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暖炉の炎がパチパチと小さく弾ける音が、夜の寝室に響いていた。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、静かに絡み合った二人の影を照らす。
ヘルムデッセンは、ゆっくりと深呼吸しながら、腕を伸ばした。
開いたり、握ったりしながら、ゆっくりと拳を作る。
「……だいぶ戻ってきたな。」
低く呟きながら、手のひらをじっと見つめる。
「ふふっ……」
隣で身を寄せていたヴィーラが、くすりと笑った。
「何が可笑しい?」
「いいえ。あなたが少しずつ元の体に戻っていくのが、ただ嬉しいの。」
ヴィーラはシーツを肩まで引き寄せながら、ヘルムデッセンの顔を見上げる。
その表情は、どこか穏やかで、どこか愛おしげだった。
ヘルムデッセンは、少しの間じっと彼女を見つめた後、ぽつりと口を開いた。
「……ヴィーラの兄上とは、どんな奴だ?」
その問いに、ヴィーラは小さく瞬きをする。
「ん? そうね……」
彼女は、枕に頬を寄せながら、指先でシーツの端をなぞるように弄んだ。
「……シスコン?」
「……シスコン?」
ヘルムデッセンは眉をひそめる。
「それは……てごわそうだな。」
「ふふっ……」
ヴィーラは、思わず口元を隠しながら笑った。
「意味、ちゃんと分かってるの?」
「分かってるさ。」
ヘルムデッセンは、わずかに肩をすくめながら答えた。
彼の答えに、ヴィーラは少しだけ目を細める。
彼は本当に理解しているのだろうか。
——まあ、それはさておき。
ヴィーラは、ヘルムデッセンの手を取り、そっと自分の指を絡ませるように撫でた。
「筋肉の戻り具合、確かめてるの?」
「あぁ。」
ヘルムデッセンは、もう一度手を開き、ぎゅっと握りしめる。
「銃の練習をしてみる?」
何気なくヴィーラが問いかけると、ヘルムデッセンは少し考えるように視線を落とした。
「……俺は、剣と共に生きていたい。」
ゆっくりと、けれど迷いのない口調で言う。
「……が、ヴィーラの兄上との戦いとなると話は別だな。考えておく。」
その言葉に、ヴィーラは小さく頷いた。
「そう……なら、次に戦争へ行く時は、私も連れて行って。」
ヘルムデッセンの動きが止まる。
ゆっくりと、彼女の瞳を見つめる。
——そして、ヴィーラもまた、彼の赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「……」
二人の視線が交わり、静かな沈黙が降りる。
しばらくして、ヘルムデッセンが口を開いた。
「……ひとつ、条件がある。」
「何?」
ヴィーラは、少しだけ眉を寄せながら問い返す。
ヘルムデッセンは、わずかに目を伏せて、低く呟いた。
「お前が死ねば——俺は、自害する。」
ヴィーラの呼吸が、一瞬だけ止まった。
——自害。
それは、彼がどれほどの覚悟で言っているのか、一瞬で理解できる言葉だった。
「……」
ヴィーラは唇を噛みしめる。
「ヘルヴィクトはどうするの。」
そう問いかけた声は、かすかに震えていた。
「……それが心配なら、来なければいい。」
ヘルムデッセンの答えは、冷静で、けれどあまりにも真剣だった。
ヴィーラは深く息を吸い、ゆっくりと考える。
(……知恵が回るようになったわね。)
出会った頃の彼なら、こんな言葉を言えなかった。
けれど、今のヘルムデッセンは違う。
生きることの意味も、死ぬことの意味も、すべてを理解した上で——
それでもなお、「共に生きる」ことを選んでいる。
それが、彼の覚悟。
ヴィーラは、ゆっくりと目を閉じた。
静かな夜の中、暖炉の炎がかすかに揺れる音だけが響いている。
彼の言葉が、胸の奥に深く突き刺さる。
——もし、私が死ねば、彼は迷わず自害する。
それは、冗談でも、脅しでもない。
彼がどれほど私を想ってくれているか、痛いほど伝わるからこそ、軽々しく否定することはできなかった。
けれど——
それをただの誓いとして受け止めるほど、私は無力ではない。
私は、そっと目を開いた。
黄金の瞳が、深紅の瞳をまっすぐに捉える。
「……いいわ。」
静かに、けれど確固たる決意を込めて告げる。
「互いに生き残れなきゃ意味がないもの。」
彼の瞳の奥に、かすかな驚きが走った気がした。
「あなたが死ねば——おのずと、デュークデイモン辺境伯領は終わるわ。」
その事実を突きつけるように、はっきりと告げる。
「だから、ついていく。」
ヘルムデッセンは、一瞬だけ目を細めた。
そして——ゆっくりと、微笑む。
その微笑みには、戦場に生きる男の鋭さと、愛する者を見つめる温かさが混ざり合っていた。
「……お心のままに。」
低く、優しく囁かれる言葉に、心がかすかに震えた。
その瞬間——
ヘルムデッセンの大きな影が、ヴィーラを包み込むように覆いかぶさる。
「……っ」
小さく息を呑んだ瞬間——
「ん……」
唇が触れ合った。
熱く、深く、そして甘い口づけ。
静寂の夜に、二人の吐息だけが溶け合う。
腕を伸ばし、そっと彼の首に手を回すと、彼の体温が肌に染み渡るようだった。
ヘルムデッセンは、一度だけ唇を離し、ヴィーラの額にそっと口づける。
「お前が生きていることが、俺にとってのすべてだ。」
低く囁かれる言葉に、ヴィーラは小さく微笑む。
「……だったら、ちゃんと生きて、ヘル。」
「……お前となら、どこまでも。」
そして再び、唇が重なる。
燃えるような熱が、全身に広がっていく——
夜の静寂の中、二人の影はゆっくりと絡み合い、
確かな誓いとともに、ひとつになっていった——。
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冷たい月光が、大理石の床を淡く照らしていた。
広々とした部屋の中央には、大きなテーブルが置かれ、その上には広げられた世界地図。
地図の上にはいくつもの駒が並べられ、戦況を示すように配置されている。
ヴィトー・ベルホックは、その地図をじっと見つめていた。
細長い指で駒を一つ動かし、まるで未来の盤面を計算するかのように、無言で戦略を巡らせる。
「……さて、どう動くべきか。」
低く呟きながら、視線を別の駒へと移す。
この盤上では、人の命も国の命運も、単なる数字のように見える。
どこを削り、どこを強くし、どの駒を捨て駒にするか——
それを決めるのは、常に"勝者"だ。
そんな彼の思考を遮るように、部屋の隅から震えた声が漏れる。
「……俺は……悪くない……俺は……悪くない……」
シーツにくるまり、ガタガタと震えている男——第一王子、デヘリム・イーデュルス。
彼は、もはや"王族"の威厳も何もない姿だった。
顔色は青白く、頬はこけ、荒い呼吸を繰り返しながら、時折訳の分からない言葉を呟く。
まるで闇に怯える幼子のように、己の存在をかき消すかのように震えていた。
ヴィトーは、シーツの中で縮こまる王子を冷静に見下ろす。
「デヘリム様、いつまでもここにいても、何も変わりません。」
淡々とした口調で告げる。
しかし、デヘリムはその言葉にも反応できず、ただ震え続けた。
「俺は……悪くない……俺は……何も……」
「では、次の一手を打ちましょう。」
ヴィトーは地図の上に手を伸ばし、駒を一つ動かす。
その駒が示すのは——デュークデイモン辺境伯領。
「次は、戦争をさせて戦死させましょう。」
静かに、けれど確信に満ちた声で告げる。
「そうすれば、もう怖いものはなくなるでしょう?」
デヘリムの体が、ビクンと震える。
「……だが……あ、兄上は……英雄……と呼ばれるくらいに……いや……化け物……とも……。」
震える声で、消え入りそうに呟く。
その言葉を聞いたヴィトーは、少しだけ目を細めた。
「……しかし、デヘリム様はご覧になったのでしょう?」
彼は、優雅にテーブルの端へと指を滑らせる。
「去年の公爵家のパーティーに姿を現したデュークデイモン辺境伯——」
そこで、ふっと薄く笑う。
「以前のような迫力はなく、剣を持つことすらできなさそうだったそうじゃないですか。」
静かな部屋の中に、その言葉がゆっくりと沈み込んでいく。
デヘリムの息遣いが、荒くなる。
「……」
ヴィトーは、王子の恐怖に満ちた表情を見つめながら、にこりと微笑んだ。
「次こそ——うまくいきますよ。」
月光の下、静かに笑うその姿は、まるで狡猾な策士のようだった。
冷え冷えとした空気が流れる中、
デヘリムの震えは止まることなく続いていた——。
あとがき
お楽しみいただき、心より感謝申し上げます。
いつも温かい応援、本当にありがとうございます。
この作品を通じて、多くの方に支えていただいていることを実感し、とても励みになっています。皆様からのご感想やご意見が、私にとって何よりの力となっています。
ただ、今後の更新頻度について少しお伝えしたいことがあります。現在、別のコンクールに応募する作品を執筆しており、入賞や書籍化を目指して新しい作品を書き続ける必要があります。そのため、どうしても更新が減ってしまうことがあるかもしれません。楽しみにしてくださっている皆様には申し訳なく思います。
ですが、この作品を応援してくださっている方が多いことを強く感じておりますので、できる限り 1日1更新 を目指して頑張っていこうと思っています!引き続き、楽しんでいただければ幸いです。
最後になりましたが、いつも応援してくださる皆様に心から感謝申し上げます。ご意見や感想など、ぜひお聞かせいただけますと励みになります。今後ともよろしくお願いいたします!




