに、お茶のことばっかり! ちゃんと魔法瓶に入れておきましたよ。師匠が一番落ち着く、あの最高に渋いやつです。……。……。行ってらっしゃい、師匠。この機体が、貴方の翼になりますように」
フェイが、俺の背中に愛用の重厚なマントを羽織らせた。
十二歳の可憐な少女の姿。だが、そのマントを翻して歩く姿は、数多の戦火を生き抜き、最悪の状況を覆し続けてきた「白銀の英雄」そのものだった。
「……。さて。初仕事じゃ。……。精霊に。頼らぬ。空を。見せてやるわい」
俺は、無骨な梯子を登り、零号のコクピットへと身を滑り込ませた。
ハッチが閉じる。密閉された空間。古い油の匂い、そして無数のアナログ計器が刻む微かな振動。
カチ、カチ、カチ……。
俺は慣れた手つきで、トグルスイッチを跳ね上げていく。物理的な火花が散り、背面の『大罪の心臓』が、重厚な地鳴りのような産声を上げた。
「……。よし。……。……。行くぞ」
ガレージのシャッターが、重々しい金属音を立てて開かれる。
夜の帳に包まれた学園を、漆黒の煤煙と赤い廃熱を吹き出す『実験機零号』が、音もなく滑り出していく。
精霊たちが沈黙し、魔法が消える「死の森」へ。
鉄と油と、己の腕だけを信じる狂いたちの、初めての真剣勝負が始まった。
***
同時刻、学園のメインゲート付近。
「くそっ、なぜ動かない! 精霊よ、目を開けろ!」
救出のために招集されたAクラスの生徒たちが、ゲートの前で立ち往生していた。彼らの最新鋭機『シルフィード六型』は、鉱山から溢れ出した「魔力汚染」の影響を受け、一歩進むごとに精霊石の輝きを失い、文字通りの石像へと変わりつつあった。
「魔法が、効かない……!? これじゃ救出どころか、俺たちまで……」
エリートたちの絶望の声。魔法という万能の力を奪われた彼らは、重さ数トンの鉄の塊の中に閉じ込められた、無力な子供に過ぎなかった。
彼らが泣き叫び、無機質なコクピットの壁を叩く中、その背後から。
――ズゥゥゥゥゥゥゥン。
大地を揺らす、不規則で力強い振動。
魔法の煌めきなど一切ない、ドス黒い煙を吐き出しながら、一機のポーンが歩み寄る。
「……。邪魔じゃ。……。……。若造ども。……。道を開けろ。……。……。……。……」
外部スピーカーから響く、冷徹な少女の声。
Aクラスの面々が呆気にとられる中、その機体は精霊の加護を求めることなく、純粋な駆動力だけで「死の森」へと足を踏み入れた。
その背中には、どの国の騎士団も掲げたことのない、誇り高き「落ちこぼれ」たちの意志が宿っていた。
(つづく)
第十六話をお読みいただき、ありがとうございます。。
次なる舞台は、魔法が一切通じない『静寂の森』。
精霊に頼りきったAクラスが全滅しかける絶望的な状況下で、物理駆動の『実験機零号』がどのような衝撃的な「救出劇」を見せるのか……。
「セリナおじいちゃんとガッツの、言葉を交わさずとも通じ合うプロの空気が最高!」「Fクラスの各キャラが役割を持って動くのが熱い!」
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第十七話、死の森に響く物理の咆哮。どうぞお楽しみに!




