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辺境伯の妻になりました。2年間の放置の末、突然の熱愛が降ってきた。  作者: 無月公主


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15/53

戦が終わり、朝の空気がひんやりとした冷たさを帯びながら、次第に温もりを取り戻しつつあった。

夜明けとともに、捕虜となった者たちは自ら動き始めていた。


ヴィーラが見渡した先では、彼らが与えられた土地に仮設住宅を建て始めている。

何かを待つだけだった敗者の目が、今は手を動かし、少しずつ活気を取り戻しつつあるのが分かった。


(……生き延びることができると分かれば、人は動くものね。)


麻痺毒によって余計な負傷をせずに捕虜となった彼らは、こうして新たな生を与えられた。

それでも、戦場にいた者たちの目には、まだ警戒と困惑が残っている。


(それはそうよね。昨日まで命をかけて戦っていた相手の地で生きるのだから。)


ヴィーラは静かに腕を組みながら、労働に励む彼らの様子を眺めていた。

泥を塗り、柱を立て、協力しながら少しずつ形になっていく住居群。

戦で奪うばかりだった者たちが、こうして建てる側に回るのは皮肉でもあった。


「ヴィーラ、何を考えている?」


隣でヘルムデッセンが低い声で尋ねる。


「……いえ、彼らも必死なのだな、と思っただけですよ。」


「そりゃそうだろう。ここで役に立たなければ、生き延びられる保証もないんだからな。」


彼の言葉は淡々としていたが、どこか納得したような響きを帯びていた。

ヘルムデッセン自身、戦場で生きてきた男だ。敗者の行く末を見届けるのは、彼にとっても珍しいことではないのだろう。


ヴィーラはひとつ息を吐き、視線を前へと戻した。


「ヘル、そろそろここは任せて、領地に帰りましょう。」


ヘルムデッセンは彼女の言葉に軽く眉を上げたが、すぐに頷いた。


「……わかった。」


戦場に長くいる必要はもうない。


捕虜たちの管理も、これからは領地の家臣や役人たちに任せることになる。

ここでの役目は果たしたのだから、あとは領地に戻り、次の準備を進めるべきだった。


ヴィーラはデリー王子へと視線を向けた。

彼は相変わらず静かに立ち尽くしていた。


(……やっぱり、一言も発しないのね。)


どこか物悲しいほどに無表情で、まるでこの世の全てを諦めたかのような目をしている。

だが、それは決して無思考ではない。


彼の碧眼は、まるで答えを探るように周囲を観察していた。

この状況を、そして自分の置かれた立場を。


(喋れなくても、知性はある……そういうことかしら。)


ヴィーラは小さく息をつき、彼へと歩み寄る。


「デリー王子は、領地に着くまでディルプールに預けるわ。」


その言葉に、側にいたディルプールが頷いた。


「かしこまりました。」


彼は静かにデリー王子へと手を差し出す。


デリー王子はそれをじっと見つめた後、何も言わずに歩み寄り、そのままディルプールの後ろについた。


(……抵抗も何もしないのね。)


ヴィーラは無意識に唇を引き結ぶ。


(王宮ではどんな扱いを受けてきたのかしら。)


幼いながらに、ただ"生き延びる"ためだけに動いているような瞳。

王族としての誇りではなく、もっと本能的な、ただ生きるための意志しか感じられない。


それが、彼が王宮でどれほどの扱いを受けてきたのかを、何よりも物語っていた。


「……行きましょう。」


ヴィーラは気を引き締めるように一歩前に出る。


ヘルムデッセンが手綱を握りながら、静かにヴィーラのほうを見た。


「……。」


ヴィーラはちらりと馬を見上げた。


長い戦いを終えたばかりで、自分の体がどれほど疲弊しているのか、考える余裕すらなかった。

まるで糸が切れたように、全身の力が抜けているのがわかる。


だが、それを口に出すことはない。


彼女はいつも通り、自分の足で馬に乗るつもりだった。

しかし、一歩を踏み出そうとした瞬間——。


「……っ」


ふわりと視界が揺れた。


驚く間もなく、強い腕がヴィーラの体を軽々と抱き上げる。


「ヘル……っ!」


思わず声を上げたが、すぐに彼の温もりに包まれる。

その胸板の厚さ、体温、鼓動——すべてが、戦場で剣を振るう戦士のものなのに、不思議と安心感を覚える。


「ヴィーラは、疲れすぎだ。」


ヘルムデッセンは低く呟くと、ヴィーラを腕に抱えたまま馬へと歩を進める。

片腕で軽々と彼女の体を支えながら、馬の側へ立ち止まった。


「無理をするな。」


その言葉に、ヴィーラは言い返すことができなかった。

今までどれほど張り詰めていたのか、改めて実感する。


(確かに……休まないといけないわね。)


彼女はそっと肩の力を抜いた。


ヘルムデッセンは片手で馬の鞍を押さえ、ゆっくりとヴィーラを馬の上へと乗せる。


まるで宝物を扱うような、優しい手つきだった。


「ほら、しっかりつかまれ。」


彼の言葉に従い、ヴィーラは手綱を軽く握った。


しかし、次の瞬間——。


「っ!」


ヘルムデッセンがそのまま彼女の後ろに飛び乗った。


背中に感じる広い胸板、力強く自分を包み込む腕。


「ヘ、ヘル……!」


驚いて振り返るが、彼はどこ吹く風といった顔で言い放つ。


「どうせ帰るなら、こうした方がいいだろ。」


「……!」


言い返そうとして、言葉を飲み込む。


彼の腕がそっと彼女の腰を支えた。


大きく温かい手が、まるで守るようにそっと触れている。

強く抱きしめるわけではない。

けれど、その距離の近さが、心を落ち着かせてくれる。


「無理して起きてる必要はないぞ。」


「……別に、私は……。」


「ふん。」


ヘルムデッセンは軽く鼻で笑い、ゆっくりと馬を歩かせ始めた。


―――――――――

―――――――


昼下がりの柔らかな陽射しが、馬上のふたりを穏やかに包んでいた。

戦場を離れ、領地へと向かう道中、吹き抜ける風は心地よく、緊張に張り詰めていた空気が少しずつほどけていく。


ヴィーラは、背後から伝わるヘルムデッセンの温もりを感じながら、ふと静かに呟いた。


「ヘル。」


「ん?」


低く響く声が、彼女の耳元で返ってくる。


「帰ったら、公爵家のパーティーへ出る準備をしなければいけませんね。」


彼は少し驚いたように沈黙した。


馬の歩みがゆるやかになり、しばしの間、風の音だけが響いた。


だが次の瞬間——。


「……あぁ!楽しみだな!」


突如、力強く楽しげな声が響いた。


ヴィーラは思わず振り向き、ヘルムデッセンの顔を見上げる。


「……そんなに楽しみなんですか?」


彼女の問いかけに、ヘルムデッセンは真剣な顔で頷いた。


「あぁ、ヴィーラを俺のものだと見せつけたい。」


「……っ!」


ヴィーラの頬が、一瞬にして熱くなった。


(ど、どこからそんな発想に……?)


思わず目を逸らしながらも、彼の言葉を意識せざるを得ない。

彼は本気なのだ。


「お前は知ってるか?」


「……何を?」


「公爵家のパーティーには、名のある貴族たちが集まる。俺たちの結婚を疑問視していた連中もな。」


彼は少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「だからこそ、ヴィーラが俺の隣にいるのをはっきりと示したい。」


彼の大きな手が、そっと彼女の腰を支え直す。


「……お前は、俺の妻なんだからな。」


彼の言葉に、ヴィーラの胸がかすかに震えた。


(……本当に、この人は……。)


真っ直ぐすぎる。

まるで子供のように、素直に、誇らしげに。


だからこそ、彼の言葉には嘘がないのだと、痛いほどに伝わってくる。


「ふふふ……。」


小さく笑みをこぼすと、ヘルムデッセンは不思議そうに眉を上げた。


「何がおかしい?」


「……ただ、あなたらしいなと思って。」


彼は納得したように口の端をあげ、また視線を前へと戻す。


だが、ふと、少しだけ声を低くして呟いた。


「ヴィーラ。」


「何?」


「……もっと気さくに話してほしい。」


「気さくに?」


「戦争中みたいにさ。」


彼の言葉に、ヴィーラは少し戸惑った。


(戦争中……?)


確かに、戦場ではあまり気取った言葉遣いをしていなかった気がする。

遠慮もなく、考えたことをそのまま口に出していた。


「……そういえば、結構馴れ馴れしく話してたっけ。」


呟きながら、ふと思い出す。


戦場では互いに遠慮している暇などなかった。

命がけの場面では、言葉遣いなど気にする余裕もなかった。


(そっか……ヘルにとっては、私の“気取らない言葉”が心地よかったのね。)


ヴィーラは少し考えた後、小さく息を吐いた。


「……わかったわ。」


柔らかな微笑みを浮かべ、少しだけ砕けた口調で答える。


その瞬間——。


ヘルムデッセンの顔に、満足そうな笑みが広がった。


「それでいい。」


彼は優しくヴィーラの肩を引き寄せ、再び馬を進ませる。


二人の距離が、また少しだけ縮まった。

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