第十話:聖女の奇跡、あるいは老兵の叱咤
王立機導学園の長い歴史の中でも、これほどまでに混沌とした放課後はなかっただろう。
教官室では、学園長を含む最高責任者たちが集まり、初搭乗実習で記録された「異常なデータ」を前に、深夜まで続く激論を繰り広げていた。
「あり得ない。物理学の法則が死んだと言われた方がまだ信じられるぞ!」
「シンクロ率0%。精霊回路は完全に沈黙していた。にもかかわらず、あのポーン一型は最新鋭機を上回る反応速度を見せ、さらには数トンの加重を片手で受け止めたんだ。魔法も精霊も使わず、どうやってあんな出力を出したというんだ!」
若い教官たちがモニターを指差し、絶叫に近い声を上げる。
彼らが信じてきた「精霊工学」の常識では、機殻騎士を動かすのは精霊との対話であり、愛である。だが、セリナ・フォン・アルスタインが見せた挙動は、そのすべてを真っ向から否定する「暴力的なまでの物理運動」だった。
そんな中、実習の現場責任者であったガレットは、一人静かに腕を組み、提出された機体の点検報告書を食い入るように見つめていた。
報告書には、機体の関節各部に異常な熱が発生した痕跡があり、潤滑油が焦げ付いていたことが記されている。だが、外部からの魔力供給の痕跡は一切なかった。
「……ガレット教官。君はどう考えているんだ。あの没落令嬢に、何をした」
学園長の重々しい問いに、ガレットは窓の外、遠くに見える演習場を眺めながら、宗教的な熱情を帯びた声で答えた。
「……私の仮説を述べさせていただきます。セリナ・フォン・アルスタインの魂があまりに純粋で、美しかったがゆえに……眠っていた機体の精霊が、契約もシンクロも飛び越えて、自発的に彼女を守護した。……いわば、精霊による『無条件の愛』、神聖なる奇跡です」
「なっ……奇跡だと!? 科学的な説明になっていないぞ!」
「いいえ、学園長。彼女が機体に触れた瞬間のあの表情、そして鉄屑にさえ慈悲を注ぐあの儚げな所作。あれを見れば、精霊さえもが心を奪われるのは必然です。……精霊石が光らなかったのは、共鳴を超えた『一体化』を果たしていたからだ。……。これ以上、彼女を理屈で追求するのは危険です。聖女の奇跡を疑えば、学園中の精霊たちが沈黙し、我々を見捨てる恐れすらあります」
ガレットの、あまりにも盲信的な――しかし、セリナの美貌を目の当たりにした者にとっては、これ以上なく「納得」できてしまう結論。
教官室に、不気味なほどの沈黙が落ちる。
こうして、学園の公式見解は「セリナ・フォン・アルスタインは、精霊に愛された特異な聖女である」という方向で、不可侵の聖域として固まろうとしていた。
***
一方その頃、学園の最果てにあるFクラスのボロガレージ。
「‥おー。‥。危ないところじゃったな。‥。‥。フェイ、お茶を。‥。喉が、砂を噛んだようにカラカラじゃわい」
俺――セリナ・フォン・アルスタインは、今にも壊れそうな作業机に突っ伏して、深い安堵の溜息をついていた。
コルセットに締め上げられた身体で、物理レバーを力任せに引き回すのは、老いた魂(中身)には想像を絶する重労働だ。背骨がパキパキと鳴り、肩が石のように凝っている。
「本当にお疲れ様でした、師匠。ガレット教官が『聖女の奇跡』なんて夢見がちなことを言い出した時は、隣で失笑を堪えるのが地獄でしたよ。まさか、師匠が力任せにレバーを引いた反動で、機体が悲鳴を上げていただけだとは、誰も夢にも思わないでしょうね」
フェイが侍女としての完璧な所作を保ちながら、最高に渋いお茶を淹れてくれる。
俺たちは、実習が終わった直後の騒ぎに乗じて、機体内部に施していた「物理バイパス」の大部分を急いで撤去し、証拠隠滅を済ませていた。
「‥ふぅ。‥。これじゃな。‥。‥。やはり死線の後は、これに限る。‥。‥。しかしフェイ。‥。‥。あのポーン。‥。軸受けの磨耗が酷い。‥。‥。次は、焼き付くぞ。‥。‥。今夜、こっそり鋳造し直さねばならんのう」
「えー、また徹夜ですか? まぁ、師匠のあの『物理無双』を維持するには、それくらいやらないと機体がバラバラになっちゃいますもんね。……おっと、お喋りはここまで。師匠、かなり機嫌の悪そうな足音が近づいてきましたよ」
フェイが言葉を止めた瞬間、ガレージの古びた扉が、暴力的な勢いで蹴破られた。
「セリナ・フォン・アルスタイン!! どこだ、どこに隠れている、この卑怯者が!」
現れたのは、Aクラスのエリート、アルベルト・フォン・公爵令息だった。
背後には数人の取り巻きを引き連れ、その整った顔は屈辱と怒りで真っ赤に染まっている。実習で自分たちの最新鋭機を旧式機に止められ、挙句に取り巻きの一人が腰を抜かして失禁したという醜態は、彼の誇りをズタズタに引き裂いたらしい。
「‥おー。‥。若造。‥。‥。扉は、静かに開けるもんじゃ。‥。‥。‥。建付けが悪くなるではないか。‥。‥。お茶を飲む暇もありゃせんわい」
俺は椅子に深く腰掛けたまま、お茶をズズッと啜り、いつもの眠たげな半開きの碧眼でアルベルトを見上げた。
その儚げで、どこか世俗の騒乱を超越したような凛とした佇まいに、アルベルトは一瞬だけ気圧されて言葉を失った。だが、すぐにまた声を荒らげる。
「黙れ、この無能が! 貴様、何らかの禁忌の魔道具を使ったな!? シンクロ率0%の欠陥品が、あんな動きをできるはずがないんだ! 卑怯な手で僕たちを……僕の公爵家としての誇りを踏みにじった罪、万死に値するぞ!」
アルベルトが腰の剣に手をかけようとしたとき、ガレージの隅で掃除をしていたジャックとミリーが、俺の前に立ち塞がった。
「おい、公爵家! 言いがかりはやめろ! セリナ様は、俺たちの仲間を守るために動いただけだ!」
「そうです! セリナ様は……セリナ様は、精霊に愛された聖女様なんです! 奇跡を否定するなんて、罰当たりですわ!」
「どけ、落ちこぼれ共! この女の化けの皮を剥いでやる!」
ガレージの周りには、騒ぎを聞きつけた他のクラスの生徒たちも集まり、不気味な静寂の中で事の成り行きを見守っている。
(‥よっこいしょ。‥。やれやれ。‥。‥。これだから、空を知らん若造は、困るわい)
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
『抗G呼吸法』を密かに起動。魔力が身体の内側を巡り、血管の圧力を一定に保つ「芯」を作る。一瞬にして、周囲の温度が数度下がったかのような、鋭利な覇気が俺から立ち上った。
ジャックも、アルベルトも、その場にいた全員が、本能的な恐怖に直撃され、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「‥アルベルトさん。‥。‥。お主。‥。‥。自分の愛機が、‥。‥。あの時なぜ膝を折ったか、‥。理解しておるのか?」
俺の声は、少女のそれにしては低く、重い。それはかつて数千の部下を率いた指揮官の、冷徹なまでの静かさだった。
「な、なんだと……? 精霊の機嫌が悪かっただけだ! よくあることだ!」
「‥違う。‥。‥。お主が。‥。‥。機体の悲鳴を、‥。無視したからじゃ。‥。‥。レバーを、‥。‥。愛も敬意もなく、‥。ただの『棒』として扱った報いじゃよ。‥。‥。お主の言うシンクロとは、‥。精霊に甘え、責任を押し付けるための、‥。便利な言葉に過ぎん」
俺は一歩、また一歩と、アルベルトに歩み寄った。
十二歳の、折れそうなほど華奢な美少女。だが、その背後に見えるのは、数多の戦火を生き抜き、鉄の巨人を血肉としてきた「怪物の影」だ。
「‥操縦とは。‥。‥。自分の意志で、‥。重力を支配することじゃ。‥。‥。‥。精霊の歌を聴く暇があるなら、‥。‥。自分の腕に伝わる、シリンダーの震えを聴け。‥。‥。それができん若造に、‥。俺を語る資格はないわい」
「ひっ……、あ、う……」
アルベルトは、物理的な衝撃を受けたかのように後ずさりした。
目の前の少女から放たれる、圧倒的な「経験」の重圧。
未熟な新兵を、戦場に送り出す前に徹底的に叩き直す鬼教官のようなその目に、彼は自分が全裸で戦場に立たされているかのような錯覚すら覚えた。
「‥失せなさい。‥。‥。お主のような未熟者に、‥。‥。俺の大事なガレージを、‥。汚されたくはないんじゃ」
俺が冷たく言い放つと、アルベルトはプライドも何もかも投げ捨て、逃げるようにガレージを飛び出していった。
取り巻きたちも、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
静寂が戻ったガレージ。
俺は「ふぅ」と毒を吐き出すように息をつき、再びいつもの眠たげな目に戻った。
「‥よっこいしょ。‥。‥。あー、やはり若造の相手は、‥。肩が凝っていかんわい。‥。‥。‥。フェイ、肩を叩いてくれ」
「はいはい、師匠。お疲れ様でした。今の説教、Aクラスの生徒たちにも筒抜けでしたよ。今頃、学園中に広まってるでしょうね」
フェイが呆れながら俺の肩をトントンと叩く。
振り返れば、ジャックとミリーは、まるで神の啓示を受けた聖騎士のような、熱っぽい目で俺を見つめていた。
「セリナ様……! 俺、分かりました! 俺が今まで機体を動かせなかったのは、自分の意志が足りなかったからなんだ!」
「セリナ様……私も、私も教えていただきたいです! 本当の操縦、本当の重力の支配を!」
「‥おー。‥。やる気があるのは、‥。良いことじゃな。‥。‥。‥。よし。‥。‥。‥。明日から、‥。地獄を見せてやろうわい」
俺は、ニヤリと凶悪なエースの笑みを浮かべた。
専用機を動かすには、一人では手が足りん。
こいつらを、俺の足手まといにならない程度には、まともな戦士に鍛え上げてやる。
伝説のエースの「復活」は、学園全体を飲み込む「反乱」へと、その形を変え始めていた。
(つづく)
第十話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は「公式による勘違いの隠蔽」と「宿敵アルベルトとの対決」を主軸に、大幅にボリュームアップして描写いたしました。
教官たちがセリナの無双を「聖女の奇跡」と定義してしまう様子は、魔法世界ならではの滑稽さと、セリナの美貌がもたらす圧倒的な説得力を表現できたかと思います。
この一件で、ジャックやミリーは完全に「セリナ(師匠)」の信者となり、次回からは地獄のブートキャンプ編へと突入します。
おじいちゃんエースによる、情け無用の軍隊式訓練。果たしてFクラスの面々は耐えられるのか‥!?
「セリナおじいちゃんの重圧、最高w」「ガレット教官の勘違いがもはや清々しい」
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第十一話、地獄のトレーニング(と乾布摩擦)をどうぞお楽しみに!
引き続き、よろしくお願いいたします!




