「息子が馬鹿で申し訳ない」と陛下に言われました
私の名前はシシリー・レンブラント。子爵令嬢。
今年で十七。
このたび、わが国の第一王子、ウィリアム殿下との婚約が決まりました。
これは、婚約祝いもかねたダンスパーティでの出来事。
私の左手に燦然と輝くエンゲージリング。大きな青い宝石がついている。
プロポーズの時に貰ったんだ。
――私の未来の妃になってくれぬか。
ウィリアム殿下は私の前に騎士のように片膝をついてそう言われた。
嬉しかったかって?
そりゃ……嬉しかったよ。
だって私みたいに身分の低い、しかもその、あんまり可愛くもないし、出来も良くない娘。
お付き合いさせてもらってるだけでも感謝してたのに。
まさか求婚されるなんて思ってなかったから。
だから本当にうれしかったんだ。
で、今日はその、冒頭でも申しましたが……婚約を祝うパーティのはず、なんだけど。
私はずっと壁の花だ。パーティが始まってからずっと。ずううっっと。
陛下が、
「何をしている、婚約者殿をダンスに誘わぬか」
と周りに気付かれないように言っているにもかかわらず、ウィリアム殿下は私をガン無視。こちらを見ようともなさらない。
何でこんなことになっちゃったの?
なんか予想しない事態に困惑していたら、ふと私の視界にマーメイド型のドレス姿が飛び込んでまいりました……もしや、この姿は……。
「あらー、シシリー様じゃありませんこと?」
その方はヴェローナ公爵令嬢、名前はドリスさんと言うんですが……。
殿下の幼馴染なんだよね。
どんな人かと言うと、とにかく、才女。スラッとしてて大人っぽくて、しごデキって感じがして。
実際しごデキなんだよ。ご自身で事業とかやってる。すごい。
おまけに美人で、お召しになっているマーメイドドレスも物凄く素敵。
「どうなさったの? 主役がこんなところで一人ぼっちで」
けらけら笑いながら言うドリスさん。この方は貴族学校で同級生なんだけど、入学当時から何かしら私に敵愾心燃やして、何かとマウントとろうとしてこられる。
殿下とお付き合いし始めてからは、もう露骨に。
「まあ、地味な色のドレスですこと」
扇子を口に当ててオホホみたいに言う。
今日の私のドレスは指輪の宝石に合わせた青。
殿下に喜んでもらえるかと思ったんだけど、そんなに地味なのかしら。
いや、ちょっと待って。もしかしたら変なのかも? ほら、遠回しの言い方ってあるじゃない。
私、服選びのセンスは壊滅的だから、もしかしたら、もしかしたら、すごく変な色を選んでしまったのかも知れない。だから殿下はこちらを見ようとしない?
もしそうだったらどうしよう。
ところで。
今日のパーティは身内だけと伺っていたのに。
私は泣きそうな気持ちで殿下を見た。
……まさか。
殿下は相変わらず、私を見ようとしない。
その視線の先にいるのは……。
ドリスさんだ。
……まさか、うそ、そんな、まさか。
婚約のお話があってから、半月くらい過ぎたんですけど、
まさかその間に……まさか、まさか。
そう言えば最近、ご一緒に出掛けてくれなくなった。
このパーティに着て来るドレスの生地だって一緒に選びたかったのに。
王宮で一人、寂しく選んだんだよ。御用達の商人の人が慰めてくれたけど、すんごく悲しかった。
殿下はその日、用事があってお出かけされていた。
そう言えば、殿下がどんな方か言ってませんでしたね。
さあっと周りが明るくなるようなハンサムな方、と言ったら伝わるでしょうか。
貴族学校で初めてお会いしたときは、時間が止まったかと思うほどでした。
それに、お顔がいいだけでなく、武術も学問も御出来になる。
天は二物を与えずと言いますが、殿下は神に愛されておられるのでしよう。
それに引き換え私は……。
容姿、普通。頭、普通。たしなみ、普通。
いやいや、そこで見栄を張らない私。
普通以下じゃない。
努力していないわけじゃないよ。
めっちゃ頑張ったんだよ。
でも、
悔しいけど、ドリスさんの百万分の一にも及ばない。
ちなみに、殿下のお相手は彼女じゃないかって噂が立ったこともありました。
才色兼備の御令嬢と、完璧男子の殿下。お似合いのカップルだって。
私はそっと周りを見た。
このダンスパーティで、誰がどう見ても主役は殿下とドリスさんだ。
少なくとも、地味な色のドレスを着た壁の花の私じゃない。
と落ち込んでいたら、こちらに向かって歩いてこられる殿方の姿が視界に。
殿下だ。
ドリスさんが勝ち誇ったような顔で私を見る。
「ウィリアム、ちょうどよかった、これからワルツが始まるから一緒に……」
優雅に殿下に手を伸ばすドリスさん。私は見てるのが辛くて目を閉じた。
だけど次の瞬間「へ?」と言う、何とも間の抜けた声がしたの。私じゃないよ。
誰がか私の前に立っていた。こわごわ目を開ける私。そこにいたのは殿下だった。
殿下はドリスさんの傍を素通りし、私の前にいらっしゃったのだ。
「殿下……」
殿下のコバルトブルーの瞳が、なんかスゴイ思い詰めてるような色を浮かべてこちらを見てる。
そんな、見つめないで下さいっっ。
でも、ちょっとホッとする私がいる。
同時に顔が赤くなってくのが分かる。
ダンスのお誘いに来てくれたんだ。
私は運動音痴で、何回練習しても上手くなれないけど、殿下に恥をかかせないように頑張って……。
「……君との婚約を破棄したい」
うるうるしていた私に、殿下はそう告げられた。
私は一瞬何言われてるか分からず、
「へ?」とさっきのドリスさんのような間の抜けた声が出たの。
殿下の目は真剣だった。
「君との婚約を破棄したい」
殿下はもう一度言い、大きな大きなため息をつかれたわ。私にはそれが、安堵のため息だと分かった。
だって、晴れ晴れとしたお顔をされていたから。
「あの」
足元の地面がガラガラ崩れていくって、実際あるんだ。
なんて私は呑気に思ってた。本当に、本当に。そんな気分だった。
婚約破棄なんて、物語だけだと思ってた。
自分の人生に起きることなんてないと。
ホッとした私に突きつけられた宣告。
指先がどんどん冷たくなっていくのが分かる。目から涙がにじみ出すのが止められない。
そんな私に、どう考えても不釣り合いでしょと冷たく言う自分自身がいる。
「そうよね!」
ドリスさんの弾むような声が聞こえる。
「やはりあなたの相手は私よねぇ、ウィリア……」
とその時だったの。
殿下が、ドリスさんの声を遮るように、とんでもないことを言いだしたのは――。
遮ると言うより、彼、まったく他のことが見えてない状態だったんだよね……この時。
「いいか? シシリー」
「は、はい」
殿下のお顔は、まるで怪談をする人のようだった。
い、一体、何を仰るのか……と思っていたら。
「婚約とは……恐ろしいものなのだ!」
……。
はい?
婚約が恐ろしい? なにそれ。
混乱する私に、殿下は胸元から、すちゃっ、と何かを取り出して見せた。それは今貴族の間で流行っている、婚約破棄モノを扱った小説だった。
「婚約をしてしまったら、こうなるのだ!」
と言って殿下は小説……いや漫画だった……を私に見せた。
婚約者である男が浮気し、相手に濡れ衣を着せる。
お前のような奴は王妃にふさわしくなぁぁぁぃ! とのたもうて。
「私は君にこんな目に遭ってほしくない。こんな愚かな男に君を傷つけられたくない! だから婚約を破棄しよう!」
……。
私は今一度、殿下のお顔を見た。
悪ふざけされているのではないのは確かだ。
そのお顔は、「もう心配で心配でたまらぬ!」と全力で語っておられた。
ちなみに殿下は臣下の人に、何冊か持ってこさせ、しゅばばばっとページをめくって、ほら、これなど酷いものだと真剣そのもののお顔で仰った。時々ページめくり過ぎて、あ、ここじゃないと戻られることもあった。
「あの……殿下」
漫画のページを殿下と一緒に目で追いつつ、私は恐る恐る殿下に語り掛けました。
「なんだ?」
「その、漫画の、婚約者を苛めるキャラの立ち位置、殿下なんですけど」
「?」
「殿下が、私に濡れ衣着せたり、国外追放したりするんですか?」
はっ。
と殿下の心のお声が聞こえたような気がした。
よくまあ冷静に聞けたと思う。
あの才色兼備のドリスさんですら、殿下の後ろで、???な顔して固まって動けないのに。
冷静に聞けた私、えらい!
「言われてみたら、そうだな! 私が君にそんなことをするはずがない!」
高らかに断言された殿下。
な、なんかよくわかんないけど、納得してくれたみたいで良かった。陛下も王妃様も露骨にホッとされてる……。
と思ってたら。
「しかしやはり婚約は怖い」
と殿下。
へ? 納得したんじゃなかったの?
え? え? だったらやっぱり破棄されちゃうの?
涙がジワッとにじみ出した私の目。泣くなもうっ。
そんな私に殿下は朗らかに仰いました。
「だから、今この場で結婚しよう!」と。
「へ?」と間の抜けた声が、私とドリスさんの口から同時に。
婚約破棄して、結婚?
いいですね父上母上、と殿下。そのお顔がもうすごく、さっきより晴れ晴れとなさっていた。
も、もうね、我ながらナイスアイデア! みたいなお顔されて。
そして殿下は後ろを振り返り、顏を引きつらせているドリスさんを見て仰いました。
「あれ? ドリス、何で君がここにいるの?」
ピシッ、とヒビ入った音って、ほんとにするんだとこの時私は思いました。
「なんでって、わ、私は」
「まあ何でもいい、ちょうどよかった。君も式に出席するように」
ヒクヒクヒク、とドリスさんの顔が引きつります。それを見た殿下が、
「どうした? 顔色が良くないぞ。具合でも悪いのか?」
「い、いえ、そんなことは」
満面の汗をかいたドリスさん。殿下はそのお姿をしげしげと見られたあと、なんか納得したようなお顔をされました。そして。
「なるほど、確かにそのドレスでは結婚式に向いておるまいな。シシリー、君のその上品なドレスを彼女に貸してやってくれないか」
と満面の笑みで仰いました……ははは。
……殿下、貴方と言う方は……。
とまあそんなわけで、
私たちはめでたく結婚しました。
ただし、第一王子の結婚です。
それこそもう、上を下への大騒ぎでした。
大司教様はベッドからたたき起こされ(パーティ開いたのが夜でしたので)、都にいた貴族たちも慌てて駆け付けました。
ウェディングドレスは、王妃様が嫁いだ時のを頂戴しました。
なんと、ピッタリ。
殿下はよほど恐怖に駆られていたらしく、結婚証明書に私がサインすると、ホッとした笑顔を見せてくれたのです……。
「愛している」
ふるふると感動に震えて仰ってくれる……のはいいけど。
なんかもう、衆目が恥ずかしくて恥ずかしくて。
私の父も母も、こんなの前代未聞だと。そりゃそうだ。
ドリスさんはと言うと、「私は何を見せられてんだろう」って感じでした。
後で王様からこう言われました。
「息子がアホですまん」と。
その後の結婚生活はどうかと申しますと。
殿下は本当に私に関しては取り越し苦労というか、心配しすぎを発揮されました。
特に子供を身ごもった時などは、何処に行くにもついてこられ、周りの安全を確かめられ、
「さあ、ここは安全だ! シシリー!」と叫ばれる有様……。
そのせいでしょうか。
殿下が全然格好良く見えなくなりました。
それなのに、愛おしくてたまらなくなりました。
一生この方を大事にしよう。
そう思った私でした。