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結婚式の準備は、予想以上に壮大なものとなっていた。
ヘルムデッセンの"暴走"が功を奏し、かつてない規模の資金が投入されたのだ。
ガーナン帝国を滅ぼしたことで得た戦利品は莫大で、もはや資金が腐るほどある状態だった。
その結果——
結婚式に招待された貴族たちは、今まで経験したことのない"最高級のもてなし"を受けることとなった。
「……なんという贅沢な宿泊施設だ……。」
「これは……王族に匹敵するどころか、それ以上では……?」
貴族たちが通されたのは、まるで王宮のような壮麗なホテル。
すべての部屋には絢爛な装飾が施され、各階には専属の給仕が待機している。
客室にはシルクの寝具が整えられ、窓から見える景色すら美しい。
大理石のバスルームには、香り高い湯が常に準備され、どんな時間でも贅沢な食事が提供される。
——まるで"王侯貴族の夢"がそのまま現実になったかのようだった。
「我々は……この場に相応しいのか?」
一部の貴族は、圧倒的な格の違いを思い知らされ、思わず自問した。
デュークデイモン領は元々"辺境"と見られていた。
しかし、今や王族に匹敵するどころか、並みの王族では到底実現できないような"富と権力"を誇っていた。
「……デュークデイモン辺境伯の力を、侮りすぎていたな……。」
「これは……もはや"新たな時代"が来たと見るべきか……。」
そんな中、貴族たちの中にはこれまでの考えを改めなければならないと感じる者も出てきていた。
(もはや、"辺境の貴族"という認識ではいられない……。)
(この結婚式を機に、デュークデイモン辺境伯は貴族社会の新たな頂点となるのかもしれない。)
豪奢なもてなしに圧倒されながら、貴族たちはそれぞれの思惑を巡らせていた。
一方、その頃、大聖堂では…
「——それでは、新婦様、新郎様。誓いの言葉の流れを確認します。」
静かな大聖堂の中で、神官が厳かな声を響かせる。
高い天井、煌びやかなステンドグラス、厳かな雰囲気が漂う中、
ヴィーラティーナとヘルムデッセンは、誓いの言葉のリハーサルをしていた。
「……新婦は、ここからゆっくりと歩いていただき、新郎様のもとへと向かいます。」
神官の言葉に従い、ヴィーラはゆっくりと祭壇へ向かって歩き始める。
純白のドレスの裾が床を滑るように揺れ、静寂の中に靴音が響く。
(こんなに大きな式になるなんて、思ってもみなかったわね。)
この結婚式は、単なる二人のためのものではなかった。
貴族社会、王族、国外の要人までもが注目する"大きな節目"。
これは、デュークデイモン領とベルホック家の"力"を見せつける場でもある。
(……でも、それは二の次。私は、ただ——。)
ヴィーラは祭壇へと進み、ヘルムデッセンの前に立った。
彼は、少しぎこちないながらも、彼女を静かに見つめている。
これまで幾度となく戦場を駆けてきた男が、今は"誓い"という新たな戦場に立っている。
(この人が、私の夫。)
改めてそう思うと、胸が少しだけ熱くなる。
「——それでは、新郎様。新婦様を迎え、誓いの言葉を述べてください。」
神官が促す。
ヘルムデッセンは、ヴィーラの瞳を見つめ、息を整えた。
「……俺は、ヴィーラティーナ・ベルホックを、俺の妻とし、永遠に支え、守ることを誓う。」
その声は深く、真剣で、迷いのないものだった。
「——新婦様は、誓いの言葉を。」
ヴィーラはゆっくりと微笑み、静かに言葉を紡ぐ。
「私、ヴィーラティーナ・ベルホックは、あなたの伴侶として共に歩み、あなたの未来を守ることを誓います。」
二人の誓いの言葉が、厳かな聖堂の中に響く。
神官が満足そうに頷き、リハーサルの進行を続けようとした、その時——。
「……ふぅ……。」
隣で、ヘルムデッセンが小さく息を吐いた。
「ヘル?」
彼は少しだけ顔を伏せ、恥ずかしそうに呟く。
「……思ったより、緊張するな……。」
その言葉に、ヴィーラは思わずくすっと笑った。
「ふふ、あなたが緊張するなんてね。」
「……戦場の方がまだ気楽だ。」
「もう、あなたってば。」
ヴィーラはそっと彼の手を握り、優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。これは私たちの誓いなんだから。」
彼の手の温もりを感じながら、彼女は静かに思う。
(この誓いが、私たちの未来を形作る。)
王族に匹敵するもてなし、貴族社会に新たな風を吹き込む結婚式、
そして——この誓いの言葉が、二人の未来の礎となる。
ヘルムデッセンは、彼女の手を強く握り返し、小さく笑った。
「……あぁ。」
そして、リハーサルは、ゆっくりと進んでいった——。
―――――――――
―――――――
リハーサルを終えた後、大聖堂を出ると、空は茜色に染まっていた。
聖堂の尖塔が長い影を落とし、黄金色の光が街並みを照らしている。
遠くでは鐘の音が静かに響き、王都の一日はゆっくりと終わりを迎えようとしていた。
ヴィーラは小さく息を吐きながら、そっと腕を組んで隣を歩くヘルムデッセンを見た。
彼は無言のまま、遠く王城の方角を見つめている。
(……また成長したわね。)
以前の彼なら、王の動向など気にもしなかっただろう。
だが今は、領主としての視点を持ち、より広い視野で事態を見ている。
戦士としてではなく、国を守る者として。
「ヘル?」
ヴィーラが問いかけると、ヘルムデッセンは赤い瞳を僅かに細めた。
「……王と王妃は、本当に何もしてこないのか?」
淡々とした口調だったが、その奥には慎重な警戒が滲んでいた。
彼はまだ完全には王家を信じていない。
それは、彼の生きてきた環境を思えば当然だった。
「大丈夫よ。」
ヴィーラは微笑みながら、彼の腕を軽く叩く。
「王と王妃には、さらなる献上品を渡してあるし、ガーナン帝国が更地同然になることで、イーディルス王国は莫大な利益を得ることができたのだから。」
ヘルムデッセンが眉を寄せる。
「……イーディルスが、どれほどの利益を?」
「同盟国のエーデスワップがついに"帝国"になって、ガーナンの領土の半分をイーディルスに譲渡したのよ。」
その言葉に、ヘルムデッセンの目がわずかに見開く。
「……つまり、イーディルス王国は領土が広がったということか。」
「ええ。そのうえ、国境に新しい防衛線ができるから、王と王妃にとっても大きな恩恵になるわ。」
ヴィーラはさらりと言いながら、ゆっくりと歩を進める。
「私たち以上に利益を得る者がいるのよ。王と王妃に関しては、何もしてこないわ。」
「……。」
ヘルムデッセンは静かに考え込んだ。
確かに、王家にとっても今回の戦は"都合の良い勝利"となったはずだった。
ガーナン帝国の脅威は消え、新たな帝国との関係が強固になり、領土は拡大。
(そう考えれば、確かに王と王妃が動く理由はないか……。)
「……だが、第一王子と第二王子はどうなんだ?」
ヘルムデッセンの問いに、ヴィーラはクスリと笑った。
「何かしてくるでしょうね。」
あまりにも当然のように言うものだから、ヘルムデッセンは眉をひそめる。
「お前……まさか……?」
「もう手は打ってあるわ。」
ヴィーラは余裕の笑みを浮かべた。
彼女は最初から、王子たちの動きを予測し、すでに対策を講じていた。
「……手を打った、とは?」
「ふふ、当日のお楽しみよ。」
ヴィーラはそっとヘルムデッセンの腕に手を添え、少しだけ身を寄せた。
「ヘル、あなたは私を信じて。」
その言葉に、彼は少しだけ表情を緩める。
「……お前がそう言うなら、信じるさ。」
彼は王城を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。
その瞳には、かつてのような"疑念"はもうない。
ヴィーラはその横顔を見ながら、静かに微笑む。
(……やっぱり、あなたは変わったわね。)
彼は今、戦士ではなく、領主としてこの国を見ている。
それは、彼がデュークデイモン領の"主"としての道を歩み始めた証だった。
夕焼けがゆっくりと夜へと移り変わる中、二人はそのまま王都の街を歩いていった——。




