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数日が経ち、朝の光が静かに城の中庭を照らしていた。


ヴィーラは涼しい風に髪をなびかせながら、執務の合間にふと考えた。


(戦争に勝ち続けるくらいだもの。どこよりも厳しい訓練をしているのかしら……)


そんな興味がふと湧き、自然と足が訓練場へ向かっていた。


近づくと、掛け声と剣が交わる乾いた音が響いてくる。


ヴィーラがそっと覗き込むと、そこには異国の修練法を取り入れた印象的な訓練風景が広がっていた。


裸の上半身から滴る汗、隆々とした筋肉が躍動し、戦士たちは信じられないほどの精密な動きで剣を振るっている。


(やっぱり……他国を侵略する時に、良いと思ったものを吸収してたのね)


心の中で呟きながら、彼らの動きを目で追った。


片足で体重を支えながらの打ち込み、流れるような体さばきで相手の攻撃を受け流す技法、そして、隊列を組んでの一糸乱れぬ動き。


明らかに異国の戦術が取り入れられており、ここでの訓練が彼らの強さの秘訣だと実感する。


そして、その中央にはヘルムデッセンがいた。


全身の筋肉が研ぎ澄まされ、赤い瞳が鋭く光る。まるで戦場そのもののような存在感を放ちながら、彼は静かに剣を振るっていた。


ヴィーラはそんな彼の姿に目を奪われながら、ふと視線を動かした瞬間——。


「っ!」


どこかではねた剣が、まっすぐ自分に向かって飛んできているのに気づいた。


避ける時間はない。


——だが、次の瞬間。


「っ!」


一閃。


風を切る音と共に、目の前に黒い影が走った。


ヴィーラの目の前、ほんの数センチの距離で、ヘルムデッセンが木刀を振り下ろし、飛んできた剣を弾き飛ばしていた。


「……っ!」


鋭く弾かれた剣は、地面に深く突き刺さる。


(速い……!)


ヴィーラは呆然とその光景を見つめた。


ヘルムデッセンは振り下ろした木刀を持ったまま、すっと振り返る。


「大丈夫か? ヴィーラ。」


心配そうな声と共に、優しく微笑んだ。


太陽に照らされた彼の表情は、普段の豪快で無邪気な笑みではなかった。


そこにいたのは、一人の“男”だった。


力強く、頼れる、彼の新たな一面。


ヴィーラは息を呑んだ。


心臓が、なぜかひどく跳ねる。


「……ヴィーラ?」


ヘルムデッセンが怪訝そうに顔を覗き込む。


「——あ、うん。ちょっと……驚きました。」


ヴィーラは自分の動揺を誤魔化すように、そっと髪を耳にかけた。


「視察か?」


「ええ、ちょっと気になって……」


「ここは危ないから、俺の側にいろよ?」


「……えぇ、わかったわ。」


ヘルムデッセンが言うと、何の迷いもなくヴィーラの腰に手を添え、さりげなく自分の影の中に誘導した。


その仕草はまるで、大切なものを守るような自然な動きだった。


その一瞬。


ヴィーラの目には、いつもの子供っぽく拗ねたり、照れたりするヘルムデッセンではなく、戦場で鍛え抜かれた、誇り高き“英雄”の姿が映っていた。


(……暑さのせいかしら。)


自分の胸のざわめきを落ち着かせるように、そっと目を伏せた。


そして、ヘルムデッセンの大きな手の温もりを、ほんの少しだけ意識してしまうのだった——。


―――――――――

――――――


夜が更け、部屋の中はしんと静まり返っていた。


窓の外では、月明かりがほのかに輝き、薄暗い室内に淡い光を落としている。カーテンが風に揺れ、かすかに涼しい夜風が流れ込んでくる。夏の終わりを感じさせる夜の空気は心地よく、静かな時間がゆっくりと流れていた。


ヴィーラはベッドの上で、静かに目を開いた。


隣では、ヘルムデッセンがすでに眠りについている。


規則正しい寝息が聞こえ、彼の逞しい体は深い安らぎの中にあるようだった。普段は戦場で猛々しく振る舞う彼が、こうして無防備に眠る姿は、どこか無邪気で愛らしくさえ感じられる。


ふと、ヴィーラはそっと体を起こし、彼の寝顔を見つめた。


(まるで子供みたい……)


長いまつ毛が影を落とし、普段は鋭い赤い瞳も今は閉じられている。強張ることのない穏やかな表情を眺めていると、心の奥がじんわりと温かくなる気がした。


戦場では“獣”のようだと恐れられている男が、今はただ静かに眠っているだけ。普段の彼とはまるで別人のようにすら思える。


それなのに——彼の隣にいると、不思議と落ち着く。


(いつから……こんな風に思うようになったのかしら)


最初はただ、夫として扱わなければならない相手だと思っていた。


この関係は、王の命令によって結ばれ、ヘルムデッセンにとっては領地を守るための使命のようなものだった。彼が私に好意を持っているのはわかるけれど、私は……?


そんな疑問が頭をよぎる。


そっと自分の手を伸ばし、ヘルムデッセンの頬に触れそうになって、慌てて止めた。


(何をしているの、私)


無意識のうちに彼に触れようとしていたことに気づき、ヴィーラは小さく息を呑んだ。


心を落ち着けるように、ふと視線を落とす。


そして、はっとした。


(……私って、魅力ないのかしら)


唐突に、そんな考えが浮かんだ。


ヴィーラは少し視線を落とし、自分の体をそっと見つめる。


しなやかではあるが、決して華奢すぎるわけではない。女性らしい曲線もあるはず。それでも、ヘルムデッセンが無防備に隣で眠る姿を見ていると、ふと自分に女性としての魅力が足りないのではないかと、不安が過る。


思い返せば、彼は一度も私に対して“女性として”求めるような素振りを見せたことがない。


それはきっと、彼が誠実な人だから——そう思っていた。


けれど、それだけだろうか?


(……やっぱり、私って魅力がないのかもしれない)


ヴィーラは唇を噛み、そっと視線を逸らした。


そして——。


昼間の訓練場の出来事を思い出す。


木刀を振るうヘルムデッセンの姿。


鋭く放たれる一撃、迷いのない動き。まるで獣のように研ぎ澄まされ、それでいて一瞬の隙もない圧倒的な存在感。


そして、飛んできた剣を迷いなく弾き、自分を守ってくれた時の、強くて頼れる姿。


あの時——心臓が跳ねた。


(……かっこよかった)


そんな風に思ったのは、初めてだった。


これまで、彼に対して「可愛い」とか「子供っぽい」とは思ったことがあったが、「かっこいい」と思ったことはなかった。


でも——。


あの瞬間、確かに何かが変わった気がする。


夫を愛することは自然なこと。


けれど——。


(これは……恋?)


思わず、自分の胸元に手を当てる。


鼓動は、静かに、しかし確かに響いていた。


月明かりが静かに彼の横顔を照らし、無邪気な寝顔がそこにあった。


そっと目を閉じると、昼間の彼の姿が頭の中に浮かぶ。


力強く、自分を守るために剣を振るう彼の姿が——。


(……私、彼に惹かれてる?)


そう考えた瞬間、ヴィーラの頬がかすかに熱を帯びた。


彼は強くて、誠実で、そして——優しい。


この関係は、王の命令によって結ばれ、ヘルムデッセンにとっては領地を守るための本能で私を選んだんだろう。けれど、彼が不器用ながらも必死に領地のことを学ぼうとし、貴族社会の常識を身につけようと努力する姿を見ていると、どうしても心を動かされてしまう。


……それに。


(もし、彼が他の女性と結ばれていたら?)


そう考えた途端、胸がきゅっと締めつけられるような気がした。


(そんなの、嫌……)


自分の感情に気づき、ヴィーラは再び彼を見つめた。


夜の静けさの中、彼の寝息だけが聞こえる。


静かで、穏やかで——心が温まるような瞬間。


ヴィーラはそっと毛布を引き上げ、自分の肩までかけた。


(……でも、彼が私を好きなのは知ってる)


だったら、いつか私も……。


そう思いながら、ヴィーラは静かに目を閉じた。


月明かりが、静かに二人を照らしていた。

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