第十一話:地獄の産声、あるいはエースの教育論
「聖女の奇跡」という名の巨大な誤解が学園中を駆け巡ってから数日。
王立機導学園の最果てに位置するFクラスの演習場では、連日、夜明け前からおよそ学園生活とは思えないような、野太い悲鳴が響き渡っていた。
「あ、足が……動かない……。もう、一歩も……」
「弱音を吐くな、ジャック! セリナ様が見ていらっしゃるんだぞ!」
午前四時。まだ夜の帳が降りたままの薄暗い広場で、泥にまみれて地面を這いずり回るジャックと、必死に自分を鼓舞しながらスクワットを続けるミリーの姿があった。
その傍らで、一脚の古びた椅子に深々と腰掛け、優雅にお茶を啜っているのが、俺――セリナ・フォン・アルスタインである。
「……。おー。……。元気でよろしい。……。……。あと百回じゃ。……。ジャックさん、膝が笑っておるぞ。……。そんな軟弱な軸受けでは、急旋回の加重に耐えられんわい」
俺は、いつもの眠たげな半開きの目で、教え子たちを眺めた。
見た目は可憐で儚げな銀髪の美少女。だが、その声には数多の新兵を地獄の淵から引きずり戻し、空の覇者に育て上げた伝説の教官の威圧感が宿っている。
「師匠、さすがにこの時間の乾布摩擦からの筋力トレーニングはやりすぎじゃないですか? 他のクラスの生徒たちが、寮の窓から『Fクラスが怪しい宗教を始めた』って顔で見てますよ」
隣で完璧な侍女の姿勢を保ちつつ、フェイが小声で突っ込んでくる。
周囲に聞こえないように配慮してはいるが、その口調は相変わらず容赦がない。
「……。フェイ、お前は分かっておらん。……。……。機械を操る前に、まずは己という器を安定させねばならん。……。精霊に頼りきった今の操縦士どもは、肉体の限界を精霊の魔力で誤魔化しておる。だがな……。魔法は裏切るが、鍛え上げた筋肉と血管は裏切らんのじゃ」
俺が重々しく頷くと、その様子を見ていたミリーが「セリナ様が深く頷かれたわ! 私たちの成長を喜んでくださっているのね!」と勝手に感動して、さらに猛烈な勢いで腕立て伏せを始めた。
……。ミリーさん。俺はただ、昨日のポーン一型の減速比について考えていただけなんじゃがな。
***
地獄のトレーニング(午前の部)が終わり、俺たちはFクラス専用の、油臭いガレージへと戻った。
そこには、俺とフェイが夜な夜な秘密の魔改造を施している、もう一機のポーン一型――通称『実験機零号』が鎮座している。
「いいか、若造ども。……。よく聞け。……。操縦とは、精霊に歌を歌うことではない。……。物理的な加重(G)と、鋼鉄の限界点との対話じゃ」
俺はガレージの中央に立ち、ジャックとミリーに向き合った。
二人は疲労困憊のはずだが、その瞳には、先日の実習で俺が見せた「物理無双」への憧憬が強く焼き付いている。
「セリナ様! 俺、あの日からずっと考えてたんです。どうすれば、あんたみたいに機体を『自分の手足』にできるのか。最新鋭のシルフィードを片手で止めるなんて、精霊の力だけじゃ絶対に不可能だ!」
ジャックが、泥に汚れた顔を上げて叫んだ。
俺はふん、と鼻で笑い、傍らにあった大きな工具箱に腰を下ろした。
「……。ジャックさん。……。機体の関節が悲鳴を上げたとき、お主はどうする? ……。精霊に頑張れと祈るか? それとも、精霊石に魔力を注ぐか?」
「え、それは……精霊に頼んで、破損を抑えてもらうのが普通だろ?」
「……。甘いわい。……。……。壊れそうなボルトを支えるのは、精霊の愛ではない。……。適正な締め付けトルクと、パイロットの加重分散の技術じゃ」
俺はフェイに目配せをした。
フェイは待っていましたとばかりに、実験機零号のハッチを抉じ開けた。
そこには、通常の機体には存在しないはずの、複雑に入り組んだ金属製のワイヤーと、巨大なマニュアル・レバーが、精霊石を囲むように配置されていた。
「これを見て。師匠が設計したマニュアル・インターフェースよ。精霊石から発生するエネルギーを、精霊の意志を介さずに、直接、物理的な駆動油圧に変換するための心臓部。つまり、機体はパイロットのレバー操作に一ミリの狂いもなく反応する。その代わり……」
フェイの言葉を引き継ぎ、俺が冷たく言い放つ。
「……。遊びは、一切ない。……。……。操作を誤れば、自分の指一本で機体の腕をへし折ることになる。……。精霊という安全装置を取り払った、剥き出しの鉄と戦う覚悟はあるか?」
ジャックとミリーが、息を呑んでその『怪物』を見つめた。
今の彼らには、まだこの機体を動かすことはできない。
この暴力的なレスポンスに耐えるには、さっきの地獄のトレーニングで教えた「抗G呼吸法」を完全にマスターし、肉体そのものを機体の一部にする必要があるのだ。
***
その日の午後、Fクラスのガレージに不穏な影が差した。
Aクラスの取り巻き数人を連れた、アルベルトの側近、ヘンリーという少年だ。
彼は鼻をつまむような仕草で、油臭いガレージを眺めた。
「やれやれ。落ちこぼれのFクラスが、朝っぱらから全裸に近い格好で布を振り回していると聞いたが……。セリナ・フォン・アルスタイン。君は美しすぎて、ついに頭まで狂ってしまったのかい?」
周囲のAクラス生徒たちが下卑た笑い声を上げる。
ジャックが怒りに顔を赤くして一歩踏み出そうとしたが、俺はそれを手で制した。
「……。よっこいしょ。……。……。おー。……。お主、誰じゃったかな。……。ああ、確かアルベルトさんの後ろで、よく震えておった小僧か」
「なっ、なんだと!? 僕はヘンリー・フォン・サマセットだ! アルベルト様の代理で、君たちに忠告に来てやったんだよ。次回の全学模擬戦、君たちは僕たちの機体の『標的』としてエントリーされている。恥をかきたくなければ、今すぐ退学届を出すことだね」
ヘンリーは高慢な態度で、一枚の書類を投げ出した。
そこには、Aクラス対Fクラスという、およそ勝負にならない組み合わせが記されていた。
学園側も、先日の「聖女の奇跡」が本当に実力なのか、あるいは単なる偶然なのかを、この戦いで見極めるつもりなのだろう。
「セリナ様、そんな……。最新鋭機五機を相手に、私たちのボロ三機で戦うなんて、自殺行為ですわ!」
ミリーが青ざめた顔で震える。
だが、俺は投げ捨てられた書類を拾い上げることすらせず、再びお茶を啜った。
「……。ヘンリーさん。……。お主のその綺麗な靴。……。昨日、オイル漏れを起こした機体の足元を歩いたな? ……。……。左のソールに、微かに精霊石の残留魔力がこびりついておるぞ。……。早く拭かんと、自慢のシルフィードの感度が狂うわい」
「はぁ!? 何をデタラメを……。おい、行くぞ! 狂人の相手は時間の無駄だ!」
ヘンリーたちは、不気味な笑みを浮かべる俺から逃げるように去っていった。
彼らが去った後、俺はポツリと呟いた。
「……。フェイ。……。あいつの言ったことは嘘ではないな。……。……。あの靴の汚れ、シルフィードの二番シリンダーのシールが甘い証拠じゃ。……。付け入る隙は、いくらでもあるわい」
「師匠、歩き方と靴の汚れだけで機体の不調を見抜くなんて、相変わらず性格悪いですね。……。でも、全学模擬戦まであと二週間。本当に、このジャガイモくんたちを使い物にできるんですか?」
フェイが不安げにジャックとミリーを見る。
二人は今、恐怖よりも「セリナ様のために戦いたい」という、狂信的なまでの熱意に燃えていた。
「……。ふふん。……。案ずるな。……。……。足りない出力は、俺たちの技術で補えばええ。……。……。ジャック、ミリー。‥今日から睡眠時間は三時間じゃ。……。乾布摩擦をあと百回追加するぞ」
「「はいっ!! セリナ教官!!」」
ガレージに響く、少女と少年の気合の入った声。
その中心で、絶世の美少女――セリナは、お茶を啜りながら、専用機の心臓部である『大罪の心臓』を愛おしそうに見つめた。
「……。さて。……。最高のショーの準備を、始めようじゃないか」
学園の落ちこぼれたちが、伝説のエースによって本物のパイロットへと作り替えられていく。
その裏側で、禁忌の魔改造機は、静かにその産声を上げようとしていた。
(つづく)
第十一話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ジャックとミリーを弟子に迎え、学園の常識を破壊するための「地獄のブートキャンプ」を描かせていただきました。
見た目は可憐なセリナですが、中身は数多の新兵を鍛え上げた鬼教官。
「乾布摩擦」や「抗G呼吸法」といった、一見すると奇行にしか見えない訓練が、実は合理的な裏付けに基づいている……というギャップを楽しんでいただければ幸いです。
また、専用機『実験機零号』のメカニズムについても触れました。
精霊の助けを一切借りず、パイロットの入力をそのまま物理的なパワーに変える「マニュアル操縦」。
そのピーキーすぎる操作性が、模擬戦でどのような無双を呼ぶのか、ご期待ください。
「セリナ教官のしごきが容赦なさすぎて最高w」「Aクラスの慢心を見抜くおじいちゃんの目が鋭い」
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次回、第十二話「鉄の棺桶、あるいは胎動」へと繋がります。
引き続き、よろしくお願いいたします!




