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昼下がりの陽の光が、客室の大きな窓から柔らかく差し込んでいた。

窓際には上質なカーテンが揺れ、金糸の刺繍が光を反射して、穏やかな輝きを放っている。

広々とした室内には、美しく磨かれたアンティーク調の家具が整然と配置され、

客人を迎えるにふさわしい格式のある空間が広がっていた。


この城において最も格式高い客室のひとつ——

それは、今日の来訪者が特別な人物であることを示していた。


ヴィルトン・ベルホック。

ヴィーラティーナの父であり、ベルホック子爵家の当主。

そして、現在のヘルムデッセン領を陰から支援する最大の後援者でもある。


「……さて。」


扉の前に立ち、ヴィーラは一度深く息をついた。

先ほどまでの余裕はどこへやら、隣にいるヘルムデッセンはどこか落ち着かない様子で、

微かに眉間に皺を寄せていた。


「ヴィーラの父親って、どんな人なんだ?」


小声で尋ねる彼に、ヴィーラは軽く微笑んだ。


「厳しい顔をしていて、普段はとても威厳のある方よ。」


「……なるほど。」


ヘルムデッセンは小さく頷く。

その表情には、まるで戦場で敵将と対峙するかのような真剣な緊張感が滲んでいた。


(……いや、相手は俺の義父だろう。)


そう思いながらも、どうしても警戒を解けずにいる。


そんな彼の様子を横目に、ヴィーラはわずかに口元を綻ばせた。


「さっきも言ったけど、ヘルにはとても優しいわよ。」


「……なぜだ?」


彼は不信感たっぷりの表情で彼女を見る。


ヴィーラは涼しい顔で微笑みながら、さらりと告げた。


「お父様に、賄賂を送っているでしょう?」


「なっ……!?」


ヘルムデッセンの表情が、一瞬にして固まった。


「賄賂って……おい、そんなつもりは……!」


「まぁ、正確には“戦利品の一部を実家に流していた”ということね。」


「……!!」


ヘルムデッセンは一瞬目を見開いたが、すぐに納得したように視線を逸らした。

確かに、戦の後の処理の一環として、ベルホック家にも少なからず利益を流していた。

それは領地の発展を考えてのことでもあったし、義父であるヴィルトンに対する最低限の礼儀でもあった。


だが——。


「だから、お父様はあなたにデレデレなのよ。」


「……。」


ヘルムデッセンは無言になった。


(なんか……俺、ただの金づる扱いされてないか?)


扉が開かれる。


「おおお!! これはこれは!! ヘルムデッセン殿!!」


低く威厳ある声が響き渡る。


ヘルムデッセンが顔を上げた瞬間、そこに立っていたのは、一人の堂々とした男性だった。


ヴィーラと同じ、陽光を思わせる黄金色の髪と瞳を持ち、

口元には整えられた髭を湛え、鋭い眼光が威厳を際立たせている。


その姿はまさしく、長年貴族社会を生き抜いてきた男の風格を持っていた。


だが——。


「待ちわびましたぞ!!」


豪快な声と共に、満面の笑みを浮かべたヴィルトン・ベルホックがゆっくりと歩み寄る。


「いやはや、娘があなたに嫁ぐことができたのは、まさに僥倖ぎょうこう! これほど頼もしい婿がいるとは、父としてこれ以上の幸せはない!!」


「……は?」


ヘルムデッセンは完全に固まった。


戦場では幾多の修羅場をくぐり抜けてきた彼だが、こんなに真正面から厚い歓迎を受けるとは思ってもみなかった。


「いやいや! 我が誇る娘の夫殿!!」


ヴィルトンは親しげにヘルムデッセンの肩をがしっと掴み、豪快に笑った。


「領地の発展ぶり、戦の勝利! すべて素晴らしい!!」


「……えっと……。」


「そして、あの戦利品!! 見事なものですな!!」


「……。」


その瞬間、ヘルムデッセンは悟った。


(……やっぱりそういうことか。)


彼の瞳に浮かんだのは、驚きよりも静かな納得だった。

確かに、ヴィーラの実家であるベルホック家へは戦利品の一部が流れていた。

それは彼自身が直接手配したわけではないが、領地経営の一環として自然に行われていたこと。


(つまり、俺はこの義父にとって“最高のカモ”ってわけか。)


横を見ると、ヴィーラが涼しい顔で微笑んでいた。


「言ったでしょう?」


「……。」


ヘルムデッセンは何か言い返そうとしたが、何を言っても無駄な気がしてやめた。


——義父にデレデレされる理由。

それは、単にヴィーラが可愛い娘だからではなく、戦利品を送っていたヴィーラの賜物だった。


「そんなことより、お父さま、会場はおさえてくれた?」


ヴィーラは軽やかに話を切り替える。


「もちろんだとも。」


ヴィルトンは得意げに頷き、懐から書状を取り出した。


「私名義で、春の二週目の月の日の午後に手配してある。」


「ありがとう、お父様。」


その言葉を聞いて、ヘルムデッセンは眉をひそめた。


「何の会場だ?」


「結婚式の会場よ。」


「……は?」


ヘルムデッセンは思わず聞き返した。


「二週目の月の日の午前じゃなかったのか?」


確か、以前決めた日程では午前中の予定だったはず。

ヘルムデッセンはその日のために、すでに準備を進めていた。


しかし、ヴィーラはさも当然のように答える。


「最初はそのつもりだったわ。でも——」


彼女はふっと表情を引き締め、鋭い瞳でヘルムデッセンを見つめた。


「午前の会場もその日で押さえているけれど、多分妨害が入ると思って、午後も確保しておいたの。」


「……妨害?」


ヘルムデッセンの表情が険しくなる。


「……ヘル、あなたが王の婚外子だと分かってから、慎重に考えるようになったのよ。」


ヴィーラは静かに言葉を紡ぐ。


「あなたが正式に王族ではないとはいえ、血統的には王家に連なる存在。それが公になる場で、何も起こらないとは思えないわ。」


ヘルムデッセンはじっと彼女を見つめた。


確かに、自分は王位継承権を持たない。

だが、だからこそ、一部の貴族たちが彼を利用しようと動く可能性はある。

あるいは、王家の権威を守るために、彼の存在を消そうとする者もいるかもしれない。


「それなら、わざわざ午前と午後、両方取る必要はあるのか?」


「ええ、あるわ。」


ヴィーラは迷いなく頷いた。


「午前に何かあっても、午後に予定を変えられる。あるいは、午前を囮にして、午後の式を本番にすることもできる。」


「……。」


ヘルムデッセンは彼女の言葉をしばらく吟味するように考え込んだ。


確かに、彼女の言う通りかもしれない。

彼女はただ慎重になっているわけではなく、最悪の事態を想定して準備を整えているのだ。


「……そこまで考えてたのか。」


「当たり前でしょう? あなたを危険に晒したくないもの。」


ヴィーラは少しだけ微笑んだ。


「私たちの結婚式は、一生に一度の大切な日。絶対に邪魔させないわ。」


その決然とした言葉に、ヘルムデッセンは思わず笑みを零した。


「さすが俺の嫁だ。」


「当然よ。」


ヴィーラは誇らしげに胸を張る。


そんな二人のやり取りを聞いていたヴィルトンは、満足そうに頷いていた。


「いやぁ、良い。実に良い!」


「……何がです?」


「戦も経営も、式の計画すらも完璧! 娘があなたに嫁いだのは、まさに大正解だ!」


ヘルムデッセンはなんとも言えない表情を浮かべながら、ヴィルトンの熱い視線を受け止める。


(……なんか、俺だけがこの状況に振り回されてる気がする。)


彼が心の中でそう思っていると、不意にヴィーラがすっと一歩前に出た。


「ありがとう、お父さま。」


優雅な仕草で礼をしながら、彼女は続ける。


「あともうひとつ、お願いを聞いてもらってもいいかしら?」


ヴィルトンは気分を良くしたように、胸を張って頷いた。


「なんだ? 言ってみなさい!」


ヴィーラは少しだけ間を置き、言葉を選ぶように静かに息を吸った。


そして——。


「極秘なんだけれど……デリー第三王子の家庭教師をしてほしいの。」


空気が、ふっと静かになった。


ヴィルトンの満面の笑みが、ぴたりと止まる。


ヘルムデッセンも、一瞬何を言われたのか理解できず、思わずヴィーラの顔を見つめた。


「……デリー王子?」


ヴィルトンはゆっくりとその名を復唱し、目を細めた。


その瞬間、客室の柔らかな陽光がどこか薄暗く感じられた。


彼の黄金色の瞳が、まるで相手の真意を測るように鋭く光る。


「ほう……。」


その低い声に、ヘルムデッセンは思わず肩をこわばらせた。

先ほどまでの義父の態度とはまるで違う、貴族としての顔——政治の駆け引きを知る男の表情だった。


「ヴィーラ、お前は何を考えている?」


ゆっくりとした口調。

しかし、その言葉の裏には、確かな探るような意図が感じられた。


「もちろん、デリー王子のためよ。」


ヴィーラは微笑みながら、静かに応じた。


「彼はまだ幼いわ。だからこそ、正しい知識と教養を身につける必要がある。それに——」


ふと、彼女の瞳が少しだけ陰る。


「彼が、この国で生きていけるようにするためには、今から準備をしておかなければならないわ。」


「……なるほど。」


ヴィルトンは腕を組み、しばし沈黙する。


その間、ヘルムデッセンは息を潜めて二人の様子を見守っていた。


(ヴィルトン・ベルホック……この男は、ただの父親ではない。彼は、冷静な判断力と鋭い観察眼を持つ貴族だ。)


だからこそ、彼は今、娘の言葉の裏を読み取ろうとしている。


「……極秘というのは?」


やがて、ヴィルトンは視線を戻し、ゆっくりと尋ねた。


「公にすれば問題があることを、お前はすでに見越しているのだな?」


「ええ。」


ヴィーラは頷いた。


「デリー王子は王宮で見捨てられ、ここへ送られたわ。つまり、彼の存在がこの国の未来にとって不都合になり得ると考えられている証拠よ。」


「……。」


「だからこそ、表立って彼を教育するわけにはいかない。」


ヴィルトンは目を閉じ、しばらく考え込むように沈黙した。


ヘルムデッセンは彼の様子を見ながら、内心で思う。


(これは……ヴィルトンが、本気で考えている証拠だな。)


軽く流せる話なら、すぐに了承していたはず。

だが、ヴィーラの言葉の意味を理解した以上、この申し出が単なる「お願い」ではなく、「政治的な賭け」であることを、彼は察している。


そして——。


「……面白い。」


ヴィルトンはふっと口角を上げた。


「よかろう。その申し出、引き受けよう。」


彼の金色の瞳が静かに笑っていた。


「ただし、これは本当に極秘事項だ。」


「もちろんよ。」


「家庭教師をする以上、彼の素質も見極めさせてもらう。」


「ええ。それも期待しているわ。」


ヴィーラとヴィルトンの間で、暗黙の了解が交わされる。


その様子を見て、ヘルムデッセンはゆっくりと息をついた。


(……俺の義父、やっぱりただの金の亡者じゃないな。)


先ほどまでのデレデレした態度はどこへやら。

今そこにいるのは、冷静かつ慎重に未来を見据える、老練な貴族の姿だった。


彼の決断は、この国の未来を左右するかもしれない。


そして、それに関わるのは、自分たち——ヴィーラとヘルムデッセン、そしてデリー王子。


新たな局面の始まりを感じさせるような、静かで重い空気が、客室を包み込んでいた。


——この話が、後にどれほどの影響をもたらすのか。

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