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執事は恭しく一歩前に出ると、ヴィーラの前で深く頭を下げ、懐から一通の封書を取り出した。


「こちら、陛下からの親書でございます。」


静かに差し出された手紙を、ヴィーラは慎重に受け取った。 その封には王家の紋章が刻まれており、確かに正式なもののようだった。


(王自ら直筆の手紙を……?)


不穏な胸騒ぎを覚えながら、彼女は封を切る。


中には、格式張った優雅な筆跡で綴られた文章が並んでいた。


"この度の戦において、貴殿の多大なる貢献に感謝する。我が国の未来を担うべき者が、この重要な局面を学ぶことは、非常に意義深いことであると考える。"


(未来を担う者……?)


ヴィーラの視線が、書面からそばに立つ少年へと向かう。 彼は静かに佇みながら、まるでこの場の意味を理解していないかのように澄んだ瞳でこちらを見つめていた。


手紙を再び読み進める。


"この機会に、彼には戦の現実を知る機会を与えてほしい。そして、貴殿の手によって、この国の進むべき道を明確に示していただきたい。"


その言葉の意味を咀嚼した瞬間、ヴィーラの指がわずかに震えた。


(……これは)


"彼が、己が身の置き所を誤らぬよう導いてやってほしい。貴殿の聡明さをもってすれば、最適な道を見出してくれることだろう。"


遠回しな表現ばかりが連なっていたが、その意図は明白だった。


(……この子を、殺せということね。)


まるで手を汚さずに処理を求めるような、この回りくどい言い回し。 王が第三王子をこの戦場に送り出した理由は、学ばせるためなどではなく——ここで死なせるためだった。


ヴィーラはふと、手紙を持つ指に力を込める。


王が王子を切り捨てる理由はいくつも考えられる。 彼が王位継承において不都合な存在なのか、あるいは宮廷内での権力闘争に巻き込まれたのか。 しかし、どんな事情があるにせよ——


(そんなこと、私に押し付けないでほしいわ。)


顔を上げると、少年が無垢な瞳でこちらを見つめていた。


その眼差しは、王の冷酷な意図など知る由もない、ただの幼い少年のものだった。


ヴィーラは無意識に唇を引き結び、静かに息を吐いた。


(……さて、どうしたものかしら。)


彼女の胸中には怒りが渦巻いていた。王の冷酷さも然ることながら、何より、その王の命令を何の疑いもなく遂行しようとしている"この執事"の存在が許せなかった。


(……目の前の主を守ることもせず、忠誠を誓うべき王に従うだけ?)


ゆっくりと顔を上げる。

青ざめた表情の執事と、無垢な瞳でこちらを見つめる少年がそこにいた。


ヴィーラは、冷たい声で命じた。


「ロート。この執事を捕らえておきなさい。」


その瞬間、室内の空気が一変した。


「はっ!」


ロートが即座に反応し、部下たちが動き出す。


「な、何をする!?」


執事が狼狽する間もなく、彼の両手に手錠がはめられ、足元には重い足枷がつけられた。

鉄の鎖が床に落ちる鈍い音が響く。


「何の真似だ!」


「あなたの罪は明白よ。」


ヴィーラは冷静な口調で言い放つ。


「あなたには仕えるべき主がいる。それなのに、主を殺せと書かれた手紙を、何の疑問も持たずに届けるの?」


「……っ!!」


執事の顔が青ざめる。


「主を守るべき立場の者が、王の命令だからといって、それに従う? 私にはあなたが"王の犬"にしか見えないわ。」


ヴィーラの冷たい視線に射貫かれ、執事はぐっと唇を噛む。

その姿は、哀れにも見えた。


ヴィーラは手紙をもう一度見直し、記されていた言葉を脳裏に浮かべる。


(第三王子……)


自然と視線が目の前の少年へと移る。


「ということは——デリー王子ね?」


そう呟くと、少年は小さく瞬きをした。


彼は何も知らず、ただこの戦場に送り出されたのだろう。


(……自分が殺されるために送られてきたなんて、夢にも思わないでしょうね。)


ヴィーラはふっと息をつき、少しだけ表情を和らげた。


ヴィーラはゆっくりと膝を折り、優雅な動作で礼を取った。


「デリー第三王子殿下。」


彼女の澄んだ声が静寂の中に響く。


少年は微動だにせず、じっと彼女を見つめていた。


金色の髪、透き通るような碧眼。王家の血筋を感じさせる整った顔立ちだったが、どこか怯えたような影が宿っている。


(まだ幼いわね……それに、様子がおかしい。)


彼は口を開くことなく、ただこちらをじっと見つめているだけだった。


「……まさか、失声病?」


ヴィーラは眉をひそめた。


言葉を発しようとすらしない。単なる緊張や恐怖ではなく、話すこと自体ができないのかもしれない。


「ロート、デリー王子の体に傷がないか確認して。」


「はっ。」


ロートは命令を受け、丁寧に少年の腕をまくり上げる。


すると、肌に走る痛々しい痕が目に入った。


「……これは……。」


生々しい傷跡。古いものもあれば、比較的新しいものもある。殴られたような痣や、鋭利な刃物で刻まれたかのような切り傷が所々に散らばっていた。


ロートは一瞬息を呑み、眉を寄せる。


「……どうやら、ひどい扱いを受けていたようですね。」


「困ったわね。」


ヴィーラはため息をつきながら、少年の腕をそっと元に戻した。


デリー王子は相変わらず何も言わず、ただ静かに彼女を見つめていた。


(こんな状態で送り込んでくるなんて……王は本気でこの子を"処分"しようとしていたのね。)


彼女の胸の奥に冷たい怒りが広がる。


だが、その感情を表には出さず、次の手を考えようとしたその時——。


「ヴィーラ!!!」


テントの外から、大きな声が響いた。


ヴィーラはすぐにその声の主を理解し、ゆっくりと立ち上がった。


「ヘルムデッセンが帰ってきたわね。」


テントの入り口が勢いよく開かれ、赤い瞳が真っ先にヴィーラを捉えた。


「ヴィーラ! 無事か!!」


彼は荒い息をつきながら、一直線に彼女へと駆け寄った。


「無事よ。」


ヴィーラは淡々と答えながらも、その表情には微かな安堵が浮かぶ。


「とってきましたか?」


ヘルムデッセンは一瞬きょとんとした後、ニッと笑った。


「とってきた!!」


そう言うや否や、彼は右手を高々と上げ、見せつけるように振った。


——そこには、血の滴る生首が握られていた。


「……。」


「……。」


テント内の空気が、一瞬にして凍りつく。


(相変わらず、豪快ね……。)


ヴィーラは眉を寄せながらも、ヘルムデッセンがしっかり仕事を果たしてきたことに安堵する。


(まあ、間違いなく敵の指揮系統は崩壊するでしょうね。)


しかし——。


ちらり、と。


テントの隙間から、小さな金色の髪が覗いた。


デリー王子だった。


「……?」


彼は何事かと興味を持ったのか、小さな顔をそっと出した。


次の瞬間。


「ヴィ、ヴィーラ!! 浮気か!?」


ヘルムデッセンの表情が凍りついた。


彼は、ぽかんと口を開けながら少年とヴィーラを交互に見つめる。


「……は?」


「どこでそんな言葉を覚えたの。違うわよ。」


ヴィーラは呆れたようにため息をつきながら、ヘルムデッセンに視線を戻した。


「あなたの異母兄弟よ。」


「異母……兄弟?」


ヘルムデッセンは困惑したように少年を見つめる。


「そ。第三王子なのよ。」


その言葉が響いた瞬間、テント内は再び静寂に包まれた。


赤い瞳と碧い瞳が交差する。


戦場にて初めて顔を合わせる、異母兄弟。


ヘルムデッセンはしばらくの間、デリー王子を見つめたまま、何も言わなかった。


小柄な体、金色の髪、澄んだ碧眼。確かに、王族の特徴を色濃く受け継いでいる。


しかし、自分が王族であるという実感すら希薄だった彼にとって、突然「異母兄弟がいる」と言われても、すぐには受け入れられなかった。


「……俺に王族の血が流れているのも不思議なのに、兄弟がいる……だと?」


低く呟くように言ったヘルムデッセンの言葉には、困惑が滲んでいた。


ヴィーラはそんな彼をじっと見つめた後、ふと微笑む。


「この間、勉強したでしょ?」


彼の頭の中に、一瞬過去の記憶がよぎる。


——「王族の血筋とは、常に複雑なものよ。特に王位継承権のある子供たちは、生まれた瞬間から権力争いに巻き込まれる運命にあるの。」


ヴィーラがそう言いながら、書物を片手に説明していた姿が蘇る。


「……あぁ。」


ヘルムデッセンは微かに眉を寄せたまま、視線を落とした。


(それにしても、こうして実際に目の前に弟が現れるとは……)


デリー王子は何も言わず、ただヘルムデッセンをじっと見つめていた。


怯えているのか、興味を持っているのか、彼の表情からは多くを読み取ることができない。


「……とりあえず、連れ帰るでいいかしら?」


ヴィーラが確認するように尋ねると、ヘルムデッセンは深く息を吐き、頷いた。


「それは構わないが……弟……か。」


もう一度、デリー王子を見つめる。


小さな体、傷だらけの腕。


王族として生まれながらも、まるで孤児のような境遇にいたことは、一目見ただけでわかった。


(俺も“王族”とは名ばかりで、戦場に捨てられた身だったが……こいつも、似たようなものか。)


「……第三ということは、他にも二人、弟がいるのか!?」


ヴィーラは静かに頷く。


「そうですよ。」


ヘルムデッセンは腕を組みながら、しばらく考え込んだ。


「ヘルは……王族から外されているので、王子ではないですから……。」


「そうか。」


彼はどこか納得したように呟き、視線を外へ向けた。


「これは……ややこしいことになりそうだな!」


どこか楽しげな口調で言いながらも、その赤い瞳には鋭い光が宿っていた。


ヴィーラはそんな彼の様子を見つめながら、心の中でそっと呟いた。


(そう、それがわかったのね。…成長したわね、ヘル。)


かつての彼なら、考えることもなく「どうでもいい」と言い放っていただろう。


しかし今は、複雑な政治の渦に足を踏み入れようとしている自覚がある。


それを理解し始めたことが、彼の成長を物語っていた。


「そうです、ややこしいことになるんです。」


ヴィーラは静かに微笑んだ。


ヘルムデッセンはふっと笑い、再びデリー王子を見下ろした。


「……とりあえず、お前は俺の弟ってことでいいんだな?」


少年は何も言わず、ただ小さく頷いた。

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