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辺境伯の妻になりました。2年間の放置の末、突然の熱愛が降ってきた。  作者: 無月公主


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22/53

ダンスが終わると、広間にはまた穏やかな音楽が流れ、貴族たちはそれぞれの会話を再開していた。


ヘルムデッセンとヴィーラは、ダンスの余韻を胸に秘めながら、優雅に立食のテーブルへと向かった。

会場の中央には、美しく並べられた料理の数々が彩り豊かに並び、王都の最高級食材を贅沢に使用した品々が目を惹く。

香ばしく焼き上げられた肉料理、繊細に盛り付けられた海鮮の冷製、黄金色のソースが輝くパイ料理——どれもが一流の味を保証するかのように、美しく仕立てられていた。


ヘルムデッセンは、銀のトングを使いながら、ふと目に留まった一品を手に取る。

串に刺された香ばしい肉料理——上質なハーブとスパイスで丁寧に味付けされ、香りだけでも食欲をそそる。


「ヴィーラ、これを試してみないか?」

彼は落ち着いた口調で言いながら、小皿に料理を乗せて彼女へと差し出す。


「あなたにしては、随分と優雅な言い方ね。」

ヴィーラは小さく微笑みながら、それを受け取った。


「貴族の場だからな。」

ヘルムデッセンは軽く肩をすくめながら、彼女が料理を口に運ぶのを見つめる。


ヴィーラは、慎重に小さく一口かじると——その瞬間、黄金色の瞳がわずかに輝いた。

口の中に広がる豊かな香りと柔らかい肉の食感。スパイスの風味が絶妙に絡み合い、驚くほど洗練された味わいが舌の上で踊る。


「……確かに、美味しいわね。」

彼女は感嘆の声を漏らした。


「気に入ったか?」

ヘルムデッセンは満足げに微笑みながら、ワイングラスを手に取る。


「ええ。想像以上に繊細な味ね。」


「ならば、選んだ甲斐があった。」

彼はゆったりとした動作でグラスを傾け、深紅のワインを一口含む。

そして、ふと微笑みながら彼女の瞳を覗き込んだ。


「こうして君が楽しんでいる姿を見るのは、俺にとっても嬉しいものだ。」


「……そんなことを真顔で言わないで。」

ヴィーラはワイングラスの縁に指を滑らせながら、わずかに頬を染める。


彼の言葉は、まるでワインのように心地よく染み渡る。

かつて粗野であったはずの彼が、こうして自然にエスコートし、貴族の振る舞いを身につけた姿を見せるのは——どこか誇らしくもあり、そして、少しだけ彼の変化に戸惑いを感じる瞬間でもあった。


そう思った瞬間——


「ほう……華麗なダンスだったな。」


低く、よく通る声が背後から響いた。


ヴィーラの背筋が、瞬時にこわばる。


(——デヘリム・イーデュルス!?)


思わず目を見開いた。

ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは、深紅の衣装を纏った男。


美しく整った金の髪に、端整な顔立ち。

そして、王族らしい鋭い眼差しを持つ男——


イーデュルス王国の第一王子、デヘリム・イーデュルスだった。


(まずいわ……どうしよう……。)


心の中で警鐘が鳴る。


ヘルムデッセンの素性を知る数少ない人物——それが、この男、デヘリムだった。

王の嫡子であり、将来国を背負う立場にある彼が、今ここでヘルムデッセンと対峙するということは——。


(もし彼が、ここでヘルムデッセンの血筋について何か言及すれば……。)


ここにいる貴族たちは、一瞬で察するだろう。

彼が単なる辺境伯ではなく、王族の血を引く者であることを。


しかし——


「デヘリム第一王子殿下。」


その場の空気を揺るがせたのは、ヘルムデッセンだった。


彼は何事もなかったかのように、一歩前へと進み、深く礼を取る。

まるで、彼と王族の間に何の繋がりもないかのように。


その動作は、驚くほど完璧だった。

まるで長年社交界に馴染んできた貴族のように、優雅で堂々とした振る舞いだった。


「今宵の宴にてお目にかかれたこと、光栄に存じます。」


デヘリムは、その様子をじっと見つめ、口元にわずかな笑みを浮かべた。


「辺境伯としての振る舞いは、よく心得ているな。」


「恐れ入ります。」


ヘルムデッセンは淡々とした口調で答えた。


デヘリムの瞳が、一瞬だけ冷ややかに光る。


「……この王都の社交界では、お前の存在を興味深く思っている者が多い。

戦場の獣が、これほどの貴族に成長するとはな。」


「貴族として学ぶ機会を得たこと、僥倖でございました。」


微動だにしない。


彼の声には、王族の血筋など一切関係がないとでも言うような、完璧な貴族の落ち着きがあった。

その態度に、ヴィーラは言葉を失う。


(……ヘル、あなた、どれほど…。)


彼がどれだけの努力を積み重ね、この場に立つことを自分のものとしたのか。

デヘリムが何を言おうと、彼は決して動揺しない。

まるで、自分は最初からただの貴族だったかのように——。


(この短期間で、ここまで洗練されるなんて。)


デヘリムは、そんなヘルムデッセンを見つめながら、くつくつと小さく笑った。


「なるほど……わきまえているじゃないか。」


そして、ふと彼の耳元に寄ると、静かに囁いた。


「——大人しくしていろよ、兄上。」


その瞬間、ヴィーラの心臓が跳ねる。


(やっぱり……!)


ヘルムデッセンの赤い瞳がわずかに細められた。

しかし、何も言わない。


ただ、わずかに口元を吊り上げるだけだった。


デヘリムはその反応を見て、満足げに口角を上げると、ゆっくりと背を向けた。

そして、何事もなかったかのように、広間の奥へと去っていく。


彼の姿が見えなくなると同時に、ヴィーラは静かに息を吐いた。


「……。」


ヘルムデッセンは、わずかに視線を落としながら、ワイングラスの中の液面を揺らす。

その赤いワインが、まるで彼の内に潜む激情のように波打った。


「ヘル……。」


ヴィーラは彼の表情を見つめながら、そっと彼の手に触れた。


彼の手のひらは、確かに温かいのに——

どこか、孤独な影が滲んでいる気がした。


「気にするな。」


ヘルムデッセンはふっと笑う。

まるで、何もなかったかのように——。


けれど、ヴィーラにはわかっていた。

彼の中に、確かに何かが生まれたことを。

"兄上"という囁きが、彼に何をもたらしたのかを。


(このまま……何事もなければいいけれど。)


そんなことを思いながら、ヴィーラは彼の手の温もりを、ただ静かに感じ続けていた——。


――――――――――

―――――――


王都の夜空に、馬車の車輪が静かに響く。


華やかな舞踏会の熱気がまだ肌に残る中、ヴィーラとヘルムデッセンは王都の屋敷へ向かっていた。

窓の外を眺めれば、夜の街灯が規則的に並び、王都の夜景が穏やかに広がっている。


しかし、馬車の中の雰囲気は、どこか沈んでいた。


ヘルムデッセンは腕を組み、少し俯きながら、窓の向こうをぼんやりと眺めていた。

無言のまま、表情を読み取ることはできない。


(ヘル……。)


ヴィーラは、彼の横顔をじっと見つめる。

デヘリムとの対峙が、何か影を落としてしまったのだろうか。

このまま沈んだ気持ちのまま屋敷へ戻るのは嫌だった。

だから、彼を励まそうとそっと口を開きかけた——その瞬間。


「ヴィーラ!」


突然、ヘルムデッセンが勢いよく振り向いた。


「俺、うまくできてたか!?」


満面の笑顔。


彼の赤い瞳が、まるで少年のように輝いている。


「……え?」


あまりの切り替えの速さに、ヴィーラは言葉を失う。


「どうだった!? 貴族らしく振る舞えてたか!? 礼儀もちゃんとしてたし、言葉遣いも間違ってなかったよな!?」


彼はまるで戦場で初陣を飾った若き兵士のように、目を輝かせながら尋ねてくる。


(……この人、沈んでたんじゃないの?)


脱力しそうになりながらも、ヴィーラは彼の純粋な期待の眼差しに応えるべく、微笑んだ。


「え、えぇ……とっても素敵だったわ。」


「そうか!」


ヘルムデッセンは、力強く頷き、嬉しそうにヴィーラの手をぎゅっと握る。


「俺のものだって、ちゃんと証明できた!」


彼はそう言って、ヴィーラを優しく見つめる。

その瞳は、まるで夜の灯火のように温かく、揺るぎない。


「……っ!」


ヴィーラは、彼の真っ直ぐな言葉に一瞬息を詰める。

証明できた——それは、貴族社会に対しても、そして彼自身の心の中でも、きっと同じ意味なのだろう。


だが——。


「……あなたねぇ……。」


ヴィーラは肩の力を抜き、ため息をついた。

沈んでいたと思ったら、これだ。


「弟に会ったのに……。」


「あぁ?」


「デヘリムよ。あなたの弟。」


「ああ、デヘリムか。」


ヘルムデッセンは、気の抜けたような声で答えた。

そして、ワインを飲むように静かに言葉を続ける。


「そうだな。デヘリムに会えたな。」


「……嫌な気分にならなかったの?」


少し慎重に問いかける。


王の婚外子として生まれ、王宮ではなく戦場へ送られたヘルムデッセンにとって、正嫡の王子たちと対面するのは、決して簡単なことではないはずだった。

それこそ、普通なら屈辱を感じたり、怒りを覚えたりしてもおかしくない。


だが——彼は静かに微笑んだ。


「俺は、戦場でああいう奴をよく見る。」


「……?」


「恐いんだよ、ああいう奴らは。」


彼の言葉に、ヴィーラは驚いたように瞬きをする。


「恐い?」


「ああ。恐いから、強い言葉を使う。権威で人を押さえつける。そんな奴は、戦場にもたくさんいる。」


ヘルムデッセンの瞳が、一瞬だけ遠くを見つめた。


「デヘリムも、王宮という戦場で戦ってるんだろう。」


その言葉には、嘲笑や軽蔑はなかった。

ただ、理解があった。


(ちゃんと……わかってるのよね。)


ヴィーラは彼をじっと見つめる。


(デヘリムも、王族としての重責を背負っている。彼もまた、王宮という戦場で生き抜かなければならない。)


ヘルムデッセンは、王宮にはいなかった。

だが、彼はただの辺境伯として生きる中で、貴族社会の本質を見抜いていた。


そして、彼はふっと微笑んだ。


「……俺は、ヴィーラの夫でよかった。ただ、それだけだ。」


「……!」


ヴィーラは、思わず彼の顔を見つめる。


彼は、確かに王の血を引いている。

だが、彼の選んだ道は——王ではなく、辺境伯として、そして、ヴィーラの夫として生きることだった。


その赤い瞳には、何の迷いもない。


(……本当に、この人は。)


ヴィーラは、彼の大きな手をそっと握る。


「……えぇ。私も、あなたが旦那でよかったわ。」


静かな夜の馬車の中で——

二人の手がしっかりと繋がれていた。

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