㉞
——彼の唇が、そっと彼女の唇を塞いだ。
ヴィーラは、一瞬、時が止まったように感じた。
ヘルムデッセンの唇が触れた瞬間、それが今までの彼とはまったく違うことを、彼女の全身が理解した。
——熱い。
リハーサルのときの儀礼的な口づけとは違う。
そこには、"誓い"だけでなく、彼の想いそのものが込められていた。
けれど、不思議と荒々しさはない。
強く、深く、それでいて優しく。
それはまるで、彼がヴィーラを大切にしていることを確かめるような口づけだった。
彼の手が、そっと彼女の頬を包む。
親指がかすかに肌を撫で、その指先が熱を帯びているのが分かる。
「…………っ」
驚きと戸惑いの中で、彼の腕がしっかりとヴィーラの腰を引き寄せる。
ゆるやかに、けれど確かに彼の胸の中へ包み込まれるように。
そして——
彼の舌が、そっと入り込んできた。
(……っ!!?)
瞳を見開くヴィーラ。
ヘルムデッセンは、今まで唇が触れるだけのキスしか知らなかったはず。
なのに。
これは、明らかに"学んだ"ものだった。
「……ん……っ……」
心臓が大きく跳ねる。
ゆっくりと舌を絡めるような、慎重で、それでいて彼の強い意志を感じさせる口づけ。
決して乱暴ではなく、けれど確かにヴィーラを求めていると伝わってくる。
(……な、なんでこんなに……。)
呼吸すら忘れそうなほどに、深いキス。
まるで、ヴィーラが逃げられないように、彼の腕がしっかりと支えている。
彼がこんなにも熱を込めたキスをするなんて、思ってもみなかった。
(こんなキスっ……どこで……?)
彼の指先が、そっとヴィーラの背を撫でる。
一瞬、身体が軽く震えた。
——やばい。
このままでは、どこまでも飲み込まれてしまいそうだ。
「……っ」
ヴィーラは、息を整えるために彼の胸を軽く押した。
ようやく、ヘルムデッセンはゆっくりと唇を離した。
——名残惜しそうに。
彼の赤い瞳が、真っ直ぐにヴィーラを見つめる。
(……そんな顔しないで……。)
情熱と誓いと、確かな愛を滲ませた瞳。
ヴィーラが言葉を発するより早く——
ヘルムデッセンは、口パクで静かに囁いた。
「——学んだ。」
(……っ!!!)
その瞬間、ヴィーラの頬が一気に紅潮する。
「おおおおおお!!!」
「なんという……!!!」
「堂々たる誓いの口づけ……!」
静まり返っていた大聖堂が、一気に歓声で満たされた。
貴族たちは興奮し、騎士団の仲間たちは大喜びし、王族ですら驚きを隠せない様子だった。
(……このバカ……!!!)
ヴィーラは唇に残る熱を感じながら、小さくため息をついた。
(リハーサルの時の控えめなキスとは、まるで別物じゃない……!)
堂々と、何も隠さず、誓いを示すような口づけ。
「……っ、もう……。」
ヴィーラは、軽くヘルムデッセンの胸を叩いた。
ヘルムデッセンは、悪戯を成功させた子供のような顔で、満足そうに微笑んでいた。
(……ほんとに、学んでくるんじゃないわよ……。)
息を整えながらも、ヴィーラはふと気づく。
(でも、嫌じゃなかった……。)
むしろ——。
(嬉しい、かも。)
胸が高鳴るのを抑えながら、彼の手をそっと握り返した。
こうして——
3年の時を経て、デュークデイモン夫妻の遅すぎる結婚式は、誰もが認める"歴史に刻まれる"ものとなったのだった。
―――――――――
―――――――
静かな夜が訪れた。
窓の外には、王都の夜景が広がっている。
祝福の宴が続く賑やかな音は、ここまで届かない。
この部屋だけが、まるで別世界のように静かだった。
ヴィーラは、深く息を整え、寝室の扉をそっと押し開いた。
「……お待たせ。」
普段と同じ部屋、普段と同じ夜——
なのに、"特別な夜"だということが、どうしても意識から離れなかった。
纏っているのは、薄く柔らかなシルクの特別なネグリジェ。
肩から滑るようなデザインは、普段のドレスとは違い、どこか大胆で……肌が直接触れる部分が多い。
(……いつも通りに振る舞えばいいのに。)
そう思いながらも、自然と足が遅くなる。
視線の先には、ベッドの横に腰掛けたヘルムデッセンがいた。
そして——彼は、まるで時間が止まったかのように固まっていた。
真っ赤になって。
「……ヘル?」
彼女がそっと名前を呼ぶと、ヘルムデッセンは息を詰まらせ、生唾を飲み込んだ。
彼の喉が、静かな寝室の中で僅かに動く。
赤い瞳がヴィーラを見つめている。
まるで、目の前に信じられない光景が広がっているかのように——。
「……。」
しばらく動かないまま、彼はゆっくりと立ち上がった。
そして——
「っ!」
次の瞬間、ヴィーラは宙に浮いた。
「きゃっ……!」
ヘルムデッセンが、何の前触れもなく彼女をお姫様抱っこしたのだ。
「ヘル——」
言い終わる前に、彼の腕が強く締められる。
まるで、決意を固めたかのように。
「ヴィーラ……」
低く、掠れた声。
彼の体温が、いつもよりも熱く感じる。
肌の距離が近すぎて、心臓がどんどん早くなる。
そして——
ベッドの上に、優しく押し倒された。
シーツがふわりと揺れる。
ヘルムデッセンの逞しい腕が、ヴィーラの上に影を落とす。
「……今日のヘルは、よく頑張ったわ。」
彼の赤い瞳を見上げながら、ヴィーラは微笑んだ。
「だから……ご褒美、になるかしら?」
それに対し、ヘルムデッセンは息を詰め、まるで宝物を目の前にしたような顔で——
「……あぁ、十分……ご褒美だ。」
低く、熱のこもった声が、ヴィーラの耳元をくすぐる。
最高のムードが漂っていた。
彼の指先が、ヴィーラの頬をそっと撫でる。
親指が僅かに唇の端をなぞり、すぐに彼の顔が近づいてくる。
(あ……。)
彼が何をしようとしているのか、すぐに分かった。
——キス。
けれど、リハーサルの時や、結婚式の誓いの口づけとは違う。
これは、まるで熱を帯びた、別のもの。
彼の唇が、そっと重なる。
そして——
深く。
「……っ」
ヴィーラは、自然と目を閉じる。
リハーサルの時のような、儀礼的なものではない。
誓いの時のような、静かなものでもない。
舌が、そっと絡められる。
(……!?)
驚きに息を飲む間もなく、彼の腕が強くヴィーラを抱き寄せる。
息が溶け合うほどに、長く、深く、熱を込めたキス。
ただ触れるだけではない。
舌を絡め、何度も角度を変えながら、まるで"想いを伝えるような"口づけだった。
(……他の女で学んでたら承知しないんだから!!)
恥ずかしさと、戸惑いと、喜びが入り混じり、ヴィーラの胸が高鳴る。
「……っ」
ヘルムデッセンがゆっくりと唇を離すと、ヴィーラは熱を帯びた息を小さく吐いた。
唇がひどく熱い。
彼の赤い瞳が、潤んだヴィーラの顔をじっと見つめている。
「……。」
静かな夜の中、彼はふと何かを思い出したように微笑んだ。
(……?)
次の瞬間——
「んっ……!? ちょ、ちょっと……!」
ヴィーラの体が、くすぐったさにビクッと跳ねた。
ヘルムデッセンの指が、彼女の腰や脇腹をゆっくりと撫でるように這う。
予想外の刺激に、思わず体が捩れる。
「……へ?」
一瞬、何が起きたのか分からず、ヴィーラは戸惑った。
しかし、すぐに気づく。
(……まさか。)
彼が、どこか誇らしげな顔をしている。
これは——"本で読んだ知識を試している"顔だ。
「へ…ヘル…どの本を読んだのかわからないけど……」
ヴィーラは、笑いを堪えながら問いかける。
「私に、くすぐったいと言わせたいの?」
ヘルムデッセンは、しばらくじっとヴィーラを見つめ——
満面の得意げな笑みを浮かべた。
「……?」
(そうだと言わんばかりの顔!!!)
その瞬間——
「……っ、あはははっ!!!!!あははははははは!!」
ヴィーラの大爆笑が、寝室に響き渡った。
「ひゃっ……ははっ!! ちょっ……死ぬ!! 死ぬーーーーー!!笑い死ぬ!!ははははっ!」
あまりの可笑しさに、彼女は腹を抱えながら笑い続ける。
その笑い声は、屋敷の下の階まで響いた。
◇◆◇◆◇◆◇
屋敷の一階では…
「……?」
側近や執事たちは、不意に聞こえてきた響き渡る笑い声に、一斉に顔を上げた。
「あの……?」
「今の声は……?」
「房事をされているのではないのか?」
「……いや……何故爆笑してらっしゃるんだ……?」
「まさか……ヘルムデッセン様がミスを?」
部屋の外にいる者たちは、あまりの"異例"な初夜の音に、静かに顔を見合わせたのだった——。
◇◆◇◆◇◆◇
「ヴィ…ヴィーラ、何を間違えたのか教えてくれ……。」
ヘルムデッセンは、しゅんとした顔で呟く。
——あの、"最強の戦士"が。
傷だらけの体を持ち、戦場で名を馳せ、血と汗にまみれながら生きてきた男が。
こんなにも、素直に、拗ねたような顔で。
(戦うことしか知らなかった男が……。こんなにも成長して……。)
胸が温かくなる。
彼が、彼女のために"学んできた"ことが、言葉以上に伝わってきて。
(……とても愛おしい。)
ヴィーラは、くすりと微笑んだ。
「ヘル……こうするのよ。」
そう囁きながら——
彼の逞しい上半身に、そっと唇を落とした。
「っ……?」
ヘルムデッセンが、息を詰める。
首筋、鎖骨、肩口。
優しく、ゆっくりと、キスの雨を降らせる。
「……んはっ!!」
ヘルムデッセンの体が僅かに震えた。
(……可愛い。)
ヴィーラは、微笑みながら、さらに彼の胸元に唇を落とす。
「………くすぐったい……んっ!!」
「ふふ、わかった?」
「わっ!! わかった!!」
焦ったように返事をするヘルムデッセンに、ヴィーラはさらに微笑みを深めた。
(そう、"くすぐったい"っていうのは、こういうことなのよ。)
彼は、まだまだ知らないことが多い。
それでも、間違えながら、学びながら、少しずつ前へ進んでいる。
ヴィーラは、そんな彼を抱きしめながら、静かに目を閉じた。
こうして——
何度も間違えながらも、なんとか初夜を迎える二人であった。
◇◆◇◆◇◆◇←これを打ち込むのが凄くしんどかった。 しかく 変換 しかく 変換スペースエンター しかく 変換スペースエンター………




