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18/53

ヴィーラは柔らかな布団の中で、静かに天井を見つめていた。

暖かなランプの灯りがほのかに揺れ、寝室の中を優しく照らしている。


隣には、ヘルムデッセンが腕を枕にしながら横になっていた。

戦場では猛々しい姿しか見せない彼も、こうして寝室では穏やかな空気を纏っている。

まるで、ここだけが戦場の喧騒から切り離された特別な場所のようだった。


「いよいよ、明日には王都へ行かなくちゃね。」


ヴィーラがぽつりと呟くと、隣のヘルムデッセンがゆっくりと目を開け、彼女の方へ顔を向けた。


「あぁ。宿をとるのか?」


「くすっ。」


ヴィーラは小さく笑い、彼を見つめながら優雅に頭を振った。


「王都に家を買ってあるわ。」


「……は?」


ヘルムデッセンの表情が、一瞬にして驚愕に染まる。


「えぇ、あなたが不在の間、私も何度か社交へ出ていたから、その時に購入させてもらったわ。」


「そうか……!」


ヘルムデッセンは感心したように、しばし天井を見つめると——

次の瞬間、勢いよくヴィーラを抱き寄せた。


「おい!? ちょっ……!!」


驚いて顔を赤らめるヴィーラの肩をしっかりと抱きしめながら、彼は朗らかに笑う。


「俺の稼ぎをふんだんに使うヴィーラは最高だ!」


「ちょっ、ちょっと!」


ヴィーラは顔を赤らめながら必死に抵抗するが、彼の腕の中は暖かく、強く、安心感に満ちていた。

戦場では決して見せない、彼の無邪気な笑顔がすぐそばにある。


(……もう、本当に。)


「だいたい、辺境伯ほどの地位を手にしていて、王都に屋敷を持たないのはダメよ。」


彼の胸に押し付けられたまま、ヴィーラは少し拗ねたように言う。


ヘルムデッセンは、その言葉に思わず眉を寄せた。


「そ、そうなのか?」


「そうよ。」


「……また勉強しておく。」


彼はやや不満そうに呟いたが、それでもしっかりと受け止めているのが分かる。


ヴィーラは、彼の髪を軽く撫でながら、ふと思い出したように言った。


「えぇ。デリー王子と一緒に父の授業でも受けてみれば?」


「授業……?」


ヘルムデッセンは一瞬、考え込むように視線を落としたが、やがて納得したように頷いた。


「あぁ、それもいいかもしれないな。」


(ふふ。意外と素直に受け入れるのね。)


彼のそんな姿を微笑ましく思いながら、ヴィーラは彼の腕の中でゆっくりとまぶたを閉じた。


「……ヘル。」


「ん?」


「……なんでもないわ。」


静かに囁くように呟くと、ヘルムデッセンは小さく微笑んで、彼女の髪をそっと撫でた。


「……おやすみ、ヴィーラ。」


その穏やかな声を聞きながら、ヴィーラの意識は次第に深い眠りへと沈んでいく。


暖かさに包まれながら——

ゆっくりと、静かに——


明日への期待と共に、二人は心地よい眠りへと落ちていった。


――――――――――

―――――――


朝焼けが東の空を淡く染める頃、ヴィーラとヘルムデッセンは王都へ向けての出発を迎えた。


澄んだ冷たい空気が肌を撫で、寝静まった領地の屋敷に朝の光が差し込む。

ヴィルトン・ベルホックは玄関前に立ち、厳格な顔立ちを保ちながらも、どこか名残惜しそうな表情を浮かべていた。


「気をつけるのだぞ。」


「えぇ、お父様。」


ヴィーラは微笑みながら言葉を返し、手綱を持つヘルムデッセンへと視線を向けた。


「あなたも。」


「わかってる。」


ヘルムデッセンは力強く頷き、手綱を引く。

馬が軽く鼻を鳴らしながら前脚を踏み鳴らし、準備を整えるように動く。


ヴィルトンは、最後まで真剣な目で彼らを見送っていたが、ふと目を細めた。


「くれぐれも無理はするなよ、ヘルムデッセン殿。」


「……はい。」


彼の言葉には、まるで“娘を頼む”という意図が込められているようだった。

ヘルムデッセンはその意味をしっかりと受け取り、軽く頷くと、馬をゆっくりと走らせ始めた。


ヴィーラは父に向けて最後の会釈をし、馬の揺れと共に王都への道を進み始める。



しばらくして、街道に出ると、視界に別の馬車が走っているのが見えた。


黒塗りのそれは、荷物も何も積んでおらず、完全に空であることがわかる。


ヘルムデッセンはちらりとヴィーラの横顔を見やりながら、静かに問いかけた。


「聞かないの?」


「何を?」


「どうして馬で移動するのか。」


ヴィーラは小さく微笑んだが、その表情にはどこか影が差していた。


「……聞いたんだ。」


ヘルムデッセンの赤い瞳がわずかに細められる。


「1年前の公爵家のパーティーの日、お前が襲われたことを。」


その言葉に、ヴィーラの瞳がかすかに揺れた。

彼女の頭の中には、あの夜の出来事が鮮明に蘇ってくる——。


――――――――――――

――――――――

冷たい夜風が、馬車のカーテンをわずかに揺らした。


それは、領地の経営がようやく安定し始めた頃のことだった。

貴族社会とのつながりを維持し、今後の経済や政治における影響力を確立するため、ヴィーラは王都で開かれる公爵家のパーティーへ向かっていた。


馬車の中、彼女は静かに本をめくりながら、護衛たちの様子を気にしていた。

数人の兵士が馬を並べ、常に警戒しながら進んでいる。


(……この道は比較的安全なはず。)


そう思った矢先——。


——ドンッ!!


突然の衝撃が車輪に伝わった。


「……っ!」


馬車が大きく揺れ、中にいたヴィーラはバランスを崩しそうになる。

同時に、外から兵士たちの鋭い叫び声が響いた。


「敵襲だ!!!」


その言葉が終わるよりも早く、外で剣がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

馬の嘶きが夜の静寂を切り裂き、怒号と悲鳴が混ざり合った。


(……来たわね。)


ヴィーラは馬車の窓の外を素早く確認する。


森の暗闇から無数の影が飛び出し、鋭い刃を振りかざして護衛に襲いかかっていた。

顔を布で覆い、闇に紛れるような漆黒の装束をまとった男たち——ただの山賊ではない。


(これは……計画的な襲撃。)


単なる無法者の群れではなく、訓練された動き。

まるで、馬車の進路を正確に把握し、待ち伏せていたかのような奇襲だった。


「ヴィーラティーナ様!」


護衛の一人が馬車の扉を叩きながら叫ぶ。


「逃げてください! ここは——!」


——ザシュッ!


声が途中で途切れた。


「……っ!!」


扉の向こうで、鈍く重い音が響く。

ヴィーラは息を詰め、扉の隙間からそっと覗いた。


——護衛の男が、胸から血を流しながら地面に倒れていた。


その背後には、血に濡れた剣を持つ賊の一人が立っている。

その目が、ゆっくりとヴィーラの方を向いた。


背筋に、冷たいものが走る。


(……死ぬ。)


これが戦場なら、無防備な自分はまず助からない。

兵士たちが相手なら、剣を持たぬ者は容赦なく斬られる。


ガチャン——!


馬車の扉が荒々しく開かれた。


「へぇ……これは高そうな荷だ。」


男の声は、冷たく歪んでいた。

彼の手には血のついた短剣が光る。


「貴族の令嬢か? 金目のものは……いや、お前自身を持ち帰るのも悪くねぇな。」


男はにやりと笑いながら、ヴィーラの頬に手を伸ばす。


——その瞬間。


バァンッ!!!


轟音が森に響き渡った。


男の肩が弾け飛び、鮮血が闇夜に散る。


「ぐあっ……!!!」


悲鳴を上げながら、男が地面に転がった。


ヴィーラの手には、硝煙を上げる小さな拳銃が握られていた。

両手はわずかに震えている。


(……撃った……!)


初めての銃撃。

初めて、人間に向けて引き金を引いた。


けれど、それを自覚する暇もなく——。


「やりやがったな……!」


別の賊が、剣を抜いて飛びかかってくる。


ヴィーラはすぐに銃を構え直すが、相手の動きの方が早い。

間に合わない——。


「——っ!」


しかし、その剣が振り下ろされる寸前——外から矢が飛び、賊の腕を貫いた。


「ぐあぁっ!!」


護衛の生き残りが、必死に援護していた。


「ヴィーラティーナ様! 下がってください!!」


(……負けるわけにはいかない。)


ヴィーラはすぐに銃の装填を終え、賊たちに狙いを定める。


再び響く銃声——。

護衛たちの反撃——。


やがて賊は形勢を崩し、撤退を余儀なくされた。


馬車の中、ヴィーラは震える指をじっと見つめていた。


引き金を引いた感触が、まだ指に残っている。


「……。」


冷たい汗が額を伝う。


(私は……殺した……?)


いや、違う。

撃ったのは肩と足だけ。

護衛の処理が確実なら、死んではいない。


それでも——。


(……私は、戦えたのね。)


あの瞬間、体が動いた。

恐怖に囚われる前に、撃つことができた。


護衛のひとりが、血に濡れた剣を握ったまま扉を開ける。


「ヴィーラ様、ご無事ですか……?」


彼の表情には、明らかな安堵の色が浮かんでいた。


「えぇ……私は無事よ。」


ヴィーラは深く息を吸い、いつもの冷静な表情を作る。


(この国では、生き残るために戦うことが必要なのね。)


貴族令嬢だろうと、誰かの庇護のもとにいられるわけではない。

とくに、今の私の立場では——。


(次に襲われた時は……もっと冷静に対処できるように。)


その夜、ヴィーラは何度も手を握り、銃を構える仕草を繰り返した。

震えが完全に消えるまで——。


――――――――――

―――――――


「……聞いてたのね。」


ヴィーラは呟くように言った。


ヘルムデッセンは視線を前へ戻し、静かに手綱を引く。


「……それだけじゃない。」


彼は少しだけ息をつき、まるで独り言のように続けた。


「こうしてお前を抱きながら移動したかったのもある。」


「——っ!」


その言葉に、ヴィーラの胸がかすかに震えた。


彼の腕が、いつの間にかそっと彼女の腰を支えている。

まるで、“どんなことがあっても守る”とでも言うように。


「ヘル……。」


彼の横顔を見ると、真剣な表情のまま、ただ静かに前を見据えていた。


(……ずるいわね。)


彼は、戦場では無敵の戦士だ。

だけど、こんなふうに不意に甘い言葉を落としてくることがある。


「……ふふ。」


ヴィーラは小さく笑った。


「どうした?」


「いいえ、なんでも。」


彼の腕の温もりを感じながら、ヴィーラは静かに目を閉じた。

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