表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/53

空がゆっくりと青白く染まり始める頃、遠くから馬蹄の音が響き渡った。


戦場の後方で殲滅戦を進めていた部隊が、次々と拠点へと帰還してくる。

朝靄の中を進む彼らの影が徐々に明るみに出ると、兵たちが思わずざわついた。


「……おい、あれ、全部戦利品か?」


「すげぇ……。」


荷馬車の列が次々と現れる。


その荷台には、武器や食糧といった略奪品だけでなく、無数の人間の姿があった。


敵兵——いや、もはや彼らは捕虜となった者たちだった。


しかし、彼らの様子は異様だった。


ほとんどが戦場の生々しい負傷を負っているわけではなく、麻痺毒の影響でただ無力に横たわっているだけだった。

多少の擦り傷や打撲の痕はあったが、通常の戦の捕虜と比べて驚くほど綺麗な状態の者ばかりだった。


戦場での死闘を想像していた兵士たちは、その様子に唖然とする。


「まさか、こんな状態で捕虜を持ち帰るとは……。」


「ヴィーラティーナ様の策、やはり尋常じゃない……。」


兵士たちは口々に囁きながら、次々と運ばれてくる捕虜の群れを見つめていた。


捕虜たちは完全に無抵抗だった。彼らはもはや“敗者”であり、何の抵抗もできない。

それでも、目にはまだわずかな警戒と恐怖が宿っている者もいた。


「ヴィーラ、これからどうするんだ?」

ヘルムデッセンが馬を降りると、ヴィーラの元へと歩み寄った。


彼はすでに鎧を脱ぎ、戦の熱が冷めたかのような落ち着いた表情をしていたが、その赤い瞳には相変わらず戦士の鋭さが宿っている。


「捕虜をどう扱うつもりだ?」


ヴィーラは静かに目を細め、目の前に広がる捕虜たちを眺めた。


「一人一人に魔法契約をさせて、塀の向こう側の土地に住まわせます。」


「魔法契約……?」


ヘルムデッセンが少し眉を寄せる。


「ええ。その契約で彼らを束縛し、逃亡や反乱を防ぐ。」


「なるほどな……。」


ヘルムデッセンは腕を組んで考え込む。


「それから穴を掘って、海と繋げたいと思ってます。」


「……?」


彼は不思議そうな顔をする。


「私たちの領地には、広い土地があるでしょう? そこに運河を作るの。水路を掘り、最終的には海と繋げたい。」


「……そんなこと、何年かかるかわからんぞ。」


「ええ、でも時間がかかってもいいの。捕虜たちにその労働をさせます。」


ヴィーラはまるで淡々とした調子で言った。


「彼らは戦で負けた者たち。それでも、無意味に死なせるよりは生かして使った方がいいわ。」


「……ははっ。」


ヘルムデッセンは呆れたように鼻を鳴らし、ふっと微笑んだ。


「お前らしいな。」


そして——。


彼はヴィーラの手を取り、優雅に彼女の手の甲へと唇を落とした。


「……っ!」


ヴィーラは思わず肩を震わせる。


「お心のままに……。」


ヘルムデッセンは余裕のある微笑みを浮かべながら、彼女を見つめた。


ヴィーラは赤くなった頬を手で押さえる。


(……だからどこでそんなことを覚えてくるのよ!)


―――――――――

―――――――


仮設テントが次々と立てられ、そこへ捕虜たちが整然と誘導されていく。


朝日が徐々に地平線から昇り始める頃、戦場の喧騒とは異なる静けさが拠点を包み込んでいた。


地面に座らされた捕虜たちは、一様に疲れ果て、時折不安そうに辺りを見回している。

彼らはこれから自分たちがどうなるのかを悟りながらも、まだ僅かな希望を捨てきれずにいるようだった。


ヴィーラは、仮設の執務机の前に立ち、整然と積み上げられた契約書を手に取った。


目の前に並ぶ捕虜たちを見下ろしながら、冷静な声で告げる。


「サインをすれば、生き延びることができる。しなければ——どうなるか、言わなくても分かるでしょう?」


彼女の言葉に、捕虜たちは一斉に震え上がった。


誰もがその意味を理解していた。

この戦に敗れた時点で、彼らに選択肢はほとんど残されていないのだ。


「……誓約を結ばなければ、待つのは処刑か。」


ひとりの男が低く呟いた。


「そういうこと。」


ヴィーラは淡々と答えながら、ペンを差し出した。


男は渋々それを受け取り、震える手で契約書に名前を書き込む。

インクが乾く前に、魔法の光が淡く書面を包み込み、契約が成立したことを示す輝きを放った。


彼の肩がガクリと落ちる。


「次。」


ヴィーラが手を差し出すと、次の捕虜が前へ進み出た。


こうして、一人、また一人と契約が結ばれていく。


最初はためらっていた捕虜たちも、徐々に抗うことを諦め、次々とサインをしていった。


しかし、その間、ヴィーラはずっと立ちっぱなしだった。


一晩中戦況を指揮し、捕虜の処理まで進める彼女の体には、既に疲労が滲んでいる。

だが、彼女の表情は変わらない。


彼女にとって、これは戦の一部。

勝者として、敗者の処遇を決めるのは当然の義務だった。


「ヴィーラ、寝た方がいい。」

そんな彼女を見つめていたヘルムデッセンが、腕を組んだまま口を開いた。


「全然眠ってないだろ。」


彼はわずかに眉をひそめながら、ヴィーラの肩をぽんと叩いた。


「戦の最中も、拠点の指揮も、全部お前がやったんだ。もういい加減、休め。」


ヴィーラは顔を上げ、ヘルムデッセンをじっと見つめる。


「……それはヘルも一緒でしょ?」


「まあな。」


彼は軽く笑いながら肩をすくめた。


「でも俺は、お前より頑丈だからな。」


ヴィーラはムッとした表情を浮かべたまま、ヘルムデッセンをじっと睨みつけた。


確かに彼の言う通り、彼の体は戦場に慣れ、無理が利く。だが、彼だって数日間ほとんど眠らずに戦っていたはずだ。


「……っ。」


何か言い返そうとしたが、次の瞬間——。


「おい!」


唐突に体が宙に浮いた。


「——!? ちょ、何を……!」


驚く間もなく、ヘルムデッセンはヴィーラを軽々と抱き上げた。


お姫様抱っこ。


「ちょっ……! 降ろしなさい! ヘル!」


「却下。」


あまりにも自然な動作で抱えられ、ヴィーラは慌てて彼の胸を押すが、微動だにしない。


「お前は今にも倒れそうだ。寝るぞ。」


「寝るのはあなたもでしょう!」


「だから一緒に寝るんだろ。」


「……っ!」


抗議しようとするが、彼の赤い瞳があまりにもまっすぐで、強くて、反論の余地を与えない。


(……ずるいわ。)


ヴィーラはしばらく抵抗したものの、腕の中の安定感と、包み込むような温もりに、諦めたように小さく息をついた。


彼はそのまま歩を進め、指揮用の大きなテントではなく、奥に設営された寝室用のテントへと向かう。


厚手の布で仕切られたその空間は、外の冷たい風を遮り、ほんのりとした温もりが残っていた。


布団の上に静かに降ろされると、ヴィーラは思わず肩をすくめる。


「まったく……。」


呆れたように言いながらも、彼の腕の中にいた温もりが消えたことに、ほんの少しだけ物足りなさを覚えてしまう。


だが——。


「ヘル?…何を?」


ヘルムデッセンがそのまま布団の横に腰を下ろしたのを見て、ヴィーラは訝しげに尋ねた。


彼は自然な動作で靴を脱ぎ、そのまま隣に横たわる。


「寝るって言ったろ?」


「一緒に……?」


「当たり前だ。お前を一人にして、また仕事に戻ると思うか?」


低く、穏やかな声がテントの中に響く。


ヴィーラは戸惑いながらも、彼の隣で横にならざるを得なかった。


(なんなのよ……この人。)


戦場であれほど無双していた男が、今は何の躊躇もなく自分と並んで布団に横たわっている。


ごつごつとした腕、戦士の体。だが、今の彼はただの"夫"のように穏やかだった。


「もう戦は終わってる。安心しろ。」


彼はぽつりと呟くように言った。


そして——。


大きく温かい手が、ヴィーラの金色の髪をゆっくりと撫でた。


「……。」


その瞬間、緊張がすっと解けるのを感じた。


戦の間ずっと張り詰めていた心が、その手の動きと共に静かにほどけていく。


安心——。


そう、安心してしまったのだ。


この人がここにいる。


自分を守ると誓った男が、今、自分の隣にいる。


それだけで、心が満たされるような気がした。


「……ヘル。」


眠りに落ちる直前、彼の名前を小さく呼んだ。


「ん?」


「……なんでもないわ。」


くすりと笑い、そっと目を閉じる。


彼の温もりを感じながら、ヴィーラはゆっくりと眠りに落ちていった。


——戦の終わり、温もりの中で。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ