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数週間が経った。


 戦後の処理に追われ、ヴィーラティーナの毎日は目まぐるしく過ぎていった。戦利品の整理や領地復興の計画、各地との交渉など、山積みの仕事に囲まれながら、一日の終わりには疲れ果てて椅子に沈み込むこともしばしばだった。だが、その努力の甲斐もあってようやく落ち着きが見え始め、ほんの少しだけ息をつく時間ができた。


 そんなある日の午後、ヴィーラは広間でダンスの練習をしているヘルムデッセンを見つけた。


 彼は鏡の前で何度も足の運びを確認しながら、真剣な表情で動いていた。堂々と戦場を駆ける勇猛な戦士とは思えないほど慎重な動きだった。


 それでも、彼が懸命に努力する姿に、ヴィーラは自然と微笑みをこぼした。


「練習、付き合いますよ。」


 ヘルムデッセンはびくっと肩を揺らし、振り返る。


「いや!いい。まだ足を踏むから……危ない……。」


 その返答に、ヴィーラはくすっと笑う。


「そうですね。だから気をつけて踊ってくださいね。」


 優雅に微笑みながら、彼の手をそっと取る。


「え、ちょっ……」


 戸惑うヘルムデッセンだったが、ヴィーラの手の温もりに逆らえず、ぎこちなく手を握り返す。


「では、いきますよ。」


 そう言うと、ヴィーラは自然な流れで足を動かし、ゆったりとしたステップを踏んだ。


 ヘルムデッセンは極端に慎重になりすぎているのか、まるで繊細な宝石を扱うかのようにぎこちなく動く。


「もっと自然に動いていいんですよ?」


「いや、踏んだら大変だろ……。」


「私のこと、そんなに弱いと思っているのですか?」


 ヴィーラが少し意地悪く微笑むと、ヘルムデッセンは目を泳がせながら小さくうめいた。


「……そういうわけじゃないが……。」


 彼の言葉に、ヴィーラはさらに笑みを深める。


「じゃあ、もう少しリラックスしてください。」


 ヘルムデッセンは緊張した面持ちで深呼吸し、もう一度慎重に足を運ぶ。


 すると、最初よりもスムーズに動き始めた。


「……あれ?」


「ほら、できているじゃないですか。」


 ヴィーラが褒めると、ヘルムデッセンは不器用ながらも自信を持ち始めたのか、ほんの少し動きが自然になった。


 まだ時折ぎこちない部分はあるが、それでも最初に比べると格段に上達している。


 慎重になりすぎるからこそ、彼は着実にダンスを身につけていった。


 ヴィーラはその様子を微笑ましく思いながら、手を引かれる感覚をゆっくりと楽しんだ。


 練習を続けるうちに、窓の外の光が次第に傾き始める。


 ヘルムデッセンは何度もステップを踏み直し、ミスをするたびに真剣な顔で確認しながら繰り返した。


「もう一回……。」


「ヘル、頑張りすぎですよ。」


 ヴィーラが微笑みながら軽く手を握ると、ヘルムデッセンは一瞬驚いたようにこちらを見た。


「でも、もっと上手くならないと……。」


「もう十分、よくなっています。」


 ヴィーラは優しく言葉をかけながら、彼の頑張りを労うように手を握った。


 窓の外には赤く染まる夕陽が広がり、部屋の中にも暖かな色が差し込んでいた。


―――――――――――

―――――――


食堂での夕食の時間、ヴィーラは向かいに座るヘルムデッセンをじっと見つめた。


「ヘル、もしかしてウィンターン公爵家から届いた舞踏会の招待状を気にしてダンスの練習をしてたの?」


 彼の手が一瞬止まる。スプーンを持ったまま、赤い瞳が僅かに揺れた。


「……公爵だからな。行かないといけないだろ。」


 彼の声音は低く、しかし以前よりも明らかに貴族の慣習を理解している様子がうかがえた。


 今朝、舞踏会の招待状が届けられたとき、ヘルムデッセンは執事と少し相談していた。どうやら行くべきかどうか迷っていたらしい。その会話をヴィーラが耳にしていたことに、彼は気づいたのかもしれない。


 彼は戦場では無敵の将軍でありながら、貴族社会の流儀には未だに馴染めずにいた。しかし、こうして舞踏会の重要性を理解しようとしていることは、成長の証でもある。


「ヘルも段々と学んできて、わかるようになってきたのね。」


 ヴィーラは優しく微笑みながら、食事を口に運ぶ。


「じゃあ、明日はお揃いの衣装を作りに行きましょうか。」


 その言葉に、ヘルムデッセンの動きが止まった。口を半開きにしたまま、驚きの表情でヴィーラを見つめる。


「お、お揃い!?」


「それが普通よ。夫婦だもの。」


 至極当然のことを言うように、ヴィーラは軽く肩をすくめる。


 だが、ヘルムデッセンにとってはそうではなかった。彼はまじまじとヴィーラの顔を見つめ、次の瞬間、顔を真っ赤にして口をパクパクと動かす。言葉を探しているようだったが、うまく出てこない。


「お、おそろい……夫婦……!」


 ようやく絞り出した声は、普段の彼の豪快さとはかけ離れていた。


 ヴィーラはその様子を見て、微笑ましくなってしまう。戦場では百戦錬磨の彼が、こうしたことにはまるで初心な少年のように動揺するのが、どこか愛おしかった。


 そして、ヘルムデッセンはようやく正気を取り戻したように、深呼吸をして胸を張った。


「……お心のままに!」


 堂々と言い切ったその言葉に、ヴィーラは思わずくすっと笑ってしまう。


(今日覚えた単語かしら?)


 そんなことを思うと、彼の一生懸命な姿勢がますます愛おしく感じられた。


 彼はまだ不器用で、社交の場に慣れていない。それでも、ヴィーラと共にいることで少しずつ変わろうとしている。そんな彼の成長を見守るのが、ヴィーラにとって何よりも楽しく、心を温かくさせるのだった。


 窓の外には、夜の帳が静かに広がっていた。


―――――――――

――――――


その夜、ヴィーラとヘルムデッセンは並んでベッドに横になっていた。


 月明かりが柔らかく部屋を照らし、静寂が二人を包む。肌寒い夜風がカーテンを揺らし、かすかな音が響く中、ヘルムデッセンがぽつりと呟いた。


「結婚式……早くあげたいな……。」


 その声には、どこか遠い未来を夢見るような甘さが滲んでいた。


「……結婚式の衣装も作ってもらわないとですね。」


 ヴィーラは静かに応じ、ヘルムデッセンの横顔をちらりと見る。


「金は足りてるか? だめだったら俺、また頑張るから。」


 彼は真剣な表情でこちらを見つめる。財力が十分にあることはわかっているはずなのに、それでも彼は何かをしてあげたくて仕方がないのだ。


「お金は十分すぎるほどありますよ。大丈夫です。」


 ヴィーラは微笑みながら、彼の肩を優しくポンポンと叩く。


「俺、もっと完璧になるから……。ヴィーラの隣に立っても恥ずかしくないようにするから……。」


 そう言うと、ヘルムデッセンはぎゅっとヴィーラを抱きしめた。力強い腕に包まれながら、彼女はそっと目を閉じる。


「……無理はしないでくださいね。」


 ヴィーラは彼の背中を優しく撫でながら、静かに囁いた。


 しかし、ヘルムデッセンは離れようとしない。


「だめだ……。無理しないと……ヴィーラに釣り合わない。」


 その言葉に、ヴィーラの心がぎゅっと締め付けられる。


「ヘル……。」


 彼がどれだけ努力を重ねてきたか、どれだけ自分を高めようとしてきたかは痛いほどわかる。だが——。


「釣り合う、釣り合わないなんて、そんなのどうでもいいんですよ。」


 ヴィーラは優しく微笑みながら、彼の頬に手を添えた。


「私だってずっと、生きづらいと思ってきました。貴族の娘として生まれたけれど、“女が賢いのはよくない”と言われ、どれだけ知識をつけても、どれだけ努力をしても、それは価値のないもののように扱われてきました。」


 ヘルムデッセンの瞳が揺れる。


「貴族社会の中で、自分を押し殺しながら生きるのがどれほどしんどかったか……。でも、そんな私を認めてくれたのはヘルでした。あなたは私の能力をちゃんと見てくれた。」


 ヴィーラの手がそっと彼の髪に触れ、指先が優しく梳く。


「あなたが私に、“働けるぞ”と言ってくれたあの日、私は本当に救われたんです。」


 ヘルムデッセンは息を飲んだ。


「だから、ヘルはもう十分釣り合っていますよ。無理をしなくても、あなたはあなたのままで、私にとって最高の人なんです。」


 ヴィーラはそっと額を寄せ、彼の赤い瞳をじっと見つめる。


 ヘルムデッセンの顔がほんのりと赤く染まる。唇を開きかけて、しかし言葉が出てこないのか、ぎゅっと目を閉じた。


「……おまえって、ずるいな。」


 かすれた声でそう言うと、再びぎゅっとヴィーラを抱きしめた。


「……ありがとう。」


 その声は、どこか震えていた。


「おやすみなさい、ヘル。」


 ヴィーラは穏やかに目を閉じる。


 ヘルムデッセンはしばらく彼女を見つめていたが、やがてそっと目を閉じ、彼女の手を優しく握りしめたまま、眠りについた。

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