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結婚式の朝、王都は快晴に恵まれ、華やかな装飾が施された街並みは、祝祭の空気に包まれていた。
だが、それと同時に、ある"事件"の報せがもたらされた。
「第一王子が呪われたらしく、大聖堂を独占し、使用できなくなったとのことです。」
報告を聞いたヴィーラティーナは、鏡越しに微笑む。
豪奢な婚礼衣装を身に纏いながら、侍女にベールを整えさせつつ、特に慌てることもなく淡々と答えた。
「……呪い、ねぇ。」
その言葉には、呆れと皮肉が滲んでいた。
「それだけではありません。婚礼衣装も行方不明になったようで……。」
報告を続ける侍女も、さすがにこれは一大事だと焦っている様子だった。
しかし、ヴィーラの態度は変わらない。
むしろ、ゆったりと手袋をはめながら、面白がるように問い返した。
「まぁ、随分と手の込んだことをしてくれたわね。」
ヘルムデッセンは、報告を聞きながら、眉をひそめる。
「ヴィーラ、衣装が行方不明ってどういうことだ?」
彼は、横に立つヴィーラを見つめる。
確かに、目の前にいる彼女は、間違いなく婚礼衣装を身に纏っている。
見間違いようのないほどに完璧な装い——失われたはずの衣装が、ここにある。
「……?」
ヘルムデッセンの疑問に、ヴィーラは微笑を浮かべたまま、さらりと言ってのけた。
「偽物を盗まれたのよ。」
「……偽物?」
「ええ、本物とまったく同じ仕様の"予備"を用意しておいたわ。」
その言葉に、ヘルムデッセンの表情が一変する。
「……っ、さすがヴィーラだ!」
彼は思わず、驚嘆の声を上げた。
「つまり、王子側はお前が用意した"ダミー"を奪っただけで、こっちは何の影響もないってことか?」
「その通りよ。細工を仕掛けられるのを見越して、そっくりの予備を作っておいたの。」
彼女は余裕たっぷりに微笑みながら、純白の手袋を指に馴染ませる。
その優雅な動作が、彼女の"したたかさ"を物語っていた。
「しかも、会場も午前と午後の両方で予約していたもの。」
「ははっ、なるほどな!あの時のやつか!」
ヘルムデッセンは初めて義父であるヴィルトンと出会った時のことを思い出しながら、豪快に笑いながら、彼女の肩をポンと叩く。
「王族側がどう動こうと、俺たちの予定には影響がないってことか!」
「ええ、王子に異変が起きた時点で、すでに時間の変更は通達してあったわ。」
ヴィーラの目が、冷静に光る。
「もともと王族以外の招待客には"午後の式"と伝えてあるから、王族が何をしようと、結婚式は予定通りよ。」
「やっぱり、俺のヴィーラは、すごいな……。」
ヘルムデッセンは、心底感心した様子で呟く。
ここまで先を読んで対策しているとは思わなかった。
「ヘルったら、ちゃんと理解できてるのね。」
「当然だろ。俺はもう"学んだ"んだからな。」
彼の言葉に、ヴィーラは微笑んだ。
(そう……彼は、確かに成長している。)
かつてのヘルムデッセンなら、王族の妨害に怒り、剣を手に乗り込もうとしていただろう。
だが今、彼は冷静に事態を把握し、問題なく式が進行することを理解している。
——彼は、すでに"ただの戦士"ではない。
彼は、デュークデイモン領を率いる者としての"視野"を持ち始めている。
「ふふっ。」
ヴィーラは、そんな彼を見つめながら、小さく笑った。
「さあ、準備を続けましょう。待っている招待客たちが退屈しないようにしなくちゃ。」
彼女の言葉に、ヘルムデッセンも口角を上げる。
「……あぁ、行こう。」
こうして、王族の妨害を軽くいなしながら、二人は静かに結婚式の本番へと向かっていくのだった——。
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――――――
午後になる直前、大聖堂は突如として慌ただしく動き始めた。
それまで"呪われた"と称して床に伏せ、教会を独占していた第一王子が、突然立ち上がったのだ。
「……ッ、やはりこれは誤解だった!!」
彼は、思い切り拳を握りしめながら声を張り上げた。
それまで困惑していた神官や使用人たちは、一斉に動き出す。
まるで開かれるのを待ち構えていたかのように、次々と式の準備が整えられていく。
祭壇の周りに花を飾る者、純白の布を敷き直す者、招待客の席を確認する者——。
わずかな時間で、式の準備は完璧に整えられた。
その光景を見て、第一王子は激しく歯噛みした。
「くそっ……!やられた!!」
王族の権威をもって結婚式を妨害しようとしたが、気づけば自分が完全に"踊らされていた"。
まるで、この流れが最初から予定されていたかのように、すべてが進んでいく。
(……まさか、最初から午後に変更されていたのか!?)
悔しさに拳を握りしめるが、今さらどうしようもない。
このままでは"結婚式に王族が参列しない"という前代未聞の失態をさらすことになる。
「くそっ……!俺も出席の準備をする!」
慌てて侍従を呼び、急いで着替えに向かう。
こうして、第一王子は完全にヴィーラティーナの策に嵌まり、屈辱を味わいながらも結婚式へと向かうことになった——。
――――――――――
―――――――
午後、予定通り結婚式が始まる。
大聖堂の扉が開かれ、招待客が次々と中へ入っていく。
すぐに式場は、華やかな貴族たちの姿で埋め尽くされていった。
「……こんなに多くの貴族が集まる結婚式、見たことがないぞ……。」
「まるで王族の戴冠式のようだ……。」
低く囁き合う声が、あちこちで聞こえてくる。
王族や大貴族たちは、最前列に座し、会場の中央を見据えている。
各国の外交官や名のある商人たちすら列席し、華やかな衣装を身にまとった貴婦人たちは、息をのむように天井のステンドグラスを見上げた。
(ここまで多くの要人が集まるとは……。)
王族の席に着いた王妃は、思わず感嘆の声を漏らす。
隣に座る王も、その圧倒的な集まりに静かに目を細めた。
「……大聖堂が満席になる結婚式など、かつてなかったはずだ。」
それほどまでに、この結婚式が"異例"であることを、誰もが実感していた。
神官たちも、この異例の事態にどこか落ち着かない様子だった。
普段の儀式では考えられないほどの参列者が押し寄せ、大聖堂は身動きが取れないほどになっている。
「……このような盛大な結婚式は、教会の歴史の中でも類を見ません。」
神官の一人が、そう呟いた。
それほど、この式は"格が違う"のだった。
そして、ついに——
静寂が訪れ、大聖堂の扉がゆっくりと開く。
静寂が訪れ、大聖堂の扉がゆっくりと開く。
参列者たちの視線が、一斉に扉の方へ向けられる。
荘厳なパイプオルガンの音色が響き渡り、神聖な雰囲気が場を包み込む。
まず、現れたのは——新郎、ヘルムデッセン・デュークデイモン
彼は、堂々とした足取りで、大聖堂の中央へと進む。
漆黒の髪は丁寧に整えられ、鋭い赤い瞳は迷いなく前を見据えている。
戦場で血と汗にまみれた猛将の姿は、そこにはなかった。
彼が身に纏うのは、格式高い白銀の礼服。
繊細な刺繍が施された軍装風のデザインは、彼の強さと威厳を際立たせていた。
肩には王族級の式典用の装飾が施され、胸元にはデュークデイモン辺境伯の紋章。
腰には儀礼用の剣が下げられ、戦士としての誇りを失わぬまま、新郎としての姿を完璧に演出していた。
「……なんという威厳だ……。」
貴族たちは、思わず息をのむ。
普段、彼を"荒々しい辺境の猛将"と侮っていた者たちですら、この場に立つ彼の姿に圧倒されずにはいられなかった。
王族席に座る王妃が、静かに囁く。
「……王の式典と並ぶほどの格式ね。」
ヘルムデッセンは、その視線を意識することなく、まっすぐと歩みを進めた。
ゆっくりと、しかし力強く。
彼の足音が響くたび、大聖堂の厳かな空気にさらなる重みが加わっていく。
そして、祭壇の前に立ち、静かに息を整えた。
(来る……俺の"妻"が。)
その瞬間、大聖堂の扉がもう一度ゆっくりと開かれた。
今度こそ、新婦、ヴィーラティーナの入場である。
純白のドレスを纏ったヴィーラティーナが、ゆっくりと大聖堂の中央へと進む。
手には、純白の薔薇で作られたブーケ。
黄金色の髪が、透き通るようなベールの下で美しく揺れ、ステンドグラスの光がその姿を神聖に照らしている。
「……なんという美しさだ……。」
誰かが、息をのむように囁いた。
ヴィーラは、ゆっくりと歩を進める。
その一歩一歩が、まるで神聖な儀式のような重みを持ち、堂内に漂う緊張感をさらに高めた。
(ヘル……。)
彼女の視線の先には、祭壇の前に立つヘルムデッセンがいた。
普段は戦場で剣を振るう彼も、今日は美しく整えられた正装を纏い、堂々とした佇まいで待っている。
彼の赤い瞳は、まっすぐにヴィーラを見つめていた。
(ようやく、この日を迎えたわね。)
長い時間がかかった。
一筋縄ではいかない関係だった。
それでも、こうして二人は"誓いの場"に立つことができた。
ヴィーラは、静かに微笑む。
そして——
ヘルムデッセンが、彼女の手をそっと取る。
「……来てくれたな。」
低く、優しい声。
ヴィーラは、少しだけ頷く。
「ええ、当然でしょ?」
彼女の声が、堂内に穏やかに響く。
神官が、誓いの儀を進める。
「新郎、新婦は、この場で誓いを交わします。」
静かな空気の中、ヘルムデッセンはヴィーラの瞳をじっと見つめる。
(今度こそ、正式に。)
彼の中で、これまでの思いが交錯する。
戦場ばかりにいた日々。
領地のことを顧みなかった自分。
それでも、彼を見捨てずに支え続けてくれた、目の前の女性。
(誓おう。)
彼は、深く息を吸い込み、静かに誓いの言葉を述べた。
「……俺は、ヴィーラティーナ・ベルホックを、俺の妻とし、永遠に支え、守ることを誓う。」
その声は、大聖堂の奥深くまで響いた。
続いて、ヴィーラが微笑みながら誓う。
「私、ヴィーラティーナ・ベルホックは、あなたの伴侶として共に歩み、あなたの未来を守ることを誓います。」
神官が二人を見渡し、満足げに頷いた。
「この誓いを、天の神が祝福することを願います。」
扉の外から、鐘の音が鳴り響く。
まるで、この瞬間を祝うかのように——。
そして、神官が言葉を紡ぐ。
「新郎は、新婦に指輪を。」
ヘルムデッセンは、慎重に小さな指を持ち上げると、指輪をそっと滑らせた。
黄金に輝く指輪が、ヴィーラの指にぴたりと収まる。
彼女を守ること、共に歩むこと、決して手放さないこと——
そのすべてを誓うように、彼は指輪に軽く唇を落とした。
ヴィーラの黄金の瞳が、一瞬、揺れる。
分かっていたことなのに、指輪を通された瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
それを悟られないように、彼女は小さく息を整えた。
「新婦は、新郎に指輪を。」
ヴィーラは、用意された指輪を指先に挟み、ヘルムデッセンの大きな手を取る。
戦場で鍛えられた彼の指には、無骨な力強さがあった。
彼がどれだけのものを背負い、どれだけの戦いを生き抜いてきたのか——
それを物語る手だった。
指輪を通し、そっと彼の手を握る。
「——神のもとに、二人の誓いが結ばれた。」
神官が静かに宣言する。
そして——
「新郎は、新婦に誓いの口づけを。」
その言葉が告げられるや否や、
ヘルムデッセンは、迷いなくヴィーラの頬に手を添えた。
(……え?)
次の瞬間——




